遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

今日1日のこと。

 小説を書くといって書けないままだし、今日は今日1日のことを私小説風に書いてみようと思う。しかし、これを書き始めた今は昼前だが、もう、今朝のことは記憶の遠くにある。

 

 今朝も早朝に不安で汗ばんで目が覚める。しかし身体は動かない。身体が動くようになって見たスマートウォッチの計測結果では睡眠の値が相変わらず低い。一昨日、臨時で受診して薬が増えたのに、もう何日も眠れない日が続いている。その結果、先の土曜日のように酒で寝るということになる。

 不安と死にたい気持ちに苛まされるが、保健師さんに電話をしようと思っても役所が開くまで3時間ある。取り急ぎTwitterで山姥さんにDMを入れる。DMを入れたときは必死だが、後から、朝、起きて1番の出来事が私からのDMを見を見ることとは嫌だろうなと思う。

 それからは、ひたすら耐える時間だ。不安が昂じると死にたい気持ちになってくる。山姥さんもそうだが、保健師さんに電話をしようと思っても、自分は保健師さんが言うように努力できているのかと不安になる。実際、汚部屋となった部屋の中は保健師さんが訪問してからも何も片付いていない。

 しかし、山姥さんも同志だから一緒に戦っている気持ちだと言ってくれるし、保健師さんも、冗談めかして僕の言うことを否定するということは僕を信用していないということですからねと言ってくれる。とりあえず、彼女らの方が他人を見る目は私より確かだろう。

 そして、時には汗ばみ、時には冷えを感じながら布団の中に閉じこもっている。午前8時を過ぎると山姥さんからもTwitterのDMの返信が返ってきているのだが、今度は、こちらが返信する余裕がない。勝手なものである。

 そして、午前8時半になって役所が開くと同時に区役所の支所の担当の保健師さんに電話をする。区の保健関係の改革か何かがあったようで、区役所の支所ではなく保健所に出勤する日もあるというが、今日も、その日だという。

 そして保健所に電話。打ち合わせ中なので折り返し電話をするよう伝えてくれるという。待つしかないので、ジッと苦しさに耐えている。この頃になるとスマートフォンを操作できるようになり、SNSにおはようの投稿をしたり、山姥さんにメッセージを返したりする。

 改めて私は勝手なものだと思う。こっちが返信できないときもあるのに、相手には返信に期待以上のものをしているのだから。そんな勝手な自分に嫌気が差しながら、しかし、やっぱり頼るところは、そこしかないのだ。

 午前9時4分になって近所のどこからかグォーンという機械の音がする。土曜も日曜もである。この音を聞くたびに、あぁ、外では人が働いているのに! と思い自分を責めてしまう。昔、区の施設の人に、みんな社会に貢献しているのにと言ったら、働いている人は、そんな崇高な目的を持っていませんよと言われたが、自分の食い扶持を何とかしているというだけで自分にとっては崇高なことに思える。

 時間は午前9時半を過ぎ、何とか起きられそうになってきた。不安と死にたい気持ちは変わらない。しかし、起きてしまえば何とかなりそうである。それに、訪問看護が午前11時に来るから、それまでに起きて朝食を済ませておきたい。

 起き上がって顔を洗う。髪の毛に櫛を通すと、もう1週間もシャワーを浴びていないのでフケがパラパラと落ちる。明日は通院なのでシャワーを浴びなくてはと思うが、これだけ汗をかくのなら、明日の朝、浴びた方が良かろうと思う。

 起きて睡眠の記録などをノートに転載し、PCでブラウザーを立ち上げWebサイトを一巡する。特に変わった情報はない。ポイントサイトでくじ引きなどをして終わりにする。

 そして、同じPCでネット配信されている朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」を観ていたら訪問看護が来た。今日の人は、良くも悪くも熱量が足りない人である。食事の内容などを訊かれ、電子カルテを見て昨日の訪問看護は○○さんとお酒について話をしたのですねと言う。実際は話をしたどころではなく私が叱られているようだったのだが。

