遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

ほんの一瞬。

 今朝も、いつも同様の苦しさがある。それでも、0.2秒ていどだったが、このままでは死ねないという思いが頭を ぎった。本当に短い間で言葉にするのが追い付かなかったのだが、昨日のエントリーを書くにあたって、こんな些細なことで苦しんではいられないという思いだ。

 病気を描き切る、苦痛を描き切る。その過程において、こんなことには負けてはいられない。そういう思いが、本当に本当に一瞬だが頭を過ぎった。このままでは死ねないと思った。書き切るまで死ねない、そして、まだ書き出してもいない。

 しかし、そうは言っても一筋縄に行かず、何やら色々と思うことがあって、今は魂の修行のようなものというアヤシい宗教なことも思ってしまった。

 

 そして通院。既述のように私の家の最寄りのJRの駅は田町駅で、通院先のクリニックの最寄り駅は新橋駅だ。

 JRだと交通費が勿体ないので田町駅から新橋駅までJRには乗らず、三田駅から新橋駅まで都営浅草線を使っている。東京都は障害者手帳を持っていると無料で都営交通の乗車証が発給されるのだ。

 私の家の最寄り駅まではバスで行くのだが、バスは田町駅前という名前のバス停なのに三田駅の側に着く。そして、ちょっと田町駅に用を足しに行ってから三田駅に行ったら都営浅草線は遅延しているという。

 電車が来る様子もなければ、さかんに振り替え輸送の案内をしているので、JRに振り替えた方が良いのかと思って駅員さんに問い合わせてみる。

 そうしたら私の乗車証は振替の対象とならないことなどを教えてくれて、どっちにしろ田町駅に行くのも辛いので、そのまま三田駅で電車を待つことにする。東京の地理をご存じの方は多いと思って駅名を書いているのだが、両駅の間は数百メートルもない。

 しかし辛くて、死ぬ気満々というと変な感じだが、そこに救いを求めるように渇望し、本当にプラットフォームドアがなかったら飛び込んでいたと思う。

 そして、無理してカメラを携えてきたことを悔やむ。健康な人から楽しむ努力をしていないというようなことを言われるので無理して持ってきたのだが、本当に無理をしたという感想しかない。

 そして、カメラを持っているだけで楽しんでいるように見えるのか、ヘルプマークを付けていたところで健常者の配慮する対象からは外れるようだ。ただ、遅延した電車なので座れないのは織り込み済みなのだが、混んだ電車で立ちっぱなしだったのに、そんなに苦しくはなかった。

 電車に乗った当初は発狂までは行かないもののパニックを起こしそうと思ったのに、2駅だけだが平穏無事に降車まで過ごせたのは、混雑率250%の時代に松戸の外れからお茶の水まで地下鉄千代田線に乗って学習塾通いをしていたせいだろう。

 そして無理して喫茶店へ。今日は電車の遅延があり、行こうかどうか迷ったのだが、これも義務を果たすつもりで来た。

 ハッキリ言って、楽しむ努力をしたところで、結果、楽しくはないのだから、それは努力の方向として正しくないのだと思う。そのくせ、周りには楽しんでいるようにアピールされてしまう。楽しくもないのに、楽しいことをしていると言われる。

 何よりも口惜しいのは、何かにつけて努力をしていないと言われることだ。これだけ楽しくないことについて努力しているのだから、そして苦痛にも鈍になっているのだから、嫌なことに対してでも努力はしている。

 そして喫茶店。カメラを取り出して写真を撮るが、大幅にブレボケした。普段は、それも心理描写のひとつと思って掲載しているが、それも憚られるほどだ。

 そして診察。何が原因かと訊かれ不安だと思うと答える。そして、何が不安かと訊かれ、昨日、訪問看護に話したことと同様なことを繰り返す。また悩んでも仕方がないことを悩みますねと言われ、ラツーダの代わりにレスリンが処方となった。

