遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

通院の記録(2022年11月10日編)。

撮影データ
日時:2020年11月10日14時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの125mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/10s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

目次

 

 今日も眠れず、しかし苦しくて起き上がれず、正午過ぎまで、のたうち回ていた。そんな調子で昨日はロクに物も書けず落ち込んでいたらBlogにコメントを貰えた。そういうときにコメントを貰えると本当に救われた気がする。お読みいただいただけでも有り難いのに、本当に有り難うございます。

 そういえば、私が、このBlogを開設したのは今年の4月で、それ以前からお付き合いのあるBlog友達もいるが、このBlogからのお付き合いの方は私の来歴などはご存じないのだなと思った。以前のBlogは未だに名Blogだったと絶賛してくださる方がいるのだが、ネットストーカーに襲われ廃止となった。

 具体的には○○心理士という肩書を使って散々と私を「噓つき野郎」と書き散らかしたので、○○心理士を名乗るKという人物に「嘘つき野郎」と書かれていると書いたら、その資格を授与する協会が、弁護士を使って「資格が『噓つき野郎』だという印象を与える」という、よく判らない理由で名誉棄損で訴えるぞと脅してきたのだ… と、脅してきたと書いたら、それも名誉棄損だと言われたんだっけ。

 私も法律家、その他Blog友達とも話し合ってきたのだが、争ったところで相手の勝ち目はないが、長引くし、それで私を兵糧攻めにしようというつもりだろうというところで私は手を引きBlogを廃止することとした。ネットの掲示板にはスラップ訴訟に当たるのではないかとも書かれていた。

 さて、そのネットストーカーが、私が通院したことについて書くと、たとえば主治医に薬は効いているのかと訊かれて実感がないと答えたと書いただけで、薬を出せと不当な要求をしているとか情報操作をしているとか、それこそ嘘をデッチ上げて書くのだ。なので、長らく私の通院および来歴に書くのは少し躊躇していたのだが、今日の通院から、徐々に書ければいいなと思う。

 私は先日、自分で変なことをしてるなという自覚があると書いたが、ネットストーカーは自分で変なことを書いている実感がないらしく、私のこと以外についても本人曰く「イチャモン」を自分のBlogに書き、それを「サカナ」・「ネタ」と呼ぶ元のBlogのコメント欄にURLを張り付けては変人扱いをされ削除をしを繰り返している。

 これも私は普通に歪んだ認知の持ち主なのだと思っていたが、先日、ネットストーカーが、ネットの匿名掲示板で、統合失調症なのでは? と書かれていて、なるほど、これが妄想というものかと思った。私の知っている統合失調症患者の妄想は、盗聴されているとかエイリアンに狙われているとか感覚的なもので、理論的には説明できないものしかなかったので、そこまでは気が回らなかった。

 

 さて、序文が長くなってしまったが、今日の通院について書く。もう遠い昔のことのようになってしまって、いつのことか正確に思い出せないのだが、夜中、水の中にいるような汗をかいて目が覚め、しかし身体が動かずに朝まで冷たい布団の中にいるということがあった。数ヶ月前のことだと思うが、布団がボロボロになりシーツまで破れたが取り替えるに至っていない。

 そんな状態で汗と緊張で身体が固まってしまい、本当に前方45°くらいしか首が回らなくなった。それから銭湯に行ったり(自宅では掃除もできなくなったので湯舟を使っていない)色々と頑張っているのだが、それでも夜、首から肩に掛けての痺れや激痛で目が覚める。

 私は1972年1月の生まれで、今年はちょうど50歳なのだが、本当に今年に入ってからの苦痛というのは40歳代までの私は味わったことがないものである。Twitter(プライベートのアカウント)で、いつ以来だろうと書いたら、今年3月の母が死んだあたりからではないかとリプライを貰ったが、もっと前からのような気がする。

 母は子供のときから私を振り回し、私は高校生時代に鬱病を発症している。それも、私は行きたい高校があり、きっちりと合格していたのであるが、地方の新興進学校に特待生として来て欲しいと言われた母が有頂天になって私を犠牲に差し出したと言っても過言ではない。

