遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

私は駄目人間なのか。

撮影データ
日時:2020年11月09日17時00分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの37mm域
絞り:f4.5(解放)
シャッタースピード:1/25s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)


 雑な写真で申し訳ない。ここのところの精神的苦痛で疲れているのだと思う。久しぶりに中途覚醒はないが、朝から、どうも動く気がせず、かといって横なっても何かせねばと気が焦って横になっていられない。

 数値上は眠れたせいか、頭の中で金属の紐が擦れるような音がする感覚が少しあるが、それ以外の苦痛はない。訪問看護が帰って、昨日、間違えて購入した微アルコール飲料というものを飲んでみる。

 それで少しも弛緩すればと思ったのだが、逆に神経が昂って頭の中で鳴っている音が一瞬、大きくなり、後悔した。しばらくして和らいだものの、一向に焦りはなくならないし、ダルくて重い感じもなくならない。

 今日は訪問看護は毎週水曜日の看護師さんで、私が担当者と呼んでいる月曜日の人より元から淡泊ではある。それでも、今日はバイタルサインのチェックを含めて5分で帰っていった。バイタルサインのチェックは注射や採血のようにベテラン芸ではあるけれど。

 今日も外出に誘われるが、そんな倦怠感があるというか動く気がしないというか、よく説明できない気分なので断った。

 それでも外に出なければという気分もあり、その気持ちが強いことも話したのだが、ゴロゴロしていたいのなら、別にいいですよと言われる。先週のように連れ立ってという感じではなかった。

 そして、ゴロゴロしてというより午後4時過ぎまで苦しんでいたのだが、これをゴロゴロしていると言われるのは遺憾だ。

 寓居は6畳弱の部屋が3部屋で構成されており、1部屋は台所で人を通していて、他に和室と洋間が1室づつあり、和室には汚部屋となり畳むこともできないので万年床が敷かれていて洋間には机が入っている。

 この看護師さんに初めて訪問を受けたとき、当時は、まだ、こんなに精神状態が悪くはなく、毎日8時間ていどは机に向かっていたのであるが、普段は和室でゴロゴロしているのですか? と訊かれて腹が立った。

 また、私がクズ医者と呼ぶ前任の主治医は、心臓が針の筵の上で転がされているような激痛を訴えたとき「のたうち回っている人の方がゴロゴロしている人より偉いということはありません!」(だから苦しい演技は止めろという意味か?)と怒鳴った。

 どいつもこいつも、私が黙っていればゴロゴロしていると思っていて腹が立つ。

 しかし今日は、ゴロゴロしていたいとは思わないが、とにかく起きているのが辛くて仕方がないのだ。しかし、その辛さも、言葉にできなければ、ないも同じである。

 横になって、せめて、できることと思いNHKの朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」を観た。ちょうど、主人公が人力飛行機で世界記録に挑戦する場面であったが、すでに私の心は折れていて、横になってスマートフォンアプリで見ていたのだが力が抜けた。

 本当に、何もする気力が湧かない。する気力が湧かないというより、何をするのも苦しい。そして言葉で表せるような具体性はない。ひょっとして、これが私の本来の性格で、私は駄目人間なのではないかと思い、なお苦しい。それでも死のトリガーとなることはなく、命の危機60%。

 

 ランキングサイトに参加しております。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