 そして薬局。レスリンは1日4回の処方だが一包化に入れないで良いのかと訊かれ、今まで処方されていた防風通聖散が入手困難なので他の薬で代用できないか疑義照会をすると言われる。

 自分が一包化や疑義照会をするわけではないのに、もう、それだけで苦しくなってくる。1日に4回も薬を服まなければいけないのかと、それだけで苦しい。人間としてのキャパが狭くなっている。これも、それが本来の私の器の大きさではないのに、昨日のクズ医者のように、それを私だと思っている人間がいることに腹が立つ。

撮影データ
日時:2020年11月17日16時10分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの18mm端
絞り:f3.5(解放)
シャッタースピード:1/50s(Auto)
感度:ISO 500(Auto)
(プログラムAE)


 やっと帰りになり写真を1枚。上の写真、まさにその1枚しか撮れなかった。ただ水平にカメラを構えることを心掛けて撮る。帰りも辛いが、帰ってきて少し余裕が出てきたように思う。そして、ぼんやりと、私のTwitterのフォロワーさんや、このBlogの読者のことを想う。

 コメントくれた人、最近、ご自身のBlogの更新がない方…。先日、自分のBlogに「良くないことを考える」と書いていらっしゃった方がいて、おそらく経験者しか感じないだろうが、かなり差し迫った感じを受けたので、思わず「生きましょう」とコメントしてしまった。

 今、思うと、なんと思い遣りのないコメントだと思う。それを読んだときの自分の悲しい気分など、まったく伝わらない文章だ。ここで、どんなに悲しく思ったのか、相手に伝わるよう、切々と語るのが私らしいと思う。しかし、それができなかった。

 他方、それにより、私が死ぬ思いをしているとき、読者の方は、どんな風に思っているのかも類推することができた。決して大袈裟にならず、卑下もせず、それを切々と語るのが私らしいと思う。苦痛を感じて矮小化してはいられないのだ。

 順番が前後するのかしないのか判らないが、これからも書きたい、そのためには生きたい、そう思うことが、ほんの一瞬だがあったのが、今日の出来事だ。命の危機は少し引いて67.5%。今日こそ休まないと明日は死にそうだ。

 

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かなり思い詰めた。

 苦しんでいたら夜になり、慌ててカメラを真っ黒な空に向けてシャッターを切った。川上未映子さんが「すべての真夜中の恋人たち」で、空を見上げるというのは二重形容になるというようなことを書いていたが、真っ暗な夜空というのも二重形容になるのだろうか。

撮影データ
日時:2020年11月16日17時10分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの270mm端
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/5s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)


 せっかくBlogにコメントを貰えて嬉しかったのに、朝、こんな苦しみが続くのなら死のうと思い詰めた。

 どうして、こんなに苦しいのだろう。昨晩は、やはり苦痛に苛まれて何回か目が覚めたものの、頭の中で金属の紐がこすれているような音がする感覚はあるが、肩を激痛が走るということや他の肉体的な苦痛はなかった。それでもFitbitスマートウォッチを見ると脈は130を超えている。

 それからも乗り物酔いのようなダルさもあり、発狂しそうに苦しく、思わず訪問看護の月曜日の担当者に電話をする。昨日よりは落ち着いた印象を受けると言われるが、昨日、話したことが既に記憶にない。苦しい記憶に上書きされてしまっているのだ。

 他、色々と苦しみながら考えたのだが、昨日か一昨日も書いたように、苦しくて書けなかった。苦しくてスマートフォンを触ることもできず、Twitter(@fonttotoではなくプライベートのアカウント)でも触りていどもツィートできなかった。

 今日も訪問看護がある。何回か同じことを書いているが、私は週に3回、月曜日・水曜日・金曜日に訪問看護を受けていて、月曜日は私が担当者と呼ぶ私と同年代(アラフィフ)の女性、水曜日は年配の女性、金曜日は若い(30歳代なかば)男性である。

