遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

メメント・モリと写真。

 今朝も午後5時半と、いつもよりは1時間遅い時間だが、悪夢で汗ばんで目が覚める。寝ている間から肩に力が入っているので肩から頭の付け根まで痛く、苦しく、無理してSNSにおはよう投稿をしたら、そんな短文でも誤字があった。

 今日は頭に響く音が多少、弱いので、楽だろうと思ったら、そんなことはなかった。明日、友人の弁護士と話し合いをした後、飲みになりそうなのでビールを飲んでみるが、とにかく不味い。すぐに飲むのを止めた。

 そして、明日、人に会うので、無理して4日ぶりのシャワー。酒の勢いというのもあるが目眩が激しい。そして、相変わらず寒気がする。寒気がするのに汗をダラダラかいている。ちなみに半袖で外出したら風邪を引いた。

 今日、閉幕するので、かなり無理をして東京都写真美術館「メメント・モリと写真」展へ。最近、死を忘れないどころか死と隣り合わせみたいな生活をしているので、少しでも生きるヒントになればと思った。ちなみに恵比寿四丁目のバス停で降りてビール坂を上ったのだが汗がダラダラ。

 

 「メメント・モリ」の訳としては、「死を想え」くらいがちょうど良いのではないか。自分の作品に、そう名付けている藤原新也さんが解説を書いていたのだが、そうは訳していなかった気がする(写真撮影禁止だったしメモを取る余裕がない)。

メメント・モリ

 

 荒木経惟は自分の妻に針を刺して写真を撮るような卑怯者だから端から相手にしていないが、特に、これといって目新しい写真家はいなかった。(ちなみに荒木に関しては、私の知っている賢いモデルは、その時点で荒木に近づかないようにしていた。)

 ただ、今回、最も死を身近に感じる写真は、意外にも、戦場の写真でも、大量の死斑が浮き出る死体の写真でもなく、牛腸茂雄氏の写真であった。そう思って見ると、代表作"SELF AND OTHERS"の"OTHERS"も、実は死であるかもしれない。

Self and Others(セルフ・アンド・アザーズ): 牛腸茂雄写真集

 

 そして、そう考えると、特に死をテーマにしなくても、常に「死を想」っていれば、それは自然と死は写真に投影されるのではないか。ものすごく久しぶりにカメラを持ち出し、そんなことを考えながら写真を撮ってみた。

 今も体調的に辛く、頭がガンガン痛むので、とりあえず写真だけアップする。展示を見る前と後で作風に変化があったら面白いなと思ったのだが、それはなかった。体調的な辛さもあるが、ブレや傾きなどが大きくなり、表現が、少し直截的になった。

 共通データとして、カメラはPENTAX K-3、レンズはHD PENTAX-DA 20-40mm F2.8-4 ED Limited DC WR、露出は合焦位置でスポット測光、プログラムAEか絞り優先オート。カスタムイメージは使っていない。トリミングもなし。JPEG撮って出し。



 ちなみに、帰りに行きつけの喫茶店に寄ったのだが、午前中、篠山紀信さんが撮影を行なったとのこと。かなりの高齢かと存じているが、良い歳の取り方をしているらしい。