遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

今日は私の命日になるかも。

早朝、スマートフォンで、これを書いている。

 昨晩は寝て1時間もしないで悪夢に魘され、足が吊って目が覚めた。それからも30分おきに目が覚め、午前3時に滝のような汗をかいて目が覚めてから眠れていない。

 苦しい、死にたい。もう、こんな毎日は真っ平である。昼は悩みが多くて苦しんでいるのだから、せめて寝ている時間ぐらいは安らかに眠りたい。

 また、食べることも楽しみではない。昨日、通院の前にドトールに寄ったがコーヒーの味さえ判らなかった。胃も変である。

 もう、こんな生活は終わりにしたい。苦しい。

 

昼、これを書き足している。

 昨日、主治医から処方されたコントミンを今朝の早めの時間に服んだ。1日3回、毎食後で出ているが、電話をして訊くと、3回分を1度に服んでも大丈夫とのこと。

 しかし、服んだところで、まったく眠くもならず、ただフラフラするのみ。フラフラすると書くと大したことはないが、携帯電話も震えて持てず。

 Twitterのプライベート・アカウントで呟いたが、これは、まったくパーキンソン病の症状と一緒である(パーキンソン病ではないので薬剤性パーキンソニズムというらしい)。

 トイレに立っても身体を支えるのに一杯いっぱいで用を足すこともできないし、本当に地獄のような苦しみだった。

 主治医に電話をすると数時間で抜けるから抜けるのを待って、それ以降は服まないようにとのことだった。

 これもTwitterで呟いたが、これだけ苦しい思いをすると、死ぬことなんて、かすり傷という気さえしてくる。

 

これを書いているのは、もう夕方か。

 そして、今日も山姥さんにDMで相手をしてもらって何とか保っているような状態だ。少し距離を置きましょうという話をしていたのに、ぜんぜんできていない。

 山姥さんがいなければ生きていけないというような状態は、なんとかしなければならないと思っていて、保健師さんにも相談に乗ってもらっているが、なかなかだ。

 保健師さんには支援者を増やすと言われているのだが、支援者である前に、理解者が、なかなか見付からない。訪問看護ですら、私のことを理解していないと思う。

 

そして、夜になり、これを書いている。

 今日も1日、辛かった。上に書いた主治医の他に、脈が145に達し、訪問看護に電話をしたりした。訪問看護には脈が変なら連絡してくれと言われていたのだ。

 それに不動産屋から電話。実家の売却についてだが、地方に近い郊外なので、かなり難しい様子。しかもコントミンでヘロヘロになっているところに架ってくる。

 実家の売却と相続税の申告については中学の同級生の弁護士に相談しているのだが、まったく連絡が付かないに近くなっている。

 そして、私の家も再開発に入っていて引っ越さなくてはならないのだが、家が荷物に溢れて汚部屋になっているので引っ越すに引っ越せない。

 それに伴い部屋も買い直さなければならないが、都心の狭い築年数が古いマンションなので、ろくな部屋に買い換えられない。

 また、主治医の話によると、その悩みによるものらしいのだが、手の震えや滝のような汗が止まらない。書類も書けない。今もキーを打つのがやっと。

 そして、私には兄弟も叔父叔母も従兄弟もいない、天涯孤独の身である。それらを考えると、もう、人生を幕引きにしてしまった方が良いのではないかと思う。

 

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」