 今日の看護師さんは、来るなり「今日は良いお天気ですね!」と言ったが、私が、それどころではないことに気が付いた様子。先週に比べてお加減が良くないようですがというようなことを言ったが、そういえば、先週、この人は私の調子が良いと思って5分で帰って行ったのだっけ。

 何が心配ですか? と言われる。多すぎるが、とりあえず、直近では今週の土曜日に排水管の清掃が来るが去年の排水管の清掃から1回も掃除をしていないこと、来週の月曜日に税理士と相続税の申告についてのミーテイングがあることなどを話す。

 排水管の清掃については業者は慣れていますからと言われるが、そう簡単に言ってもという感じですよね… と先んじて言われる。それでも、他人に、どう思われるかというのは、あるていど割り切れるようになった。

 税理士のことについては何を言われたのか忘れた。これについては区の保健師さんに、父が死んだときも遺産分割協議書から何から自分で作って申告もできた実績があると言われるが、体調的には、当時より、かなり悪化していて、それが考慮に入れられていない。

 看護師さんは、今日は20分ほどいて、ゆっくり横になって休んでくださいと言って帰った。しかし、焦燥感というよりも、もっと肉体に由来しそうなジリジリした感覚がして休まらないのだ。

 明日の通院に備えてシャワーを浴びようと思うが浴びられない。先週、散髪に行くので無理をして浴びて以来、顔も洗えていない。顔も全面が“あかぎれ”のようになって、さらにニキビのように化膿している。

 また、シャワーを浴びていないので股間に汗が溜まり、そこも ただ れている。しかし、どうしてもシャワーが浴びられくて苦しい。ここで思い出すのが前任のクズ医者のことだ。このことも思い出すと辛くなる思い出だ。

 私は週に1回、それでも診察のときは無理をしてシャワーを浴びて行った。当時は心臓が針の筵の上で転がされているような感覚がして食事も摂れない状態なのにだ。そしてカミソリ負けしたところの肌が浮いて泥棒ヒゲのようになったのだが、クズ医者はシャワーを浴びないからだと言い放った。

 今もシャワーを浴びるのは同じ頻度であるが、そのような事態は起こっていない。また、このクズ医者は、脈が200bpm、血圧が300㎜Hgを超え「消防庁が」血栓症と判断して救急車を手配したときも、「こうやって普通のときもあるということは心臓病の訳がないんですよ、そんなことで救急車を呼ばないでください」と、私の言うことは何も信用しないのだ。

 なんか書いていて苦しくなってしまった。この医者は、他人がエッと驚きの声を上げるのに3ヶ月で総白髪になった(と他人に言われたが本当に3ヶ月で総白髪になるのか本人も半信半疑だ)のにも気付かず、シャワーが浴びられずに苦しいと言っても、そうやって苦しさの演技をしないで無精しないでシャワーを浴びくださいと言う。

 社会人は「面倒でも」次の日に人に会うからシャワーを浴びるのですと言うので、私も社会人だったので毎日、浴びていましたと言ったら、私がサラリーマンだったことも嘘だと言われた。そもそも、心臓の痛みがないときは普通に浴びていて、そういうときあると言うと、クズ医者はまたまたシャワーを浴びたという嘘を… などと言う。

 なんか思い出しただけで苦しくて書けなくなってしまった。結局、私は主治医を変えた。クズ医者は都立病院の勤務医だったから医療機関ごと変えた。それも、すでに主治医がいる患者本人が転院を申し出るのは医者と揉める患者だと見做されるので転院先が見付からず大変だった。

 今は見ての通りの苦しさはあるが、心臓が針の筵の上で転がされているようなという激しい身体症状はない。クズ医者が私は病気ではなく怠けだと言って全て薬を止めてしまったのだが、薬が再開してから落ち着いている感じだ。

