新しく入った高校は同じクラスの生徒には恵まれたものの酷い高校だった。取手駅からスクールバスで20分以上かかる高校は、まだ学校の敷地も、その前を通る道路もできていなかった。
毎日、下足室で放火があり、朝礼のたびに校長が犯人を見付け出して警察に突き出してやると怒鳴っていた。体裁を気にする高校が、そんなことをできないことを知っていて、放火犯は毎日、放火を続けた。
私も被害者だった。学校帰りに駅前で先輩にカツ上げされた。警察に相談に行くと、お前の学校、そんなのばっかりなんだよと警察官が言った。高校に相談に行くと、実害はないんだからなかったことにしてくれと言われた。
まぁ、教師も公共の場で平気で生徒を恫喝していたので、同じ穴の狢に相談に行ったようなものだった。その高校で、私は、後の報道によると生徒を自殺に追い込むのが趣味という学年主任に目を付けられた。
目が気に食わない、出て行け、と、学年主任は私を見て絶叫した。そして廊下に正座をさせ、他の授業も一切、出席させなかった。この学年主任は、後に校長になり、労働組合を作らせず、部下の教師を、同様に即日クビにしていたので、生徒を自殺に追いやるのが趣味などということが判ったのだった。
また、自身、ナチスを崇拝していて、それを公言していた。曰く、アウトバーンを作るなど偉大な功績をたくさん残しているのに、どうしてホロコーストぐらいで評価を下げられなければいけないのか。平気で生徒を自殺に追い込んだり教師をクビにする人間の発想である。ナチストよりもナチストらしい。
そして、私は、ダントツの首席で入学したはずが、気が付くと成績は20人くらいのところまで落ちていた。高校は、何人いるんだという特待生は趣味も勉強でなくてはならないと言い、部活には参加させずに午後7時まで独学での勉強を強いていた。
しかし、授業に出ていない私は、独学といっても何をしていいのか判らなかった。他の生徒に訊くことも口を開くことが禁じられていたのでできなかった。午前7時から午後7時まで12時間、監禁され、しかも、その半分が廊下に正座だった私は精神を病んだ。
家に帰っても体が動かなくなった。それを私の両親は怠けているといって殴る蹴るをした。その蹴り飛ばす足を手で払っただけで家庭内暴力だといって、わざと警察署ではなく110番に電話をしてパトカーにサイレンを鳴らさせて家に越させた。
そして、連日のようにパトカーにサイレンを鳴らして越させ、近所には、ユウ(私の本名)に殺されると喧伝した。私は近所では一端の不良と見做された。最初は親と一緒になって私を殴っていた警察官も、数回目にはオカシイと思ったらしく、制服を着ていない生活安全課の警官を連れてきた。そうしたら親は110番はしなくなった。
私は、ついに全く動けなくなり、市川にある国立の精神病院に連れて行かれた。そうしたら、その場で、親から直ぐに離さないと死んでしまうと言われ、即日、入院になった。親は、自分たちを悪く言うのは藪医者だと言っていたが、医者に口説き落とされた。
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