遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

ここは地獄。

 朝というか深夜、午前1時に苦痛で目が覚める。一応、午前5時までウトウトはしたようだが寝不足だ。苦しい。楽になりたい。その一心で訪問看護に電話をする。さすがに午前6時に担当者のプライベートの携帯に架けるのは憚られオンコールに架ける。

 何やらアドバイスを貰い実行するが、それでも気持ちは変わらない。午前8時に再度、電話。そして午前9時にオンコールの担当者が変わるので、午前9時にも。自分でも、あぁ、架けすぎだなぁと思った。実際、何か聞こうという気持ちで架けていない。

 朝、目覚めたときから滝のような汗をかいている。そして、手の震えが酷く、ついにコンビニで買ってきたサンドイッチやおにぎりも持てなくなった。そして味を感じない。もう、苦しいばかりだ。誰か、この苦痛を取り除いて。その一心で架けている感じだ。

 母の友人にもSMSを入れた。心配を掛けるのも何だが、誰かに、この苦しさを訴えたい、この気持ちを認めて欲しい、その一心だった。母の友人からは折り返し電話があって、役所に届けを出して療養を理由に相続税の申告を伸ばして入院したらどうかと言われた。

 そして、今度は訪問看護のオンコールに4回目を書けるのは憚られ、訪問看護の担当者に電話をする。どうせオンコールに頻繁に架けたことを何か言われるだろうから、あらかじめ、少しガス抜きをしておこうという気持ちもあった。

 日曜日だから出ないかなと思ったら担当者は電話に出て、40分も話をした。そのほとんどが説教だった。架けたって答えは出ない。自分で選択し、納得することが必要。判っています、判っているんですけど。

 横になっているのが辛い。この汚部屋も何とかしなくては立ち退きが迫っている。そもそも、30年間、もう死ぬまで引っ越しはないだろうと思っていた私が間違いだったのだ。そんな汚部屋の中で横たわっていて、いい気分がする訳がない。

 起き上がる。アドバイスされたコーヒーを買ってきて、一緒に買ってきた菓子パンとともに飲む。菓子パンのみならずコーヒーも味がしない。菓子パンは舌触りの食感だけはあり、わずかに甘さを感じる。ジャムがゼリーのようだ。コーヒーは砂糖の甘みも感じないが、かといって苦さも感じないので水を飲むようだ。

 Tシャツの脇が冷たい。どうも朝からの滝のような汗によるものらしい。もう嫌だ、それを訪問看護の担当者に伝えても、それは拭うしかないんです、シャツが濡れたら取り換えるしかないんですと言われる。けっきょくは、私の我慢が足りないという問題なのだろうか。

 Twitterで山姥さんに相手をしてもらう。私は我慢が足りないかな? と問うと、十分に耐えてきたと言う。しかし、そう言う人が少ないのも事実だ。それに、私は我慢が足りないと言われて育ってきた。今の基準で言えば、昔の方が、よほど耐えていた気がする。主治医に、良く両親を惨殺しませんでしたねと言われるくらいだ。

 汚部屋で寝ていられないので起き上がって机に向かう。東京タワーに面して置いた机にあるPCに向かう。この机を買ったとき、この家に引っ越してきたときは、今は先端しか見えない東京タワーが麓まで見えたものだ。家も綺麗で、それは永遠に続くものと思っていた。

 しかし、机に向かっても何もできない。PCを立ち上げてネット配信で朝の連続テレビ小説を観ようとするが上の空で中身が入ってこない。訪問看護に言われている睡眠の記録を付けようとするが鉛筆が持てない。

 それでも他にできることがないので懸命にグラフを書く。白く残すところまで鉛筆が走り塗り潰してしまう。暑くはないのに汗がポタポタ落ちる。手が湿って紙に貼り付く。もう数日も付けられていないので、何日分も残っているのだが、2日分を付けただけで疲れ果ててしまう。

 SNSも、Facebook (w/Instagram)とTwitterしかやっていないが、見られる範囲での友人の投稿はすべて読んでしまった。間に入っている広告の動画や記事は、読むには神経が持たない。訪問看護にも、そう伝えたのだが、SNSを見るのが持たないと引き継がれているよう。ここは、総じて正確に物事が伝わらない。

 検索して、同じはてなブログの「遺書」というBlogを読む。エントリーの名前が「遺書」のものには、このBlogをお読みなのかな? と思えるものもある。しかし、読んでいるのが辛い。滝のような汗は引かず、額からダラダラと汗が垂れる。

 ここで午後5時の防災無線が流れる。私の住んでいる区では「夕焼け小焼け」が流れるのだが、その、チャイムの音色に、罪悪感というか後悔の念というか、ものすごく暗い気持ちになる。絶望に近い。今まで少し下がっていた死にたい気持ちが頭をもたげる。耳鳴りがする。

