遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

毎日が苦しい。

撮影データ
日時:2024年03月07日・18時30分
ボディ:PENTAX K-3
レンズ:HD PENTAX-DA 20-40mm F2.8-4 ED Limited DC WR の30mm域
絞り:f3.5 (Auto)
シャッタースピード:1/60s (Auto)
感度:ISO 3200 (Auto)
(プログラムAE -2EV)

 

 こんなに苦しいのなら死んでしまいたいと思うほど、病苦ではないのに苦しい。いや、精神病で苦しいのだから病苦なのだろうか? さて、今日も通院。よって午前中に、これを書いている。相変わらず、夜、寝が浅く、迷惑Eメールの着信音で何回も目が覚めた。

 最終的に目が覚めたのが午前9時。しかし、どうしても起きることができないのだ。起き上がったのは午前10時半。もう、それさえも苦痛なのに、また嫌なことを思い出す。今の主治医の前に掛かっていた私がクズ医者と呼ぶ医者のことだ。

 朝、起きられないと言うと、一般の人は勤めがあるから無理して起きるんですと言う。私だってサラリーマンをしていたのだから、それくらい判ると言うと、またそういう嘘をと言う。

 心臓が針の筵の上で転がされている感じがして起き上がれないときも、ゴロゴロしたいために言い訳をするなと言われた。そして、夜、寝ようとしても、少しウトウトしただけで心臓がグサッと刺されたような気がして眠れない、それも夜更かししたいための言い訳と言われた。

 何度も書いているが、このとき、区の担当の保健師さんに会いに行ったら、髪の毛が総白髪になっていると驚きの声を上げられた。そういうことに目が行かない医者だ。今は独立してcalooなんかに広告を出し、良いレビュー以外は抹消しているが、Googleの口コミは封じ込められていない。

 曰く、儲け主義。患者の心に寄り添わない。その通りだと思う。良いレビューは、会話が野球のカヤのようで楽しいなどというものばかり。結局、大したことがない患者が、楽しい話をしに通っているだけなのだ。

 そんなことを思い出し、苦しさに輪が掛かっている。体調も悪い。しかし、これから通院なので、続きは帰ってから書く。本当は、それまでの時間に洗濯をしてしまいたいのだが、それもできないほど苦しい。

 で、帰ってきた。不安と苦痛に苛まれていると言ったら、何についてですか? と訊かれる。引っ越しをして、このまま同じクリニックや訪問看護が利用できるのか心配だと言うと、自分だって生きているとは限らないし、その時にならないとわからないことを悩むのは時間の無駄ですと言われる。

 診察時間は5分だったが、それでも今日は主治医と話した方だ。毎晩のように救急車を呼んでゴネながらも死ぬ直前まで自力で買い物に行って洗濯も自分でして外に干していた母と比べると自分は駄目だと思うという話はできなかった。

 まぁ、こうやって未消化のまま1日というのは潰れていくのだろう。訪問看護には敏感に捉えすぎなので、あまり考えないように言われているが、主治医にも同じようなことを言われた。家族も親戚も誰もいない私だが、孤独には、なかなか慣れない。

 

 

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