 訪問看護が帰ってスマートフォンを見ると、区役所の支所からの着信履歴がある。保健師さんからだ。折り返し電話をするが、私の方が、朝、何を訴えたかったのか既に忘れかけている。言う前に話す内容をメモしてくださいねというのでLINEでメモしていて、幸い、PCにもLINEが入っているので、それを見ながら話す。

 保健師さんは、よくやりましたね、それがタスクリストや他のことに繋がっていきますからと言って褒めてくれた。しかし、自分としては、そんなに自分が言うことは整然としていないのかと戦々恐々である。

 そして、保健師さんは、3年前の自分と今の自分、どっちが良いと思いますか? と言う。3年前、自分がどうだったのか記憶にない。そう言うと、記憶にないほど悪いということですよね、と言う。たしかにそうだ。父が死ぬ前後のドタバタはともかくとして、その前10年以上の記憶がない。

 そして、電話をしていたら正午となる。昼食だが、何か食べるよりも、いっそ、文句を言われようとビールを飲んで寝たい。そのために、朝食をコンビニに買いに行ったついでに昼食を買ってこなかったのだ。

 外は熱中症予防のため外出を控えるようにと防災無線の放送が流れている。そのためか自宅マンション1階にあるコンビニに行っても、普段は正午を過ぎると物がないというのに弁当がほとんど残っている。私はおかずを摘みにできそうな弁当を買って帰った。

 そして、とりあえず、このBlogの現在進行形のところまで書いたら午後1時近くになってしまった。結局、迷いに迷った挙句、このBlogの過去のエントリーなどを見ると飲んだことを後悔しているので飲むのを止めて弁当だけ食べた。

 しかし、やはり寝たい。しばし横になる。横になると寒くて冷房を止めた。そして、これもやっぱり横になると恐怖が上がってくる。それでも何とか1時間以上は横になっていたようである。このまま寝ていても休まるのかと疑問に思って保健師さんに電話をしたのが午後2時50分、その後、10分、粘って、午後3時に起き上がった。

 外では雷が落ちる音がして雨音も凄かったのだが、起きたら狐の嫁入りがあったがごとく晴れている。そして、やはり疲れが取れていない。眠りたい。横になりたい。よほどビールに手を出そうかと思った。そして暑い。エアコンを再び付ける。この暑いという感覚が正常なのだろう。

 保健師さんには、こういうときは単純作業を勧められている。不要な書類を破って捨てるでもいいという。かくいう自分も父が死んだとき、実家で洗い物をして精神の均衡を保っていたと自分の小説に書いている。判っているのだ。体得しているはずなのに、できないのだ。

 何をしたのかというと、実家の公共料金の払込票などが溜まってきたので整理しようとした。しかし、そうしたら、今度は死にたい気持ちが上がってきてしまった。コンビニに行ってコーヒーを買ってくる。それでも駄目で、再び保健師さんに電話をするが離席中とのこと。今日は、もう2回も話しているので折り返しは架かって来ないだろう。

 とりあえず、判り切っていることとして洗い物をした。洗い物といっても前回、ビールを飲んだグラスが3つあるだけである。変なところから泡が立ったりするのが嫌なので丁寧に洗う。それでもあっという間に終わる。次に洗濯物を取り込む。寝室に室内干ししてあるのだが、寝室の電気が紐を引っ張っても付かない。カチッとスイッチが入らないので故障なのだが、直す気力が湧くどころか自殺したくなる。

 対処に困ってTwitter(プライベート・アカウント)でも呟いてみたらフォロワーさんに心配されてしまったので(ブロガーとしては無関係の人なのでメンションはなし)無闇に呟けないなと思う。役所が閉まる午後5時少し前に駄目元で再び保健師さんに電話をしてみるが、やはり窓口対応中とのことだった。

 これは少し手慣れた作業で、私は貰ったレシートを全て取っておき、それを足して家計簿にしているのだが、先月分の家計簿を締めてみる。予想というか通常より多い。内容は見ていないが、酒も控えているし寝る前の過食だろう。