 クズ医者については、今の主治医に、こういう嫌な思いをしたと話したら、私は症状に謙虚に耳を傾けるように心掛けていますと言われた。今は都立病院から独立して、その都営病院の近くに開業しているクズ医者だが、その独善さと調子の良さはネットの口コミで散見される。本当に患者に刺されて死ねばいいと思う。

 苦しいのに芋づる的に思い出されるので考えるのを止める。思い詰めたが思い直したのでトータルで見ると今日の命の危機75%。

 

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ごめんなさい、苦しくて書けない。

 それでも1枚だけデスクからだが写真を撮った。

撮影データ
日時:2020年11月15日17時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの105mm域
絞り:f5.6(Auto)
シャッタースピード:1/13s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)


 苦しいときは言葉を失くす。午後3時ころ? に寝床から書けるだけ書こうと書き始めた。これだけの苦痛に耐えるのなら死にたい。そして今は夕食時を過ぎて、やっと起き上がったがボロボロに疲れている。なんで身体を使わなくてもボロボロなんだ。

 毎日、毎日、似たことを書いているが、今日も寝ている間から苦しむ。しかし、目が覚めても苦痛で、横になっていたいのに脳内でアカシジアが発生しているようにジリジリしてジッとしていられず。さらに今日は車酔いのような倦怠感と吐き気がある。

 無理してシャワー浴びようとするが無理は無理。しかしシャワーを浴びて風呂場で倒れて白骨化してしまう状況をリアルに想像する。そして昨日、引用した文章を思い出して、それだけでも自分の人生は無駄でなかったと思おうとする。

 本当に死にたいと思う。今日の命の危機90%。よく生きていると自分で思う。優しい言葉を掛けてくれたら泣くかもしれない。

 

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訪問看護に苦痛を悟られる。

撮影データ
日時:2020年11月14日17時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの190mm域
絞り:f6.3(Auto)
シャッタースピード:1/15s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)


 今日も起き上がったのは日没過ぎ。どこにも行けないので写真は相変わらず自分のデスクから見た東京タワー。今日は訪問看護が来た。私が担当者と呼んでいる月曜日の看護師さんだ。

 先週の金曜日の看護師さんのことについては話した。緊急の電話に架けてくるなと言われたが苦しくて連絡先が調べられないこと。それは即ち通常の電話とは言えないと思えること。苦しいと言っているのにInstagramのフォローについてなどを話すのは止めて欲しいこと。それこそ緊急ではないのだからInstagramのメッセージ機能を使って欲しいこと。

 今日の看護師さんは無言になって、また何か圧力を掛けたいのかなと思ったが、しばらくして、それ以外にご要望はありませんかと言う。ご要望も何も…。この人、社内的には偉い人なのか、社員のことばかり考えている気がする。今日も、それでは店舗の代表番号に架けられないようでしたら私の電話に… と言うが、今も自分の電話に架けてきても良いですよと言っているし、会社的にも、ひとりで抱えてしまって大丈夫かと思う。

 買い物に同行してくれるというので歩いて5分しないスーパーマーケットに買い物に行った。ちょっと無理をしたなという感があるが、飲むものがない(食べ物はコンビニで買っているが、飲み物などは価格が1.5倍も違うので、さすがにコンビニでは買えない)ので、行けるときに行かないと。

 途中、会話がなくなった。私が話す余裕がなかったのか、ちょっとその辺は覚えていないのだが、なんか看護師さんを案じさせてしまったようで、無理に誘ってしまったかもしれないと心配していると言われた。

 そして、やはりプロだなと思ったのは、脈拍数も上がっていると思いますから横になって休んでくださいと言われ、自分では意識しなかったのだが、Fitbitスマートウォッチを見たら138。言われればそうかもという自覚すらないのに、凄いな、判るんだ…。

 そして横になるが、やはり気分が回復せず、午後5時過ぎまで起きられなかった。よって、もう、寝る時間が迫っている。そのような訳で、今日は、あまり主義主張がある内容は書けない。〆て十階の身の上、みたいな口調になってしまった。

