遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

都税事務所と法務局と異様な緊張。

 今日も外出なので、外出前に、これを書いている。連休中、ずっと都税事務所と法務局に行かねばならないと思ったら緊張していられなかった。緊張の度合いは、入試などより、ずっと強く、保健師さん曰く、それは病気の症状だからとのこと。

 まず、都税事務所では固定資産税評価証明書の入手。法務局では法定相続情報一覧図の入手。ともに、相続税の申告と相続登記に使う。

 その相続登記なのだが、私が住んでいるのはマンションで、区分所有で建物が1筆、土地が3筆ある。さらに亡くなった母と共有名義になっているので、持分移転ということになる。この面倒な手続きが無事にできるのか不安である。

 実家は建物が1筆、土地が1筆で、父が死んだときも、けっこう楽に手続きができた。ただ、相続税は、母が実家に住んでいるので、母が住んでいるということだと税金が安くなる特例があるというのと、私が遺産をブン取るために嬉々として動いていると詰られたため法定相続にせず、ほとんど母が取るという遺産分割協議書を作った。

 そのため、父が死んだときは相続税の申告に税理士を使ったのだが、母は、「○×さんは役所に何回も通って自分でやったんですって、あなたは、税理士に、してやられて」と、また詰った。

 しかし、母が亡くなったときに○×さんに話を聞いてみると「ウチは法定相続にしたので相続税の申告はしなかったんですよ、ただ、相続登記のために何回も法務局に通いましいたけど」と言われた。

 結局、これも、母の勘違いというより、また、私を悪く見たいという思いから出た言葉だろう。相続登記を私がやったことなど認めたくないのだ。けっきょく、相続登記をやったことを評価したくなくて、相続税の申告に税理士を使うことを詰りたいのだ。

 そんな母がいなくなって、適切に処理ができるようになったはずである。それなのに、この緊張は何なのだろう。きっと、今日、帰ってきたら、今日やる必要はないのに、相続登記の申告書まで作ってしまうんだろうな。