 これについてもネットストーカーが変なことを書いていて、私は他に第1志望の公立高校を受ける予定だったのだが、私がそう言い出したので母が私をその高校に入れたと書いていた。どうもネットストーカーの成績だと公立高校を受けるということは「とんでもないこと」らしく(受けることを考えることもできない)それを基準にしていたようだ。

 ちょっと脱線して時間がないのでショートカットで行く。少し前、まぁ、私がTVドラマを観られる状態だったので少しではないかもしれないが、フジテレビの「シャーロック」というTVドラマで生徒を追い詰める異常性格の教師というのが出てきたが、母に行かされた高校に、あれに近い教師がいたのだ。

 私が当たったのは、実際に生徒に自殺者が出たり部下の教師を即日「気に食わない」という理由でクビにして刑事問題になったりした、かなり危険な教師だったのだが、そこで、私は特待生なのに授業に出してもらえず、しかし特待生は1日に5時間? の放課後の自習時間があったのに授業に出ていないから何もできないという有様で、精神を病んだ。

 あまりショートカットにならなかった。それで家に帰って身体が動かなくなっても両親に殴る蹴るをされ、その手を振りほどいただけで家庭内暴力だといって110番されというような様々なバックグラウンドがあるのだが、今回は触れない。

 これも、ネットストーカーは中高一貫校なので中学からの進学生に付いていけなかったなどと嘘八百を書いているが、中等部は私の在学時に開校しているので、どうしたら、そのとき既に内部進学生がいるのか聞きたいものである。

 挙げ句の果てに、私が中卒では格好が悪いので(高校は退学している)慶應に進んだが単位を1つも取れなくて退学したなどとの嘘も、当時の2ちゃんねるに実名で書きこんでいて困る。そもそも慶應というのは中卒では格好が悪いからという理由だけで入れる学校なのか。どうも大学受験というものも判っていないようだ。

 さて、脱線に脱線が重なって、どれが本筋か見失いそうになったが、今年の初めころからだろうか、母は自分は末期癌の患者だとか薬害の被害者だと言って頻繁に救急車を呼ぶようになった。

 私は父を2018年に亡くしていて、私には兄弟(叔父・叔母・従兄弟も)はいないので月に1回は母の元を訪ねて事務や買い物の同行などをしていた。そこでも、例えばショッピングモールで母のペースで3時間も歩かされた上に休息を取ることを許されず精神病の発作を起こしたこともあった。ちなみにヘルプマークを持っていても誰も手など貸してくれないのだと身に染みて判った良い機会であった。

 元来の激しい不眠症ではあるが(中学1年生から眠剤を服んでいる)、このとき、おそらくFitbitスマートウォッチを購入して初めて(おそらく数年になると思うが何年から使っているか調べて後で追記しておきます)「深い睡眠」が2時間を超え「睡眠スコア」が90を超えるようになった。しかし、体重は1ヶ月で20㎏痩せるという事態になった。

 なので、Fitbitスマートウォッチのデータが良いからといって睡眠の質が高い、あるいは回復しているという意味ではないのだが(それが言いたいがために、どれだけの脱線…)、ここ数日も「深い睡眠」が1時間を超えている。

 しかし、昨晩も、全然、休まった気がしない。そして、早朝、苦痛で目が覚めて、苦しくて寝ていられないのだけど起きられもしないという、昨日、書いた(と思う)苦痛で午後まで続いた。

 今日も、少し早めだが、途中で電車に乗り換えることなくクリニックの最寄り駅まで行くバスに乗って家を出た。さすがに万年筆までは持ち出す余裕はなかったが(といっても机の上のペン立てから鞄に放り込むだけなのだが)原稿用紙を携えて喫茶店に向かう。

 ここは渋谷の行きつけの店に比べたら、まだ通い始めて日が浅く、頻度も低い。なので、そこで紙とペンを広げるというのも緊張を強いるものであるが、さらに輪を掛けて外国からの観光客が席を占有していて場所がない。