 そしてすぐに夕食の時間だ。まったく食欲はないが、腹が減っている。否、腹が減っているというより胃の調子が悪い。そして、無理して食べる。そうしたら、もう、寝る時間である。そして、今日も1日が終わる。もう絶望しかない。明日、目が覚めなければいいのにと思う。

 今日は命の危機75%。昨日と拮抗している。死には至らないが、例えば、ふとした機会に電車に吸い込まれても抗わないだろう。怖くて外に出なかった。

死ぬほど辛い。

 今朝も汗をビッショリかいて午前5時前に目が覚めた。夜も何回も汗をかいて目が覚め、ロクに寝ていない。滝のような汗は夜まで続き、ペンを持って仕事をしようとしても手が震えて書けない。かといって横になっても休まらず、もう地獄である。

 辛い。気分転換にアイスを食べてもコーヒーを飲んでも味が感じられない。訪問看護に電話をするが何の解決策もなく、逆に、それは自分で決めることと言われる。ただ、苦しいのを、横になって、丸まって耐え忍ぶ1日だった。

 SNSで苦しさを吐き出しているのだが、Facebookでは誰もリアクションする人がいなくなってしまい、誰も見ていないのかな… と投稿したら、リアクションに困ると返信が付いた。中には苦言を呈する人がいて、そう、寝不足で困っていると書いたのに早起きできて良いねとか顔文字全開で書く、あの人である(この後、同様な趣旨で漢字より絵文字か多いコメントをしてきた)。

 今日は命の危機75%。死にたい気持ちに飲まれることはなかったが、苦しくて死にたいと思った。

今日は生き延びられるか。

 今朝も午前5時に苦しんで目が覚める。寝不足。目がショボショボするというか痛いのだが、目をつぶっても痛い。

 朝から死にたい気持ちが強い。早朝なので訪問看護の担当者には電話ではなくSMSしたら、起きてすぐ折り返し電話がもらえた。

 本当に死にそうというか死にたい気持ちに負けそうで、嫌な思い出しかない「いのちの電話」にも架ける。話し中だった。

 以下、苦しいのでツィートにて失礼します。ツィートを終えて、しばらく経ちますが、疲れているのに休めないのが辛いです。

 でも、朝の「いのちの電話」に架けたときのこと、訪問看護が来たこと(今日来た人は、朝、電話をした若い人)は、もう記憶の遠くにあります。

 

疲苦。

 昨日は死にたい気持ちとの戦いでボロボロに疲れてしまった。夜、床に就いてからスマートフォンのTwitterでDMの遣り取りをしていたのだが、それ以降、何をするのも苦痛で寝てしまう。SNSの"おやすみ投稿"が辛い。

 そのくせ、その1時間後には緊張で肩がパンパンに張って目が覚める。そして、また、滝のような汗をかいて何度も目が覚め、午前5時から眠れない。昼、これだけ苦しんでいるのだから、夜は、苦しまずに休みたい。

 今日は通院。あまりにも苦しいのでTwitterでツィートして、それを貼るに留める。いつも、手抜きな記事で申し訳ない。しかし、書けないときは文章にもならないので、これしか打てる手がない。

遺書の準備書。

 実はBlogエントリーを書き直している。午前中に、本当に「遺書」に近いエントリーを書いたのだが、これを書いている午後2時前、少し持ち直した。

 ただ、思考がまとまらず、酷い文章だ。お読みになる方は文脈も判らないかもしれないと思う。しかし、これだけ、まとまりのない文章しか書けない。

 

 例によって、夜1時間おきに悪夢で目が覚める。朝も早朝に目が覚め、苦しくて仕方がない。今日は朝食も摂れず、訪問看護の月曜日の担当者にSMSを入れる。

 さらに、今日は朝食を摂る気力もなく胃が痛い。それも追加でSMSしたら、食事を摂らなくても朝食後の薬を服んで大丈夫だと言う。

 折り返し電話がある。私が今日、水曜日の担当者を信頼していないというか相性が悪いのを心配してか、今日、少し遅くなるが自分が行くと言う。

 それでも来るまでの間、耐えられなく保健師さんに電話。電話で、次のように、けっこう厳しいことを言われる。

 電話ができるのだから横になってスマートフォンを操作して何やら(何だかは忘れた)できるはずとか、毎日、散歩をすること、結果が出なかったというのは2週間、試してから言って欲しいみたいなことを言われ、ギョッとする。

 また、TwitterからEメールが来ている。

「Twitterの安全性についてのお知らせ」

Twitterからのお知らせです。
 ご利用のアカウントから自殺や自傷行為をほのめかす内容が投稿されたことについて、他のTwitter利用者から報告がありました。(以下略)