 ちなみにプライベートの話をすると、空き家になった実家の植木の伐採を友人の弁護士に依頼しているのだが、業者の選定が終わって幾ら幾ら掛かるという話は聞いたのに、今日になって実家の隣家から無事に終わりましたと礼のSMSが入った。金を払っていないのに、どうなっているのか。

 それと関連して思ったのだが、私は妻子もいないし兄弟も従兄弟も叔父叔母もいないのだが、先週の土曜日に行った床屋さんも奥さん亡き後は弟さんと連絡を取っているというし、そういう係累がいないことによるディスアドバンテージみたいなものをヒシヒシと感じる。

 今日の命の危機は65%。生死うんぬんより苦しさが激しい。

 

P.S. 昔のBlogの読者の方が書いてくださったnoteの記事が、なぜかコピペして残っていたので読んで泣いている。この方も、投稿みならずnoteだけでなくTwitterのアカウントも消して去ってしまった。どうして、私はいつも、こうなるのだろう。

 無断引用になるが、これを読んで私だと気づいてくれると良いな。私のことを「誠実で努力家で聡明」と最大級に褒めてくださっているが、私のBlogの読者は優しさと聡明さを兼ね揃えた方が多いので筆者が救われている。

 蛇足ながら書かせてもらうと、私は言葉にできるから聡明みたいな褒め方をされるが、聡明というのは、立て板に水のように頭が働くということだけではない。このタイミングで、この言葉を掛けるというのがピタッと来るとき、やはり、その人は聡明だと思う。

 だからこそ、それを馬鹿にするネットストーカーが許せないのだ。ちなみにネットストーカーは、この方の私への賛辞をわざわざ本人曰く誹謗中傷のための文章のタイトルに論って馬鹿にしたことがある。

「グリーフワーク」
(素敵なペンネームなのですが名前は伏せます、いや、書いた方が良いのか?)
2019/02/18 00:33

「自分を愛する」と決意しても簡単には自分の現状を肯定できなくてその難しさにつまずく。
悪い記憶ばかり芋づるのように浮かんで誰にも受け取られず脅迫感や不安の嵐に押しつぶされる。
何の解決にもならなくて自分を責めてしまう。
逆戻りしてるんじゃないか、前の自分の方がもっとちゃんとしてた!と、焦ってしまう…
私自身はこういう経験がありますが、同じ感じですかね…
でも、この自分を鉄条網で縛り上げる思考に反して、そうせざるを得なかった理由が次から次に出てくるって、それだけ苦しかったんですから当然だと思います。あと、実は自分を愛する決意がうまくいったからこそ溢れ出てきた気持ちだったりするようです。
その感情こそが私がざっくり「命」と呼んでるものですが、自分を愛する作業はそこからが重要です。
その感情を適切に受けとってもらえたいう実感がなければその渇望はやまないし、命は次に進む道を失うんですよね。
誰が受け取るって、最終的には自分が受け取る事が必要なんですが、1人では難しいと思いますし、「シュリンク」や、仲間の支えが大切なんじゃないかと思います。
私は読者であり続けます。
うまく受け取ったり返答する能力は私にはないし、医療者とかそういうのじゃないから適切ではないところもあると思いますが、友達として読者として、何度でも読みますから何度でも書いて下さい。
「自分に対する裏切り」という言葉は、その苦しかった 悔しかった感情が湧き上がる事や身体が動かせない現状や買ってしまう渇望を、否定したり押し込めたり責めたりする事ですよね。
書けないとか起きれないとかではないです。
それらの命無くしてYさんはあり得ないのですから。
目一杯抱きしめ、嘆いてあげて下さい。グリーフワークという作業だったと思います。
最初はぎこちなくても、何度でも何度でも繰り返し、自分の思いを噛みしめる。そして書く。読んでもらう。
実はこの作業、これでもかってほど続くんですけどね。でもせっかく生きてきたこれまでの時間、これからの時間。良い方向に進み続けてほしいです。
私は精神がどん底の人と友達になると決める時に決意してることがあります。
嫌われたりトラブルになってしまっても、その人が生きてさえいればいい。
そういうつもりで友達になるんだと。
ご自分を1番大切にしてくれたら良いのです。それが読者の私への誠意だと思って下さい。
長々と一方的に書きましたけど、誠実で努力家で聡明なライターさんが、自分の心が納得する方向へ進んでいく姿を、これからも見させて下さればと思います。