 店員がポットを指して「ここにミルクが入っているのでストップを掛けてくださいね」と言って、次に"Call me stop."と言ったので、それでは「私をストップと呼んでください」だと思ったら、思わず口に出して言ってしまった。

 さて、それでも無理して持っていったカメラで写真を撮ってInstagramにアップした。本当に死にそうで、今になるとWi-Fiでスマートフォンに転送してInstagramにアップするなどというのは離れ業だ。しかも、家だとイライラして設定できなかったFacebookページとの連携も修復してしまった。なぜか連携先がFacebookページではなく個人のアカウントになっていたのだ。

 
 
 
 
 
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 ここはコーヒー専門店で、コーヒー以外、食べ物どころかドリンクすらなく、それでも良いのかと入店時に訊かれるのだが、壁に「アーモンド」という張り紙がある。ひょっとしてアーモンドを焙煎したコーヒーだろうかと思い、それは飲み物ですか? と先ほどの"Call me stop."の店員さんに訊いたら食べ物とのことだった。

 結局、物を書かずに、ちょうど良い時間になり、診察に向かった。診察では、苦しい、眠れないということを話す。最近、良い話を聞きませんねというので、以前のような死に直結する苦痛ではなくなったことと、あと1つ、何かを話すが忘れた。

 主治医は、抗鬱作用もあるので「ラツーダ」を再び試しましょうと言って終わりになる。私としては、まぁ、これで少しでも眠れるようになってくれればというところだ。現在の処方は、以下の通り。

  • イーケプラ 500㎎  朝・寝る前 各2錠
  • ルネスタ 3㎎   寝る前 1錠
  • ラツーダ 20㎎   寝る前 1錠
  • ヒルナミン 5㎎  毎食後・寝る前 各2錠

 

 そして薬局へ。主治医に確認する気力がなかったので、以前の水の中にいるような汗の時代から処方されている葛根湯を止めてもらわなかったのだが、薬剤師さんがクリニックに電話をして止めてくれた。今日は、色々なことが有り難い。

 

 まぁ、通院の記録、ひいては自分のバックグラウンドについて、徐々に書こうという話である。高校時代のことについて触れたが、これでも高校時代は大学入試の模擬試験で小論文は全国のベストテンに入っていたほどの技量があったのに、今は、この様である。

 今日も命の危機60%。拝読しているBlogの筆者の命の危機(危機には至らないが)を感じ、生きることの大切さを思い知る。やはり苦しくても生きなければと思う。生きていれば幸せになるとは限らないが、幸せになるためには生きていなければならないのだ。

 

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私は駄目人間なのか。

撮影データ
日時:2020年11月09日17時00分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの37mm域
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 雑な写真で申し訳ない。ここのところの精神的苦痛で疲れているのだと思う。久しぶりに中途覚醒はないが、朝から、どうも動く気がせず、かといって横なっても何かせねばと気が焦って横になっていられない。

 数値上は眠れたせいか、頭の中で金属の紐が擦れるような音がする感覚が少しあるが、それ以外の苦痛はない。訪問看護が帰って、昨日、間違えて購入した微アルコール飲料というものを飲んでみる。

 それで少しも弛緩すればと思ったのだが、逆に神経が昂って頭の中で鳴っている音が一瞬、大きくなり、後悔した。しばらくして和らいだものの、一向に焦りはなくならないし、ダルくて重い感じもなくならない。

 今日は訪問看護は毎週水曜日の看護師さんで、私が担当者と呼んでいる月曜日の人より元から淡泊ではある。それでも、今日はバイタルサインのチェックを含めて5分で帰っていった。バイタルサインのチェックは注射や採血のようにベテラン芸ではあるけれど。

 今日も外出に誘われるが、そんな倦怠感があるというか動く気がしないというか、よく説明できない気分なので断った。

 それでも外に出なければという気分もあり、その気持ちが強いことも話したのだが、ゴロゴロしていたいのなら、別にいいですよと言われる。先週のように連れ立ってという感じではなかった。