 

 これについても保健師さんに話しをしていて、自分の他アカウント宛にDMするようにしろと言われて、それは日記に書くことであってTwitterではないと思う。

 そして、悪足搔きしていたら訪問看護が来た。正直、水曜日の看護師さんではなく月曜日の看護師さんでホッとした。

 保健師さんに言われたことを伝え、正直いって、どう対処して良いのか困っていると告げた。Twitterについては、それでは、一旦、推敲して送ってみましょうと言われる(看護師さんはTwitterをやっていないのでDMとは何か判らない)。

 散歩については、今は、とうてい無理でしょうから、とりあえず外の空気を吸うのを、それに繋げましょうと言われたと思う。

 そして、1階のコンビニまで付き合ってくれて、しかし私は食べる気がせず何も買わなかった。

 そして、訪問看護が帰ってからが問題。昼食の時間になっても昼食を摂る気がせず、30分遅れで無理してカップ麺を食べた。

 そうしたら、汗をダラダラかき、それなのに鼻水もダラダラ出て、手は震えて箸が持てない。

 手の震えについては訪問看護からも主治医に言ってくれたそう。ただ、主治医としては、特に、それに対する治療は考えていないそうだ。

 ここで再び保健師さんに電話。朝の散歩の話ですが、無理そうなので訪問看護に電話をしたら、こう言われましたと言う。そうしたら、そういうアドバイスがもらえて良かったですねと言われる。

 また、電話をしてくるなと言われたことについて、電話をしてくると迷惑というより判断力がなくなるからと言われたことを話す。

 そうしたら、それはそうですよ、保健関係者にとって、一番、危惧する事態は、あなたのような場合だと、その人がいないと生きていけないという事態ですと言われる。

 ごめんなさい、ここまで書いて、どうしようもできなくなった。ごめんなさい、次に書くのは準備書ではなくて遺書になるかもです。

 無理して「ちむどんどん」も観たのですが、矢作が二ツ橋に「よく耐えましたね」と言われているのを観て、食事中に店員に意地悪をされていたことに対してだとはTwitterで知りました。焦げた料理を出されていたことにも気が付かなかった。

 また、このはてなブログとTwitterのアカウントはネットストーカーの被害に遭い作り直したものだが、Twitterお旧アカウントでネットストーカーをブロックしていたら、誹謗中傷の@ツィートを投げていることが他サイトへの書き込みで判った。

 その、他サイトの書き込みについて、私が書いたのではないのに、ネットストーカーに資格を授与する協会から、お前が書いたのだろうと、もし私だったら100万円払いますという書類を書かされた。会員もクズだが協会もクズだ。

(午後2時20分)

 

 今日の命の危機90%。黄色というより限りなく赤信号に近い。もし、これが土・日で、訪問看護のオンコールの担当者が合わない人で保健師さんもいなかったら死んでいたかも。

死ぬときは静かなのかもしれない。

 昨日も、寝た途端にドキッとして目が覚めたり、何度も目が覚めている。そして、また早朝に目が覚める。訪問看護も周囲にいる人も、疲労が蓄積しているのではないかと言い、自分でも、そんな気がしている。

 もう、今日は何をしているのか判らない状態。夜、目が覚めたときにLINEのKeepメモでメモをしているのだが、今日は、LINEだと思っていたものがTwitterだったりして、個人的メモが公開される一歩手前だった(ツィートではなくDMだった)。このBlogも文法も変で誤字が多くて、公開までに推敲どころかシンタックス・エラーが取り除けるか。

 また、保健師さんに電話をしても何を言っているのか判らないと言われる。頭がまとまらない状態。軽いパニックと言おうか。訪問看護(皮肉にも昨日書いた人)に、普段、午後になったら笑い声が交じるのに、それがないと言われる。そして、逆に、このまま弱ったら助けを求めないだろうなと思う。

 今年の3月に母が死んだが、もう何年も、薬害や末期癌を放っておかれたから訴えるんだと言って弁護士事務所に行って弁護士に騙されたり、そのときに股関節を折って人工股関節を入れて私は地方の病院まで手術説明に呼ばれたりした。

 それからも、母は救急車を呼んではゴネてを繰り返して、私は母が住む市の市役所に呼び出されたりもした。私の方が精神疾患を悪化させてしまったのだが、母は平然と救急車を呼び続けたり私を呼び出して事務をさせたりしていた。

 それが、急に連絡が来なくなった。もちろん、ヘルパーも入っていて市の福祉の人とは繋がっていたので(なので、なぜ私を呼び出したりした市の関係者が私に連絡を寄越さなかったのか不満なのだが)、訪問看護や往診を受け、独り看取られ状態にして1週間で亡くなってしまった。老衰だった。