 

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死という選択が現実的になるとき。

撮影データ
日時:2020年11月13日16時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの270mm端
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/6s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)


 昨晩から、また眠れず、目が覚めても苦しくて仕方がない。少し前の寝ている間から水の中にいるような汗をかいていたときからの影響で、肩から首にかけて激痛が走り寝ていられず、夜、何度も何時間も目が覚めた。昨日の散髪時から嫌な汗も引かない。

 かといって起きようと思っても辛くて起きられない。痛くない片頭痛というか、かき氷を食べて頭がガンガン痛いときの痛みだけがないような、バランスを取るべき痛みのない変にヘラヘラしたような感じがある。何とも変な感覚で発狂しそうだ。

 横になったまま色々と考えた。考えながらリアルタイムで書けないが、書けなくても考えた内容はソロー並みだと思う。以前、私が書いていた雑誌に自殺した人の遺稿が載ったが、書いている人が若かったこともあり、実際に筆記できるかどうかは別として、その人が考えたことは甘いことのように思える。

 私は、相手を思いやる力が人間としての力を作ると思っているのだが、もう、苦しんで苦しんで人間として成長して止まない気がする。だいたいのことが小さいなぁと思っていられるのだが、ネットストーカーからの嫌がらせは、そう括れない。

 さて、今から20年くらい前だと思うが、私は自殺未遂を経験している。「だと思う」というのは、人生、波乱万丈すぎて、いつのことだという記憶がないのだ。そのときは服毒(過剰服薬)をした。服毒して1ヶ月、誰にも発見されず、薬が抜けてから1時間かけて歩いて地元の公立総合病院に行った。

 起きたらトイレから酷い刺激臭がしたが、それを医師に話したら、おそらく、毒は数人分の致死量だから無意識のうちに水を飲んで尿として流してしまっているのだろうとのことだった。当時は死ねる薬が普通に処方されていた。そして皮膚の壊死だけが残った。

 全身麻酔での手術となり、これも、やはり当時は精神的には安楽だった記憶があるが、親が我が儘で私だけでなく医師に迷惑を掛けたりしたこともあったりしたせいか、なぜか今になると思い出すのが苦しくて、あまり詳しく書けない。酷い傷跡が残っている。

 このときのことも、ネットストーカーは、Twitterで、自分に注意を向けない親への批判から自殺したのではないから発見しなかった親を恨むのはお門違いという、それこそお門違いなDMを大量に投げてきた。

 精神状態が悪くてブロックする余裕もなく、とにかくメッセージを片っ端からTwitterに報告して、それでも、凍結されても凍結されてもネットストーカーは本名でアカウントを新たに作ってDMや@ツィートを投げてきた。今でもネット上に幾つも残っている。(転載しようとしたが怖くて止めた。)

 現実的に死のうと思ったときのことを書こうとして話が飛んだ。先日、訪問看護(金曜日の若い男性看護師)が来たとき、肌に不調を来して、この傷口を見せたのだが、どうしたんですか? と言われて自殺未遂したと答えた。

 傷口を見せたのは初めてだが、自殺未遂したことは以前に何度も話してある。そして、いつのことですか? と訊かれ、20年くらい前の精神状態が悪かったときと答えた。そうしたら「精神状態が悪いときに誤った判断をしますからね」とスパッと言われて終わりだった。