 迷った挙句、明日、浴びる予定だったシャワーを浴びることにした。本当にロシア民謡「一週間」のごときスパンで生活する私には、明日、浴びられないと文字通り丸1週間以上、シャワーを浴びられていないことになり、外出は不可能である。1週間、着続けている寝間着も、もう臭い。

 シャワーを浴びようと思ったのは、シャワーを浴びるときの気分は、デフォルトで「死にたい」だからである。そしてシャワーを浴びる。タイムトライアルの気分で、可能な限り早く浴びる。今日は、いつも1週間浴びないときは髪の毛を2回、洗っているのだが、肌が荒れているので1回にした。そのせいか、いつもより早くシャワーを終えられた。

 そして、やはりシャワーを浴びながら死にたくなった。東京拘置所に入れられたときのことを思い出した。どの弁護士も訝しがるような案件で入れられ、それはつまり、被害者と検事の悪意によって入れられたといって良い。

 拘置所の風呂は朝日が当たる場所にあり、受刑者によってピカピカに磨き上げられていた。15分か何か時間制限があった気がするが、更衣は自室でして良いとのことだったので、比較的ゆっくり入ることができた。

 本来なら気持ちが良いはずなのだが、入浴の時間は朝1番で、私は前日からの眠剤が残って起きているのもやっとという状態で入浴していたので、そんなことを感じる暇もなかった。

 拘置所の医療状況は惨憺たるもので、拘置所の職員である看護師が勝手に薬を処方していた。私も普段、服んでいる薬は「即効性がある薬は出せないんですよ…」と言われ、与えられた時間に眠剤を服んでも寝付くのは午前3時という状態だった。効き始めるのが午前3時でも、起床時間は午前5時か6時だ。午前3時に効き始めた薬は、正午近くまで効いている。しかし、午前中は規則で起きていなくてはならず、午後にあるシェスタの時間で睡眠を取り返す有様だった。

 弁護士をやっている同級生が面会に来てくれたが、拘置所の何が問題って医療なんだよな… と言っていた。私の身体を案じてきてくれたのかもしれない。彼にも迷惑を掛けっぱなしで、半ば愛想を尽かされ始めている。

 風呂場を出て剃り残した髭をを剃り、髪の毛をセットしたら、もう午後6時を過ぎている。シャンプーが終わった状態でも髪の毛が「博士の愛した数式」の表現を借りれば√(ルート)のような状態なのに、明日はドライヤーを掛けなければ外出できないだろう。

 しかし、サッパリしたら死にたい気持ちも収まって、こうしてPCに向かって文章を書いている。後は寝るだけだ。最近、これをやり残すことが多いが朝の連続テレビ小説も観た。「カムカムエブリバディ」のときには英語というドラマの本筋とは違う楽しみもあったせいか(当方、神田外語を30年前に卒業)欲張ってラジオまで聴いていたのだが、「ちむどんどん」にはちむどんどんしない。

 夕食は、昼も遅かったので、ちょうどいい時間。最近、軽く済ませているので抜きたい気分がするが、最近、夜、眠剤を服んでからの過食が増えている。少し前までは山姥さんが夕食の時間まで気を配っていてくれたのだが、やっと自分のことに時間を割いてくれるようになって寂しいが嬉しい。

 そして、夕食が終わると午後7時過ぎ。私が眠剤を服むのが午後8時なので、もう1時間ない。明日は通院。早朝、寝不足で汗ばんで目が覚めるということがないといいのだが。今日も何とか生き延びた。そして、私は日記を付け、山姥さんと今日も生き延びたことを祝って1日が終わる。

 早朝、目が覚めるようになって良いことを強いて挙げれば、町が騒々しくなる前に蝉の鳴き声が聞こえることだ。私の家(部屋)は幹線道路に面しており、昼は騒々しくて蝉の鳴き声など聞こえない。それくらいだろうか。

 しかし、すでに、この時間に、また新たな死にたい気持ちが芽生え始めている…。