遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

私が生きていることに、どんなメリットがあるのだろうか。

 相変わらずTwitterのDMで山姥さんにお世話になっている。以前、私自身が、このままでは死ぬなと思ったときがあったが、今も、私の死が、けっこう差し迫っていると思っていらっしゃるようで、今日も昼まで連絡がなかったら不審がり警察に連絡するというようなことを書いていらっしゃった。

 昨晩は、それまでずっと日が変わるまで眠れずに夜中も悪夢で目が覚めていたベルソムラという薬が取り止めになって、代わりにヒルナミンを使った。これが強い薬である。1日、起きられない。そんなことを話したのかもしれない。

 今朝、起きて真っ先に山姥さんにDMを入れた。ヒルナミンでフラフラなので、挨拶もなく、口調もカジュアルに「生きてるよ。」となってしまった。そうしたら何を咎めることもなく「とても嬉しいです。おはようございます。」と返事があって、本当に嬉しいのだなと思った。

 まず、なぜ私が生きていることが嬉しいのか判らない。私は、何度も書いているが親も兄弟も祖父母も従兄弟も叔父叔母もいない天涯孤独の身で、正直、寂しいなと思う。体調が悪いんだけど… などと話す相手も、山姥さんにになってしまっている。

 母が死んだのは今年の3月のことだが、その1年ほど前から、自分の頭から骨髄が粉になって出てきて空気中を舞っていて、それに触れると体調を崩すという訳の判らないことを言って私には会わなくなった。その粉に当たると機械も変になると言って携帯電話のアクセサリーから、実家に置いてある私の衣類から、すべて捨ててしまった。

 そして、自分が末期癌だと言って救急車を呼んではゴね、眠剤を服んで寝ている私に救急隊から電話が架かってきたり、母が住んでいるところの市役所から呼び出しを食らったりした。

 私は今でも、主治医が「僕だったら1週間寝っぱなしになる」と言うくらい強い薬を使っていて、普段、Fitbitの睡眠スコアが80を超えたことはないのだが、当時は96などという驚異的な数値を出していて、それでも憔悴し切っていた。私は、もう何年も「寝落ち」などしたことがなく、薬を服まずに眠ることは、まずあり得ない。

 なので、母が死んで事後処理が面倒というのはあるし、唯一の肉親なので寂しいには寂しいのだが、母が死んでホッとした部分というのもある。同様に、私が死ぬことでホッとする部分というのもあるのではないか、そう思っている。