遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

理解されない苦しさ。

 焦燥感が激しくてジッとしていられず、TwitterのDMで友達に相手にしてもらって何とか保っている。本当に焦燥感で文章どころか1センテンスも読めないのだ。
 それを、精神障害者地域生活支援センターの職員に話をしたら、PCやスマートフォンなどに向かっていては休まりません、PCを閉じて横になって目を閉じてくださいと言われた。
 しかし、横になっても焦燥感でジッとしていられない。そう言っても、横になっていられないということを信じてもらえない。
 訪問看護に、焦燥感で気が休まらないと言ったら、みな同じです、誰でも気が紛れないのですが気を紛らわせているのですと言われた。
 私は、もともと短気な性格ではないし、集中力もある方だと自認している。しかし、この、文章になっているのかどうかも判らないBlogのエントリーを書くのもイライラして、やっていられない。
 Facebookでも、更年期だと言われたり、楽しいことをしないから辛いことばかり目が向くのだと言われたりする。そして、それを否定すると軋轢が生まれる。
 当然、料理などできないので、食事は寓居マンション1階のコンビニに買いに行くことになるが、いきなり同じマンションの他の住民に「食事も作らずゲームばかりして」と言われたりする。
 そもそもゲーム機を持っていないしTVゲームなどしたことがない。それに食欲がないので食材を買っても、ほとんど食べないで終わってしまう。カップ麺にお湯を入れて食べることもできない。
 私が、気が狂って凶悪犯罪を起こしたら、彼らは、彼は短気で人の言うことも聞かず、服も着替えず家でゲームばかりしたとマスコミに話すのだろうか。
 そんなだったら、死んだほうがマシだ。そう思う毎日だ。