遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

私立高校なんて力学と不正の温床。

 ちょっと気が向いて(TVドラマ「御上先生」の影響)私の精神を病ませて退学させた高校時代の(後の)問題校長の裁判記録を読んでいたら、しっかり私が載っていました。行政指導PDFより。約物というかパンクチュエーションが変なのは原文のまま。

(1) 19年2月26日付けで,申立人は,組合通信第9号を発行した。同文書,,は 「停職3ヶ月処分」と題し 「この停職処分を決定した先生がかつてクラス担任であったとき,厳しい指導のクラス運営であったため,本校最初の退学者を出し,かつ自殺未遂の生徒を二人も出しています。しかし,その先生。」は停職にはなっていません 「学校長の判断の結果もあるという要因を隠蔽し,末端の教員にすべての責任を押しつけるということを許してはいけませ。」ん 「前回の配布後,新たな組合加入がありました。今回もお願いしま。す 」などと記載されていた。【甲17の9】

 事件のあらましとしては、(後の)問題校長が、気に食わない教師を即刻クビにしたり減俸にしたり労働組合を潰したことなどが問題(訴訟→労基への申し立て)となりました。文中の「本校最初の退学者」は私です。しかも特待生でした。1日8時間、授業にも出さず空調のない廊下に正座をさせられ精神を病みました。(後の)問題校長は、人を自殺に追い込むのが趣味という性格の持ち主でした。

 また、熱血的なナチストでありました。ヒトラーはアウトバーンを作ったり技術を進歩させたり偉大な業績をたくさん残しているのに、どうしてホロコーストぐらいで非難されなければいけないというのが口癖。ホロコースト「ぐらい」というのが他者の命への感覚が見て取れますな。

 また、私は担任に相談したのですが、上司に文句を言えというのかと言われました。担任が(後の)問題校長の太鼓持ちをして犯罪を幇助していたことなども書かれています。副校長になった私の担任は「校長を敵に回すと私も敵に回すことになるよ」とドラマでしか聞かない台詞を実際に言ったとか。

 (後の)問題校長は下剋上して校長になり(その下剋上も勝訴したが裁判になっている)、今や問題校長、私の担任とも法人理事になっています。天下り理事も多数。やっぱり「御上先生」の校長のモデルはこいつだろう。というか進学校で予備校が母体というのも学校自体がモデルになっているとしか思えんのよね。

 偏差値は70を維持していますが(私の入学時の偏差値は74)、Googleマップのレビューでは、あの高校の非常識さは… というもので溢れており、偏差値が70あり生徒数が千人単位でいながら東大には年に4・5人しか入れない学校です。それでも熱心な信奉者が反論を書いているのが恐ろしい。カルトとは、こういうものなのでしょうか。

 

 

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