 そして、ゴロゴロしてというより午後4時過ぎまで苦しんでいたのだが、これをゴロゴロしていると言われるのは遺憾だ。

 寓居は6畳弱の部屋が3部屋で構成されており、1部屋は台所で人を通していて、他に和室と洋間が1室づつあり、和室には汚部屋となり畳むこともできないので万年床が敷かれていて洋間には机が入っている。

 この看護師さんに初めて訪問を受けたとき、当時は、まだ、こんなに精神状態が悪くはなく、毎日8時間ていどは机に向かっていたのであるが、普段は和室でゴロゴロしているのですか? と訊かれて腹が立った。

 また、私がクズ医者と呼ぶ前任の主治医は、心臓が針の筵の上で転がされているような激痛を訴えたとき「のたうち回っている人の方がゴロゴロしている人より偉いということはありません!」(だから苦しい演技は止めろという意味か?)と怒鳴った。

 どいつもこいつも、私が黙っていればゴロゴロしていると思っていて腹が立つ。

 しかし今日は、ゴロゴロしていたいとは思わないが、とにかく起きているのが辛くて仕方がないのだ。しかし、その辛さも、言葉にできなければ、ないも同じである。

 横になって、せめて、できることと思いNHKの朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」を観た。ちょうど、主人公が人力飛行機で世界記録に挑戦する場面であったが、すでに私の心は折れていて、横になってスマートフォンアプリで見ていたのだが力が抜けた。

 本当に、何もする気力が湧かない。する気力が湧かないというより、何をするのも苦しい。そして言葉で表せるような具体性はない。ひょっとして、これが私の本来の性格で、私は駄目人間なのではないかと思い、なお苦しい。それでも死のトリガーとなることはなく、命の危機60%。

 

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「頭がおかしい人」を生きる。

撮影データ
日時:2020年11月08日15時10分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの63mm域
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 昨日の苦痛が少ないときから比べると、だいぶ体調が戻し、苦しんだ。私は午後8時に眠剤を服むのだが、夜中の午前1時30分に眠気が来ないので残薬をチェックしたら、朝の薬を1回分、服んでいない。まぁ、昨晩は服んだから大丈夫と、数を数えるのも億劫な朦朧とした頭で考える。

 それにしても、今日は眠れないと午前4時に長文のメモを残しているのだが、Fitbitスマートウォッチによると、その間、しっかり寝たことになっている。寝ても覚めても苦痛というか、寝ているときも苦痛で、もう意識があるのかないのか自分でも判らない。

 午前8時から何度も何度も無理して起きようと努力しているのだが起きられず、結局は起きたのは午後1時ちかくだ。無理をし過ぎて、コンビニの微アルコール飲料のクーポンが配られていたので、それを引き替えようとして普通に買ってしまったり、ロクなことをしていない。金を出しては買わないものだ。

 昨日は頭を洗ったので今日は散髪に行こうと思っていたが、到底、無理だ。せめても喫茶店に行こうと思うが、足が地表の感覚を掴まず、進むために足を前に出して地面を手繰り寄せている感じだ。そのため、思ったより地表が低いのに足が届かず倒れそうになったりする。

 それでも今日は朝から頭の中で音がしている感覚がない。訪問看護に言われているように大丈夫と自分に言い聞かせるが(言われなくてもしている自分に、気が付いてはいる)、大丈夫ではないことは火を見るより明らかだ。例えば、時計の電池がなくなったので交換しようと思っていて、ほとんど、そのために外出したようなものなのに、時計自体を忘れた。

 さて、喫茶店でも変だ。Instagramのプライベートのアカウントに自撮りをアップしているが、なんか画面が鮮明でなく、眼鏡が曇っているのだろうと思ったら盛大にピンボケをしていた。

 そして、頭が混乱したのは店員さんに名前を呼ばれたからだ。この人、前から私のことを名前で呼んでいたっけ? この店に通い始めたときは、顔を覚えてもらおうと積極的に自分の名前をアピールしていたが、それでも名前を呼ばれた記憶はない。

