遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

今日は何回か更新。気が抜けた。

 2本目のBlogを書いていたら結構、スッキリしてしまって、訪問看護が来たときには、思ったほど調子が悪そうではないと看護師さんにホッとした顔をされる。

 子供のときから作文を書けば賞を貰い絵を描けば賞を貰い成績は常に主席だった(中学2年の2学期以降、成績が良い転校生が来てしまい2位)。ネットストーカーがバラ撒いた嘘が流布されてしまっているが、当然、公立のナンバースクールを受けた。

 ネットストーカーは公立など受けられる成績でなかったらしく、落ちこぼれているのに公立を受けると言い出したなどと書いているが、そんな成績では学校は内申書は書かないことを知らないらしい。

 しかし、このときも親の嫌がらせで通常の受験ができず、それもある程度、想定の範囲内だったので、全寮制の私立の進学校を受験して特待生として合格していた。しかし、母が茨城にある新興の進学校から猛アタックされ、洗脳されてしまったのだ。

 いわく、この成績なら絶対に東大に入れて見せますよ、そのため、特待生だけでなくPTA会費も制服代も全てタダにしますよと。実際、入ったら、生徒を自殺に追いやるのが趣味(と後にネットで知った)の学年主任の被害に遭い、授業にも出させられず放課後に至るまで廊下に正座をさせられた。この学年主任、後に校長になり同様のことを教師にして刑事罰を食らっているのだが、それでも今は法人理事だ。そういう高校。

 そこで神経を病んでしまったのだが、動けなかった私を、親は殴る蹴るし、その蹴った足を振りほどいただけで家庭内暴力だといって110番し、わざとパトカーにサイレンを鳴らして家に越させた。私は近所では一端の不良とされた。

 それで高校を辞め、実家を追い出され、私は入院先の病院から大検を取りに行って大学を併設している(3年次に編入できる)専門学校に入学した。そのとき、学費の借用書を書けと言われて実際に書かされたのは屈辱的な嘆願書であることは書いた。

 ここから先ほどの話に繋がるのだが、なんか書くのが馬鹿らしくなってきた。実家を追い出された私は親の実家である麻布にある叔父の家に移ったわけだが、叔父も変な人だった。

 ある日、警察官が巡回に来たと言う。東京では(松戸でもそうだったが)年に1回、警察官が巡回に来て家族構成を聞いていく。しかし、私はそれで、思い切り怒鳴られた。「お前みたいに怪しいやつがいるから警察が来るんだ!」

 当時からアル中の症状が出ていたのか知らないが、私の家族は私のことを悪くしか見られず、例えば絵を描いて賞を取れば、こんなみっともない絵が張り出されたと言って、それをビリビリに破いて捨ててしまう。

 叔父は当時、無職だったのだが、朝、今日はビジネスマン風などと言って背広を着てアタッシュケースを下げて出て行って、帰ってこないことなどがあった。それでも隠れて私を見に来ていたそうで、1日中、机に向かっているのも、それで知っていたそうだ。

 しかし私の大学の入学金を振り込まないというのは叔父の指示によるものだそうだが、理由が「そんな人に言えない大学」とのことだった。叔父は1浪して東京経済大学に行ったそうだが、私は、大学名を聞いたとき、その大学名のほうが知らなかった。

 調べてみると私の編入する予定だった大学より偏差値が20以上低く、それでも定員割れをしていて特待生で埋めている有様だった。なんか、本当に書くのが馬鹿らしくなってきた。とりあえず、今回の更新は、これでペンを置く。

 ちなみに私が孤独というのは私が言ったことではなく、ある看護師さんに、孤独だから酒を飲むのではないかと言われたことである。ん? なんか日本語が変。

 

 

 ランキングサイトに参加しております。バナーをクリックしていただけると投票されます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