遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

眠れない、起きても何もできない。


 午前2時、眠れずに、これを書いている。午前0時半に訪問看護に電話をしたら、それくらいで電話をしてくるなという雰囲気で静かに横になっていてくださいと言われた。

 昨日は朝、変に寝たせいか、夜になっても少しも眠くならない。もっとも、薬がサイレースに変わってから、その日のうちに寝付いたことはない。

 昨日はせっかく、今日は喫茶店に行こうと思って、飲めない酒を呷ってまでシャワーを浴びたのに、眠くて行けなくては努力が無駄になってしまう。

 また、今日は訪問看護があるのだが、昨日のその時間、夜、眠れないので代わりに寝ていた。訪問がある時間に起きていられるかも心配である。

 そして、ここを書いている今は午前8時。午前2時になっても眠れないので朝食を摂って胃を満たしたら少し眠ることができた。

 夜、静かにしていてくださいと言われても落ち着かないし、朝も目が覚めたら落ち着かずに起き出してしまった。

 そこで再び訪問看護に電話。今日の訪問は午後1時だと言う。午後1時といったら、もう喫茶店に行っている時間だ。

 なんか、訪問の時間に起きていられるかと案じていたことが馬鹿みたいである。そもそも、今、起きていることができているのだから、いずれにせよ杞憂だ。

 ただ、今日、来る看護師さんは主任で、いつもの、人を馬鹿にしているような人ではないので、それも捨てがたい。

 時間を午前中に変更するように希望を出し、しかし、主任でなければ午前中でなくても構いませんよと伝える。

 無事に連絡があり、午前11時30分に伺いますとのこと。少し遅れて来た主任の看護師さんは、思ったより淡泊だった。

 まぁ、過剰なくらい熱心ではないかという淡い期待は、月曜日に来た看護師さんが良かったですねと言ったからだが、いつもの水曜日の担当の看護師さんとの比較でいえば比較でいえば確かに雲泥の差だった。

 無事に訪問看護を終え、今日2回目の昼食を摂る。朝食を午前2時に食べてしまったので、訪問看護が来る少し前に昼食を済ませておいたのだが腹が減った。

 さて、そして今、ここを書いているのは午後5時前である。結局、喫茶店に行ったが眠気に負けて帰ってきた。

 どうも、以前のように居心地が良く感じない。店が観光地化して変わったのか、私の心境の変化だか判らない。

 隣にカウンターの下でカメラをモソモソさせている人がいて、何だろうと思ったら、カウンターに、"NO PHOTO"の立て札が。冒頭のInstagramの写真を撮ってから気が付いた。特に何も言われなかったのは私だからか。

 誰にも気兼ねなく写真も撮れたし、私が通い始めたころは誰にも気兼ねなくタバコが吸えたし、そういう、客の放任のようなものが、この店の魅力だった気がする。

 カウンターの中ではケーキを作るためのブレンダーが回り、食べログに、ここは飲み屋かと書かれていた騒々しさ。その騒々しさこそが、逆に居心地の良さの象徴だった気がする。

 渋谷に行っても寄ったのは喫茶店のみ。駅前も通らなければハチ公も見ていない。ただ、店と家との往復といった感じ。今年は桜を見なかった。

 帰って来ても眠い。机に向かっても何もできない。しかし、横になって休もうと思っても相変わらずジッとしていられない。

 結局、寝たり起きたり忙しかったが、寝不足で何もできずに1日が終わった。なんか散漫な文章になってしまって申し訳ない。

 今日は命の危機60%。太ったせいか、歩くのも辛どい。これだけ辛いのなら楽になりたいという気持ちは消えない。

 

 

 ランキングサイトに参加しております。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