 そして、私も変な人で、母が死んだ頃か、本当に命の洗濯をしたと思ったときがあって、何か礼を言わずにはいられない気分になり店に手紙を書いたことがある。この辺から、店の人にとっては気持ちが悪い客だったろうと思う。女性の店員に、進んで挨拶されなくなったのも、このころのような気がする。

 そう思うと、あぁ、私は頭がオカシイ人だと思われているのだろうなと思う。以前、会計をするときに私の自動車運転免許証を見て免許証をお持ちなのですねと言われたのも、なるほど、そうかと思う。しかし、手紙を書いたりしたのも私だし、私は、そういうことをしながら生きていくしかないのだと思う。

 今日の命の危機65%。やはり死を目前にはしていないが、激しい苦しさから来る、死んで楽になりたいという気持ちはある。

 

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激痛がして、安らいだ。

目次

 

写真について

 写真を撮ろうと思っているうちに、すっかり夜になってしまった。またネットストーカーに特定されて住所をバラ撒かれそうだけど、私は、こんなところに住んでいます。

 30㎡ほどの築40年過ぎのマンション。周りは高層化が進み、寓居も立ち退きが決まっています。しかし、すっかり汚部屋になってしまっていて立ち行かないという感じです。

 しかし、なぜ、先祖代々(第二次世界大戦や関東大震災による焼失により戸籍が辿れず)麹町・麻布に住んでいる人間が東京に住み続けられないのか。

撮影データ
日時:2020年11月07日17時10分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの34mm域
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 タイトルは、一見、相反するような事実が並ぶが、今朝、起きた瞬間の私の感想である。今朝は頭がガンガンと痛く、頭痛としては最上級くらいに痛いのだが、しょせん神経性の頭痛でありロキソニンで和らぐ。(ここで緩和ケアを受けている癌の人のことを想ったりする。)

 それと同時に、頭痛はあっても他の苦痛がないのだ。身体症状が出ると精神症状が治まることは多々あり、例えば、以前、マイコプラズマ肺炎を発症して40℃ちかい熱を出したときが人生で何番目かの安楽なときにカウントされている。

 このときは両親に肺炎であるはずがないと言われバスで病院に行ったが、他人に移したら、どうなったのだ。ちなみに、そのとき、最初の医者はインフルエンザの検査だけして陰性で、両親には散々、無駄に医者に掛かったと詰られて医療費も出してもらえず高利が付く金を借りた。

 相対的に、私の場合の精神の苦しみに比べれば、激しい頭痛など屁でもない。なかなか精神の苦痛というのは理解が得られず、こうやって他の苦しみと相対的に表すと、え? そんなに辛いのと言われることがある。

 ハッキリ言って普通の鬱ですらインフルエンザで熱を出しているときより辛い。私の場合だけかと思ったら、この表現を使って他人に話したところ、苦痛の程度としてはそうだと共感を得たことがある。心の風邪などと言って判った気になっている奴を呪う。

 

 さて、訪問看護が来た。段々と言語化して客観視できるようになりましたねというようなことを言われるが、私は学生のころからintrospective(外国語の学校で講師は外国人だったので表現も英語で、今、ネットの辞書を見ると「内省的な」と書いてあるが、確かに内側を見るという意味だが、何か違うと思う)と言われていた。

 今日の訪問看護の看護師さんは月曜日で私の担当者だったのだが、この人自身も、以前は、きちんとアセスメントができていて行動に繋げられているので良いと思っていますと言っていなかったか。その場かぎりで言っているのか、言ったことを忘れているのか。

 看護師さんにはBlogのことについて話す。ここのところの不調でランキングサイトでの順位がガタガタで、でも、そんなときにこそコメントをくれる人がいるということを話した。しかし、自分でも、今になると「雲の切れ目」ではなく「雲の切れ間」だろうとか「梯子が掛けられる」ではなく「梯子が外される」だろうとか、思うところは幾つもある。

