遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

自分の自己中心的な考えに嫌悪する。

 昨日の通院で薬が増えて、何種類も服んでいるメジャー・トランキライザーのうち、さらに1種類がMAXになった。そして、今朝は、落ち着いて寝ていることはできたのだが、もういい時間であることが判っているのに起きることができなかった。

 今まで、寝ていたいと思っていても焦燥感で横になっていられず早朝に汗を大量にかいて目が覚める苦痛を味わったが、その焦燥感の原因には、午前9時4分に近所の工事現場が動き出す音がして働けない自分を実感することなどもあった。

 しかし、今日、時間が来ても目が覚めず、目が覚めても動けずパニックになり、誰かに助けを求めたくなる。祭日なので保健師さんはいない。やっと操作できたスマートフォンを使い、TwitterのDMで、いつも助けてくれる山姥さんに助けを求めるが、即時に返事がない。

 いつもはある、おはようの挨拶が、今日はないことに気が付いたのは、それからだ。助けを求めた時点では、私は、山姥さんがいなければ、いったい誰に助けを求めればいいのだと困惑していて、山姥さん本人の安全ということには気が回らなかった。

 昨日、戦場にいるような状態だと心の余裕をなくすと書いたが、今朝の私は、辛かったものの、戦場にいるというほどではなかった。やはり、私は自己中心的で、他人を思い遣ることができないのだろうか。自分で自分のことが嫌になった。