遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

死という選択が現実的になるとき。

撮影データ
日時:2020年11月13日16時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの270mm端
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/6s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)


 昨晩から、また眠れず、目が覚めても苦しくて仕方がない。少し前の寝ている間から水の中にいるような汗をかいていたときからの影響で、肩から首にかけて激痛が走り寝ていられず、夜、何度も何時間も目が覚めた。昨日の散髪時から嫌な汗も引かない。

 かといって起きようと思っても辛くて起きられない。痛くない片頭痛というか、かき氷を食べて頭がガンガン痛いときの痛みだけがないような、バランスを取るべき痛みのない変にヘラヘラしたような感じがある。何とも変な感覚で発狂しそうだ。

 横になったまま色々と考えた。考えながらリアルタイムで書けないが、書けなくても考えた内容はソロー並みだと思う。以前、私が書いていた雑誌に自殺した人の遺稿が載ったが、書いている人が若かったこともあり、実際に筆記できるかどうかは別として、その人が考えたことは甘いことのように思える。

 私は、相手を思いやる力が人間としての力を作ると思っているのだが、もう、苦しんで苦しんで人間として成長して止まない気がする。だいたいのことが小さいなぁと思っていられるのだが、ネットストーカーからの嫌がらせは、そう括れない。

 さて、今から20年くらい前だと思うが、私は自殺未遂を経験している。「だと思う」というのは、人生、波乱万丈すぎて、いつのことだという記憶がないのだ。そのときは服毒(過剰服薬)をした。服毒して1ヶ月、誰にも発見されず、薬が抜けてから1時間かけて歩いて地元の公立総合病院に行った。

 起きたらトイレから酷い刺激臭がしたが、それを医師に話したら、おそらく、毒は数人分の致死量だから無意識のうちに水を飲んで尿として流してしまっているのだろうとのことだった。当時は死ねる薬が普通に処方されていた。そして皮膚の壊死だけが残った。

 全身麻酔での手術となり、これも、やはり当時は精神的には安楽だった記憶があるが、親が我が儘で私だけでなく医師に迷惑を掛けたりしたこともあったりしたせいか、なぜか今になると思い出すのが苦しくて、あまり詳しく書けない。酷い傷跡が残っている。

 このときのことも、ネットストーカーは、Twitterで、自分に注意を向けない親への批判から自殺したのではないから発見しなかった親を恨むのはお門違いという、それこそお門違いなDMを大量に投げてきた。

 精神状態が悪くてブロックする余裕もなく、とにかくメッセージを片っ端からTwitterに報告して、それでも、凍結されても凍結されてもネットストーカーは本名でアカウントを新たに作ってDMや@ツィートを投げてきた。今でもネット上に幾つも残っている。(転載しようとしたが怖くて止めた。)

 現実的に死のうと思ったときのことを書こうとして話が飛んだ。先日、訪問看護(金曜日の若い男性看護師)が来たとき、肌に不調を来して、この傷口を見せたのだが、どうしたんですか? と言われて自殺未遂したと答えた。

 傷口を見せたのは初めてだが、自殺未遂したことは以前に何度も話してある。そして、いつのことですか? と訊かれ、20年くらい前の精神状態が悪かったときと答えた。そうしたら「精神状態が悪いときに誤った判断をしますからね」とスパッと言われて終わりだった。

 ウチに電話を架けてこないのは区の保健師さんのプライベートの電話番号を知っていて架けているに違いないと言うくらいだから(しかも「だって構って欲しくて電話をするんでしょう?」とも言った)きっと、自殺未遂したことも軽いオーバードーズを大袈裟に言っているくらいに思ったのだろう。

 そのときの私の気持ちに寄り添うどころか、誤った判断と一刀両断して終わりなんだ。今でも死のうと思っているのですが、これは精神状態が悪いゆえの誤った判断なんですかね。そういうことは言えない状況だ。

 なんか書くのも辛くなってきたので、今日は、これで。今日の命の危機85%。

 

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