 看護師さんは、頂いた写真をステーションの掲示板に飾っているんですと、わざわざ掲示してある様子の写真を見せてくれたが、そんなことをしながらも20分しかおらず帰っていった。頂いたデータは、こう使いました的なコンプライアンス感覚なのだろうか。

 ちなみにこの人は、比較的じっくり時間を割いてくれる方だが、そんなに今日の私は安心して見られるのだろうか。昨日の疲苦については何も言われなかった。やぱり平和な話だけを聞き平和だと思いたいのだろうか。

 

 で、今は、もう夜である。実は、前段の文章を書いてから、なぜ、こんなに時間が経っているのか、自分でも判らない。ただ、本当に久しぶりに身体症状がなく、頭の中で金属のチェーンが擦れるような音がする気がするということも、今日はないのだ。

 久しぶりにコンポというかAC電源専用のCDラジカセみたいなもので音楽を聴いた。数日前、やっぱり駄目だとヘッドフォンを持ち出したのに、今日は、そのコンポもどきで聴くことができた。しかも、この音源を聴いて数年、ヘッドフォンよりダイナミックレンジが小さいはずなのに、今まで聞いたことがない音まで聞けた。

 そして、シャワーを浴びる。私はライフログを付けているのだが、もう1週間も浴びていないので、買い物という選択肢を切り捨て午後3時半にシャワーを浴びた。疲労で頭が洗うのが困難で、適当に何回かに分けて洗っている。これをやるとシャンプーで頭皮が荒れる。

 そして、気が付くと午後5時過ぎで日没を過ぎていて、慌ててカメラを持ち出す。今日は訪問看護に同行してもらっての買い物にも行けなかった。そんなことばかりが頭を ぎる。でも、まぁ、いいか、たまには、こんな日があっても。全くないといえば嘘だが苦痛も少なかった。

 今日の命の危機65%。ものすごく久しぶりに70%を切った。世の中や取り巻く環境には不平不満があるけれど、そんなことを思っていられることすら有り難く感じる。

 

楽曲CD紹介

 土岐麻子さん"PINK"より1曲目"City Lights"。今日は明かりを感じられた… かな。今日、聴いていたCDで、今の(といっても既に過去形になりつつある)スクラップ&ビルドが進む東京の世相を的確に表現していると思う。

PINK(DVD付)

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死への梯子。

撮影データ
日時:2020年11月06日15時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの75mm端
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シャッタースピード:1/250s(Auto)
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 午後9時、アップ直前の今は少し楽だが、我ながら、よく正気を保っていると思う。

 午後6時を過ぎても苦しんでいて寝床でスマートフォンから書いている。思わず殺してくれと叫んでしまった。書くのがやっとだ。

 自分の一生を走馬灯のようには想わなかったがトータルで死ぬときまでを想った。これは人によってパターンがあるのだろうなと思った。

 今日は、それでも先ほど自宅と同じ建物にあるコンビニまで食事を買いに行ったのだけど、レジ袋が要らないという言葉が通じないほど苦しい。

 寂しい人生だった。兄弟姉妹も従兄弟もいなければ物心ついたときから親戚はキチガイと呼ばれる叔父だけ。

 そして、医師の言葉を借りれば、彼らの歪んだ自己愛による虐待で精神を病み… もう止める。

 ネットストーカーは、こういう文章だけを取り出して私のクオリティーだと書き立てるだろう。文脈が変なのも、全部、自覚しているのだが直せない。

 私が書こうと思っていることは、こういうことだ。過去のエントリーから。

fonttoto.hatenablog.com

 

 Blogを読んで心配してくれた人たちも、結局は、そのほとんどが飽きたのか知らないけれど去って行ってしまい、そんなことについても恨みがましく思う。すべての感情が攻撃に向かう。

 訪問看護についても、担当者に、電話ではなく面と向かって話しているときの方が笑顔が素敵ですとか何とか言われ、嫌な話を時間外に聞きたくはないのだなと思った。

 そして、またネットストーカーが捏造した私の真相なるものを送って来たときのことを思い出す。私が書いたことは全て噓で、それを知ってドン引きして皆が離れていくのだというようなことを書いて、こちらが拒否してもEメールやTwitterなどのアカウントを変えて、しつこく何度も送ってきた。

