遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

再び立ち上がれるのか。

 午後3時という、近ごろ稀にみる早い時間にPCに向かい、これを書いている。しかし、起きているのも苦痛なら書くのも苦痛だ。神経が持たない。かといって横になってもジリジリして休まらない。

 昨晩も、悪夢を見たり、身体中に激痛が走って目が覚めたりしている。それでもFitbitスマートウォッチによる「深い睡眠」は1時間半を超え、1年に1度の排水管清掃の間は起きていることができた。

 しかし、そのまま起きていようと思ったのだが苦しくて再び横になってしまった。こんなに何をするのも苦しくて、これから生きていけるのだろうか。

 ここで、だったら死にたいと単純に思わないのが、今日の私の、まだ健康なところなのだろうか、単に体調が良いところだろうかは知らない。

 さて、私は、母に特待生として押し込まれた高校で教師の虐めに遭って退学をしている。

 生徒を自殺に追い込むのが楽しみな異常性格者の学年主任に授業に出させてもらえず、しかし、特待生には1日に5時間、居残りの独習時間があり、その間も何をしていいのかも判らず精神を病んだ。

 家に帰っても、身体が拒絶反応を示して動けなくなっているのに、父親に甘えていると殴る蹴るをされ、その手を振りほどいただけで家庭内暴力だといっては頻繁に110番されパトカーを呼ばれた。

 両親のアピールにより近所からも不良扱いされて無念だった。初めて掛かった(それまでは親が精神病だと認めなかったため不眠症として神経科に掛かっていた)精神科では、すぐに親から離さないといけないと危険だと言われ緊急入院となった。

 大検は入院中の病院から取りに行き、予備校にも病院から通っていた。それから実家に戻ったはずだが、どういう日常を送っていたのか覚えていない。どうせ高校時代と同じく真夏は40℃を超える部屋に監禁されて熱中症で何度も倒れていたのだろう。

 それからすぐに専門学校に入学した。英語の専門学校で、成績が良ければ併設の大学に編入できる専門学校だった。そして、実家を追い出された私は叔父の家から専門学校へ通った。

 猛勉強した。違うクラスにPUFFYの大貫亜美さんがいたのだが、友人の紹介で会ったところ、ギラギラしていた私は怖いと言われて逃げられてしまった。芸能人も怖いという前向きさだった。

 そして成績は首席になり、無事に大学への編入も手にした。そして大学への編入手続きを取ったのだが、土壇場になり大学の学費が振り込まれなかった。叔父曰く、勉強なんて嫌いなものに決まっているから朝から晩まで机に向かっているのはボーッとしているに決まっている。覇気がない。

 けっきょく私は就職したが、そのような訳で就職活動もできなかったので(成人式も自宅に監禁されていて出してもらえなかった)スーツも持っておらず、専門学校が、ここにだけは入れたくはなかったというブラック企業に就職した。

 そして、ブラック企業では、残業が月に200時間を超え、毎日がタクシー帰りだった。それを叔父は、会社が新入社員に残業などさせるわけがない、毎日、六本木で夜遊びをしているのだろうといって専業主婦以上の家事をさせた。

 そして私が精神を病んだら家を追い出したのだが、そのときになり“秀”が並ぶ私の成績を見て、お前、こんなに成績が良かったのかと言った。私は毎学期ごとに成績表を見せていたし、保護者にも成績表は郵送されていた。

 また書いていて辛くなってしまった。全優よりも優れた成績や、新入社員が、毎日、タクシーで帰れるほど金を持っていないということに目が行かず、思い込みで行動する家族。そんな腹立たしいことも書こうと思ったのだが上手く書けない。

 そして、当時のことを思い出し、大丈夫、足かせがなければ、目標があれば頑張れるはずだ、そう思って自分を鼓舞させている。それでも命の危機は80%ほど。苦しみが半端でない。

 

 拝読しているBlogで、毎日、空の写真をアップしている方がいるのだが、今日は綺麗な夕焼けの写真がアップされていた。

fuwafuwa5.hatenablog.com

 

 普段、この時間には、まだ起きていないので、久しぶりに夕焼けを見た。

撮影データ
日時:2020年11月26日16時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの95mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/30s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

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