 ウチに電話を架けてこないのは区の保健師さんのプライベートの電話番号を知っていて架けているに違いないと言うくらいだから(しかも「だって構って欲しくて電話をするんでしょう?」とも言った)きっと、自殺未遂したことも軽いオーバードーズを大袈裟に言っているくらいに思ったのだろう。

 そのときの私の気持ちに寄り添うどころか、誤った判断と一刀両断して終わりなんだ。今でも死のうと思っているのですが、これは精神状態が悪いゆえの誤った判断なんですかね。そういうことは言えない状況だ。

 なんか書くのも辛くなってきたので、今日は、これで。今日の命の危機85%。

 

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西部戦線異状なし。

 今日も苦痛とともに目覚める。疲れて眠りたいが眠っているのが苦痛だという有様で、かといって起きることもできない。一種のダブルバインドだ。

 今日は、それでも8月24日以来に散髪に行ったし、落下させてしまったがカメラを携えて出掛けることができた。それでも命の危機90%。

 散髪の途中、シャンプーの刺激で物凄く痛くて、しかし、そのまま洗わずにシャンプーを落とせとも言えずに苦しんだりもしたが書かない。

 しかし、散髪に行った、カメラを携えたという話を「西部戦線異状なし」というメッセージのように聞いて安心する人がいるであろう。

 

 単なる戦争映画ではなく、どうか原作を読んで「西部戦線異状なし」というタイトルに込められた思いを感じて欲しい。人が消えていくときも「異状なし」だ。

 ちなみに、人間、死ぬ気になれば何でもできると言う人がいるが、死ぬ気になったら死ぬことしかできない。

 今日、落としたカメラで撮った1枚。幸いカメラは壊れていないようだが、写真の色調が明るいのは「西部戦線異状なし」が如くだ。

撮影データ
日時:2020年11月12日17時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの45mm域
絞り:f4.5(解放)
シャッタースピード:1/80s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

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訪問看護、断れば良かった。

目次

撮影データ
日時:2020年11月11日17時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの105mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/100s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

前書き

 午後4時になり、起きられず食事も摂れず、寝床でスマートフォンから書き始めた。食べるのも寝るのも回復も快楽も得られず苦痛で死にたい。カメラを取り出すのがやっと。露出もアンダーだが、撮れるまいと思っていた写真を撮れたのは奇跡。

 昨日、今日は銭湯に行き数ヶ月ぶりに散髪に行く予定だった。死の間際にいたときもカメラを携え銭湯に行っていたのに、今はそれができない。死を想うというより切実に死を感じる。相対的に今日の命の危機90%。

 

本文

 動けないので、困って、訪問の1時間前になり、スマートフォンの電話帳に登録してある訪問看護の緊急連絡先の電話番号に架けたら、訪問に来た看護師さんに時間変更は店舗の固定電話にお願いしますと言われた。電話をするのも苦しいのに、そんなもの調べられない。そして、どうしようという話は緊急でないどころか時間変更なんだ…。

 血圧が102/40だったのに何ともないと言われた。月曜日の、私の担当者だったら? と思い帰宅後にSMSをしてしまった。金曜日の看護師さんは若い男性(といっても30歳代半ば)なのだが、かつて、私が苦しんでいるのに、訪問看護の緊急の番号に電話をしてこないというのは、区の保健師さんのプライベートの電話番号を知っていて、そっちに架けてるんだろうと言って来た(ちなみに知らないし架けていない)人である。

 また、別に急ぎでもないのに、先日の写真をInstagramにアップして良いのかと訊かれた。フォロー許可ありがとうございますと言われたが、だったら、それこそ緊急ではないんだから無理して起きて苦しんでいる人を目の前に言わずにInstagramのメッセージで送れば? と腹が立った。他にも不愉快なことを言われ、今の私には不愉快では済まない。

 

私小説のご紹介

 昨日のエントリーが長時間、読まれているので、こちらを紹介すれば良かったと思う。3年前、父が死んだときに書いた私小説です。

kakuyomu.jp

 

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