 それでも、何を考えたのか忘れてしまったが、あぁ、自分を褒めるということは、こういうことなんだなと思った一瞬もあった。

 今日の命の危機は90%。生きる望みとは? 投げ捨てたい。死ぬときは書けなくなったとき。今日は書けなそうで梯子が掛けられた気がした。

 

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発狂するのも時間の問題か。

撮影データ
日時:2020年11月05日15時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの270mm端
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/320s(Auto)
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 午後3時を過ぎて、やっと机の前に這いつくばって来た。今日も、私が、脳内でアカシジアが発生しているようだと表現している脳内でソワソワ・ジリジリする感覚がして眠れなかった。そして、今まで、苦しくて起きられないのに寝てもいられないという時間を過ごし、食事も摂れなかった。

 昨日から処方されているヒルナミンが倍増になったのだが、そのせいか、普段なら目が覚めたときにスマートフォンでLINEのKeepメモにメモを取って一応は落ち着くのだが、意識がハッキリせずメモを取るに至らない。悶々として過ごす時間が長くなった気がする。

 動けるようになって真っ先(といっても昼過ぎだが)にしたのは寝床にいたままスマートフォンでの自分のBlogのチェックだ。ランキングサイトを見ると順位がガタガタで、それは即ち私が書けていないということであるが、忸怩たる思いというより口惜しさや見捨てられた感がする。

 誰にも相手にされなくなってしまったと生きる意味を見失った。大袈裟な表現に思えるかもしれないが、気分としては絶望に近い。そして自分のBlogに画面を遷移するとコメントが寄せられているのを見て死ぬほど嬉しい。すぐに返事を書かなくてはと思うが苦しくて書けず、とりあえず礼だけコメントする。

 昨日のエントリーについてのコメントで、書けた自分を褒めましょうと言われるが、私は自分が褒められない。その激しい自己否定については、以前、山姥さんと話をして軽くだが書いたことがある

 そもそも、日記を付けてはいるが、それも未来の自分に向けたものといえるし、誰も読まない文章を、私は書かない。コメントを貰えるのも読んでもらえるからで、文章は読んでもらうことを目的として書いている。

 また、誰かに向けて言葉を紡ぐのは進化であるが、自分だけにしか通じない言葉を産み出して悦に入っているのは気持ちが悪い。まるで小学生も書かないような文章を誰も読まない使い捨ての無料Blogに書き、あたかもそれを出版物や学術論文のように思っている私のネットストーカーのようだ。

 ネットストーカーといえば、相変わらず匿名掲示板に、自分は「心の拠り所となる資格がありブログがある」から私のように匿名掲示板に書くしかない人間とは違うんだと本人自身で本名を使い書き込みをしている。私は匿名掲示板には書き込みをしておらず、やはり誰も読まない文章は、しょせん妄想と同じだという思いを強くする。

 ネットストーカーは、私の昔のBlogを炎上・廃止(更新停止)に追い込んで、今、私が、このBlogを運営していることは知らない。私のかつてのBlogもGoogleによる権威だと自殺についてはNHK福祉情報サイト「ハートネット」よりも高い位置にあるらしい。更新を止めた今でも1日100PVほどある。ネットストーカーがBlogを書く目的というのは、そういうBlogを本人曰くケチを付けて廃止に追い込むことである。

 なんか、自分にしか通じない文章と相通じるものがある。自分の意見が相手に伝わるように鍛錬するのではなく、自分が気に食わないものはケチを付けイチャモンを付け暴力に訴える。それは、そんな奴に資格を金で与えている団体も一緒である。この資格を名乗る奴にされたと書いただけで弁護士から訴えるぞと内容証明郵便が来た。

 さて、本当に時間が足りない。これについてもネットストーカーが色々と私を陥れるための事実を捏造していて引き摺られそうであるが、もう、構っている時間も余裕もない。今日も、自分の言いたいことは全くというほど書けずに申し訳ない。

