遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

やっぱり理解されない。

 昨晩も1時間おきくらいに目が覚めた。目が覚めるたびにLINEでメモを取っているのだが「都税事務所で書類がない夢を見て恐怖を感じて目が覚める」などと書いてある。それだけのメモを残せる時間、目が覚めているのだ。

 そして、朝、目が覚めるとボロボロに疲れている。今日は、それでもスマートウォッチによると深い睡眠が1週間ぶり以上に1時間を超え、よく眠れているほうである。しかし、不安から来るのか焦燥感でジッとしていられない。

 ジッとしていられないので、ボロボロに疲れながらも、何とか起きる。しかし、起きたところで、焦燥感で何もできない。Facebookの投稿を読もうとしても、1投稿どころか1センテンスも読めない。

 それを訪問看護の私の担当者に言っても「気が紛れないのは皆、一緒です」「皆、いろいろなことに手を付けて気を紛らわせる努力をしているのです」と言われる。気が紛れないのではない、焦燥感が激しいのだと言っても「みんな一緒です」と言われる。

 みんな一緒ではない。私は、こんなに焦燥感が激しくないときは、本を1冊くらい、普通に読むことができた。それに物を書くことだってできた。文章を1センテンスも読めないのは、明らかに普通ではない。

 それを、「それが普通です」と言われると、どうして通じないのだろうと悲しくなる。昨日も、苦痛に耐える人生に意味があるのかと書いたら少しニュアンスの違ったコメントが来た。

 私の経験が、他人の理解を超えているのだろうか。それとも私の国語力が不足しているのだろうか。苦痛とともに不安になる。