ふぉんとの話

死ぬまで生きる。その記録です。

不健康なところは人格というより病気の症状。

 私の担当の保健師さんの言葉。「fonttotoさんの不健康なところは病気の症状なんだよ」とのこと。あえて、原文のまま。私は他人に好かれない、それは人格に問題があるからだと思っていると私の方から言ったことを受けての話である。担当の保健師さんは私を他人に好かれる人だと言う。

 昨日も訪問看護の担当者から電話があって、何かと思ったら「あなたのような電話をしてくる人から最近、電話がないので何かと思って電話をした」とのこと。決して健康状態を心配して架けてきたのではないのだ。

 書いたように訪問看護にとって、精神は「みんな同じ」なので、電話をしてくるのは「忍耐力がないから」「構って欲しいから」であるというのが、その主張だ。なので、健康状態が改善したからではなく、他に理由があるから電話がないと思っているのだ。

 それでも、朝の連続テレビ小説ではないが、ここ1週間、37.4℃を超える熱は引いていない。それなりの苦しさ(風邪症状に近い)はある。かといって、それで辛いから何とかしてくれなどと私が電話をしたことは、いまだかつて、ない。

 私のネットストーカーなど、私の精神症状が辛いころの話ばかりを取り上げて、それを私の本性のように「人格が崩壊している」などと書いている。この訪問看護の態度について書いたときも「医師から厳しく当たるように引き継ぎがされているのに(そのような事実はない)素直に受け取れない崩壊した人格」などと書いている。

 それは自分の崩壊している人格の「投影」であることは、その幼稚な理論からも判る。ネットストーカーの父親が天皇を非難する理由として、単に戦時下の日本にいただけなのに、「天皇陛下のために命を捧げて戦ったのに」と、上記の医師からの引き継ぎのように、ありもしない事実を付加してしまう。命を捧げて戦ったはずの父親は出征していないどころか中学生であったそうだ。そういう矛盾を平気で書いてしまうところがバカである。

 しかしである。医療従事者(医療従事者は何で自分たちを「医療者」というのだろう、さながら魔法使いのように医療を扱う人のようだ)が「精神病は忍耐のなさ」というのは、どうだろうか。

 その理論で言うと、苦痛を訴える精神病患者は、すべて我が儘を言っていることになってしまう。そう主張する人は少ないかというとそうでもなく、私の前任の主治医など、看護師ではなく精神科専門医(指導医でもある)であっても同じであった。今でも変わらない様子はネットに書かれている。

 その前任の主治医には、心臓が針の筵の上で転がされている感覚があり起きていられないと言ったら、ゴロゴロしたいための言い訳と言われ、その感覚で夜も眠れないと言ったら夜更かししたいための言い訳と言われた。

 前任の主治医が起こしたようなものだが、ちょっとした問題が起き、警察官・検察官・弁護士が関わったことがある。苦しくて早く休みたく眠剤を服む時間が早まってしまったことについても、前任の主治医は「言うことを効かず眠剤を時間通りに服まない」と法的書類に書き、彼ら法曹関係者(司法警察員を含む)という「非医療者」から「何だ? そんなことも判らない医者!」と総スカンを食らった。

 結局、「医療者」であっても解らず屋というのはいるものであり、逆に、眠剤を時間通りに服まないのには理由があるはずと考える理論的な「非医療者」の方が理解があるということもあるのだ。