 今日の命の危機85%。死ぬほど苦しいし死ぬのを肯定したくなる。

 

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疲労で何をするのも苦痛。

 今日も寝て1時間で悪夢を見て汗ばんで目が覚める。前回、イーケプラという薬が出たのだか増えたのだかしたとき、水の中にいるような汗が引いたとともに悪夢も見なくなった気がするので、悪夢は久しぶりのような気もする。また汗は大量ではなくなったが汗ばむようになった。

 今になると、あまり夢の具体的なところは覚えていないのだが、大昔、アクチュアリティとリアリティについて、ちょっとしたことを書いたことがある身としては、ナンセンスで起きなさそうなことなのに妙な現実味のある夢だったとだけ記憶している。

 もっと横になっていたいが、今日は訪問看護と通院だ。訪問看護を機に起きて、午後は通院前に喫茶店に寄る算段をする。しかし、訪問看護が来たら疲れ果ててしまい横になる。先週のことと併せて金曜日の看護師さんについて何か書こうと思ったのだが忘れた。

 喫茶店に1時間いるとして診察の予約時間の2時間前には出たいが、どうも出られない。予約時間の1時間半前になってしまうが、このまま、あと30分、家にいたら出られなくなりそうだ。帯に短し襷に長しだ。

 私が住んでいる白金(Blog友達に飯倉に住んでいる人もいるので書いてしまって良いか…)からクリニックがある新橋までは、田町駅に行くバスと新橋駅に行くバスが通っているのだが、いつもは田町駅に行くバスに乗って田町駅から浜松町駅・新橋駅と2駅分を電車(もちろん都営地下鉄)に乗るのだが、今日は乗り換えのない新橋駅行きのバスに乗る。

 それで所要時間が20分ほど変わる。JRの2駅分をバスというのは長いものだ。ただ、目的地に着いて手持無沙汰に待つよりはバスに揺られて車窓から風景を眺めていた方が良い。もっとも、もっと精神状態が悪いときは、港区は大抵どこか工事をしているのだが、工事を見ては自分の家の立ち退きを想い、慄いていた。

 自分に課したノルマとして無理してカメラを持参する。しかし、今日は本当に持っていったことを後悔した。壊す覚悟ができていれば良かったのだが、それさえも半端で、落としそうになって慌てて紐を掴んで引き上げたのでカメラ本体は地上に着かなかった。

 無理して撮った写真も、こんなものだ。構図が決められないし露出に凝りようもない。スマートフォンで撮ったInstagramの投稿の方が、よほど画的に優れている(露出も補正している)。

撮影データ
日時:2020年11月04日14時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの80mm域
絞り:f5.6(Auto)
シャッタースピード:1/125s(Auto)
感度:ISO 400(Auto)
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 ちなみにInstagramは普段、プライベートの非公開アカウントで運用していて、差し支えがない投稿は、このアカウントにも流しているのだが、訪問看護のアカウントをフォローしたらフォローバックされて(非公開なので承認制なのだが承認して)それでちょっとビビッてしまって運用が上手くいかない。

 そして、帰ってからも今まで疲れ切って横になっていて、やっと夕食を摂りに起き上がって、このBlogも書いている始末。今日、喫茶店に行かなかったのは金を使うことに対する罪悪感の話の続きでもあるのだが、それを書こうと思っても書く余裕がない。

 しかし、苦痛が激しいときは苦痛に乗じてというか苦しいことも意識せずに書けるのに、今日みたいに中途半端に苦しいときは、もっと苦しいときのことを思い出すと、それに引き摺られて苦しくなってしまう。そうそう、訪問看護には、その最中にいなくても苦しくなりますか? というようなことを言われて、そのことについて書こうと思ったのだ。

 もうアップする時間、ひいては寝る時間である。今日は命の危機75%。苦しいが死ぬことはないだろう。むしろ、このような腑抜けた文章しか書けないのが苦しい。今日みたいに文法的に怪しい文章というのは、どうしたら書けるのか自問自答している。

 

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