遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

過敏な反応が続く。

 今朝というか昨晩も深夜に目が覚める。寓居の周りはタワーマンションの建設ラッシュだ。寓居もタワーマンションにするための立ち退きが決まっているが、汚部屋になってしまって、このままでは引っ越しができないのは既述のとおり。死にたい一因でもある。

 そんな周囲の工事の音だと思う、ジーッというような音がして、私はスマートフォンがバイブレーションしているのかと思って午前0時半に目を覚ましてしまった。スマートフォンはサイレントになっているはずだが、ひょっとして電話だけはバイブレーションにしてあるかもしれない、そう思った。

 また、一昨日、死や立ち退きをリアルに想像してしまったときのように、例えばBlog友達のBlogで生活保護を受けている人が、私より、よほどしっかりした生活をしているのを見ると、私なんか3食、買い食いだから生活できているようなものなので、駄目だなと思う。そして、自分が生活保護を受けるようになったときに生活できるのかと不安になる。

 もうキーボードを打つのがやっとになってしまった。横になってスマートフォンのフリック入力で入力しようとしたのだが、手が思うように動かない。何とかPCのキーボードに向かっているがミスタッチが激しい。例によって味覚もなく、苦しいばかりだ。

 そして、午前4時からはウトウトともできず、午前9時を過ぎても、あまりに苦しいので訪問看護のオンコールに電話。出た人は、恐らく、わざとだと思える、つっけんどんな対応。電話をして安心しているようじゃ駄目だと言われる。自分で何とかしないとというようなことを言う。

 なおさら苦しくなって、今度は訪問看護の担当者にSMSを入れる。そうしたら、すぐに折り返し電話があり、またお説教。自己解決力を付けないと、同じことの繰り返しで良くはなりませんよと言われる。

 担当者からは後にフォローの電話があり、オンコールは、何かすぐに対応しないと命に別状があるなどというときのもので、そこで対処法を提案しても、私が受けれ入れられないことが多く、なおさら私を苦しめると思うというようなことを言う。

 それでも担当者は色々と相談に乗ってくれて、それを、どうやって自己コントロールに繋げるかということですと言う。オンコールは緊急電話なので解決はできない、架けたって無駄です、解決は自分でしないとと締めくくられる。

 神経が持たず、果たして言わんとしていることが上記の通りなのか判らない。そもそも、きちんと聞けないのだ。電話をしながら、もう、イライラして受話器を置きたいという気持ちで電話をしている。自分から架けておいて勝手なものである。

 気を紛らわせようと、昨日から神経が持たなくて観ていない朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」を観る。ネット配信で観ているのだが、昨日は30秒、観ただけでイラっとして止めてしまった。また、それまでのあらすじも把握しているのか怪しい。

 昨日の「ちむどんどん」では、幼い暢子が東京の親戚の家に引き取られようとする(実際は東京へは来なかったのだが)シーンが回想として出てくる。それを見て、あぁ、幼い子供が親元を離れて東京に来るのは大変そうだなどと、またリアルに自分の身に映して感じてしまう。過敏になっている。

 そのくせストーリーは、全然、頭に入ってこない。今日の放送分のストーリーを言えと言われても判らない。ただ、人から話を聞くと、そういうストーリーだった気がする。

 しかし、本当にキーボードを打つのがやっとだ。これだけ変換前にミスタッチをしていると、きっと、文章の中でも誤字脱字が酷いのだろうなという気がする。また、これだけ誤字が多いと、恐らく、ミスタッチだけではなく誤った日本語を入力しているようでもあり、もう、無意識にキーを選ぶということはできなくなっている。

 さて、通院した。主治医には辛さを訴えるが、いつも薬の話で終わる。大幅に減らしたのと、ヒルナミンを3食後と寝る前に服んでくださいと言われる。帰宅途中、外国人と日本人のグループがいて英語を話していて、聞き耳を立てるが、聞こえたのは"my cup of tea"という言葉だけ。逆に帰りの電車でのアナウンスが癖のある女性の声だったが日本語に聞こえなかった。

 帰ってきたら頭痛がする。神経が張っているからだろうか。もう、目がショボショボしてPCの画面を見るのもキツい。神経が持たないので、今日は、この辺で止める。申し訳ない。推敲どころか読み直しもできない。

 今日の命の危機70%。午前中、いっとき死にたい気持ちが高まったが、今は収まっている。それよりも、この辛さを何とかしたい。むしろ、辛くて死にたい。