 人間、死ぬときは静かなのかもしれない。

 

 今日の命の危機85%。助けを求めるのを諦めたときがあり、そのままセルフネグレクトに陥るかと思った。

電話をしてくるな、独りで苦しめ。

 今日は訪問看護だった。以前、私の病状について、みんな同じです、みんな気が紛れないのを無理して気を紛らわせているんですと言った人だ。

 ここで私の訪問看護の状況を書くと、週に3回、月・水・金に訪問を受けていて、曜日ごとに違う人が来ている。

 病気による不安や死にたい気持ちを気が紛れないのと一緒にしてしまうのは横暴な気がする。そして、彼女のおかげで死にたくなったことも何回もある。

 昨日、けっこう私が頻繁に訪問看護に電話をしたのは記した通り。ただ、私も相手に迷惑かなと思ってSMSしたら向こうから架かってきたときもある。

 今日の早朝の電話も昨日の人の続きで、眠れず苦しくて電話をした。そうしたら自分の提案が役に立っているのか心配ですがと言う。

 私は、役立っているからこそ電話をしていることを告げる。そうしたら、まだ若いんだから楽しく生きて欲しいと言われた。そして、主治医に電話をすることを勧められた。あまりに話の一部分すぎるが。

 今日、来た看護師さんは、いきなり主治医に電話をしたのですかと訊いた。きっと訪問看護に言われて電話をしたと主治医に言われたくなかったのだと私は思った。

 そして、そうやって他人に意見を訊くから判断力がないんですと言われた。私は20歳前から親に勘当同然に実家を追い出され(兄弟はいない)独り暮らしをしてきた。

 私の母は何事についても難癖をつけ自分の思い通りにしたがる人で、何かにつけ、私のことを周囲にみっともないという人だった。

 例えば、私がセーターを着ていたら、そんな寒い格好をしていると回りにみっともないと言って上着を着せる、そんな感じだ。

 なので、家を出てすぐのときは自分で自分の服装も決められず、それなのに服装のみならず、いきなり何でもかんでも独りで決めなければいけなくなった。

 ただ、最初は何事も自信が持てなかった。本当に寒さだけでは服装がセーターのみで良いのか判らず、周囲をキョロキョロして上着を着ている人がいないと安心した。

 そして、あまり言いたくなかったが、今日の看護師さんに、私は会社員時代、周囲に独りで決め過ぎと言われたのですよと言った。

 私としては正しい判断をしているつもりであるし、結果オーライではあるが、それは、オススメ選択肢として会議に諮るべきだと言われたことがある。

 しかし、今日の看護師さんは、独りで決め過ぎと言われても、我を通した方が幸せだったでしょう? と言う。

 そして、決めたことに囚われるのは苦しみますが、決めるのは、どんどん決めていいんですと言う(私は仕事の話をしたのだけど?)。

 駄目だ、この人は、まったく柔軟性がない、そう思った。私は我を通すよりも独断的だと他人を不快にさせるほうが怖いし、他人は自分と同じだと思ったことはない。

 昨日、真実はTPOによっても異なると、わざわざ書いたのは、昨日の人は、そういう柔軟性があるということを書きたかったのだ。

 また、昨晩は眠れたのかとも訊かれた。眠れたことは眠れたのだが、ほとんど眠れなかったので、全く眠れなかった一昨日より少しマシという程度だと答えた。

 そうしたら、そうです、眠れなかったと思うより、その前よりは、よく眠れたと思うと気が楽なりますと言われた。

 これも、別に私は単なる基準として、その前日と比べているだけであって、別に、前の日より良くなって良かったなどとは全く思っていない。なんか違う気がする。

 なんか、受け取り方が、ことごとく外れている気がして、この人は周囲のことなど意に介さない、ある種の勘違い野郎(言い過ぎ?)なのではないかと思った。

 今日は、保健師さんは多忙で、相手にしてくれるのは、TwitterのDMで相手をしてくれる山姥さんのみ。私には、訪問看護の言うことが、独りで苦しめと言っているように聞こえた。

 今日は汗をダラダラかくのに(今日の看護師さんも知っている)寒気がして、肩がパンパンに張っている。

 昨日の電話の看護師さんは緊張が強いんですねと言っていたが、今日は架けたら水曜日の人が出て今日の人に架けるなと言われたでしょうと言って切る。

 そして、架けるなと言いつつ、今日の看護師さんから折り返し電話が来る。その辺の謎なところは、こちらに書いた。思わず、訪問のとき私を見ましたよねと言った。

fonttoto.hatenablog.com

 

 今日は命の危機80%。道路の真ん中で、うっかり自分が道路にいることを忘れ車を見るのを忘れる。それでも、少しは緑にベクトルが向かい始めた。