遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

不安と訪問看護との電話。

 今日(昨晩)も、あまり眠れなかった。良い夢を見ていたのに、寝付いて1時間ほどでヨダレを垂らして目が覚めた。幸い、汗を拭くために置いてあるハンドタオルで拭って、しばらくして眠りに就くことができた。

 そして、今朝も早朝に目が覚める。幸い、久しぶりに滝のような汗はかかなかった。そして、このまま横になってゆっくりしようと思うが焦燥感が激しくなってジッとしていられない。

 訪問看護に電話をしたらベテランのOさんが出る。前回、初めて話をしたとき、最初は、そのカジュアルな口の利き方に驚いたのだが、再度、電話をしたとき、その言っていることに安心した記憶がある。

 今日は、慣れたのか口の利き方は気にならない。あるいは、話すのは2回目(2日目)ということで、私も少しは親密さが出たのかもしれない。ただ、今回は、あまり思っていたことが増強されなかったという感じがある。

 人間、昼は起きて動くものだから、夜、熟睡するためにも昼は起きて動いた方が良いと言う。それは判るのだが、起きても何もできないと私が言う。そうすると、特に何かしなくてもいいです、TVを観たり読書をしたりと言う。

 それに、寝不足でも社会人は会社に行きますけどねと言う。前の主治医を思い出すので、この口ぶりが嫌だ。前の主治医は、心臓が針の筵の上で転がされている感じがしたとき、それをゴロゴロしていたいための言い訳と言い、何でも私が怠けているために嘘を付いていると断定した。俺だって丸の内の商社勤務だったのだぞ、そう言っても嘘と言われた。

 うーん、そのTVや読書ができないのだけど… と言うと、だったら寝ているしかないですねと言われる。そして、病院へは電話をしました? いのちの電話には? と言われる。この人は、なぜかいのちの電話を勧める。

 いのちの電話に、私は良いイメージを持っていない。1回、架けたことがあるのだが、傾聴というより酔っぱらいの話でも聞くように、へー(棒線)という聞き方をされ、逆に死にたい気持ちが増したからだ。

 それに、もし、正常に機能していたとしても、あそこは、一昨日の私のような、本当に死にそうな人が架けるのではないか。そんなことを話したら、職員もいろんな人がいるから、合う人に当たると良いですよ、色んな人の意見を聞いてみましょうと言う。

 今、私が抱えている問題で、いちばん急を要するのは、空き家になった実家の植木が伸びてしまって近隣に迷惑を掛けていることだ。そんな話もしたら、だったら横になったまま、スマートフォンで業者を調べてみては如何ですか? と言われる。

 結局、横になったまま、TwitterのDMの遣り取りをしたりFacebookを見たりして昼までを過ごした。それでも、こんなことをしていていいのだろうかという不安が襲ってくる。そんな話をしたら、それでいいんです、特に何かしようと思わなくていいんですよと言う。

 それから昼食を摂り、頭が痛いのでロキソニンを服んでいいのか電話。実は胃が痛く、朝から胃が変である。胃が変といえば味覚も変で、味を感じないのに外食をして損な気分になったという話もしていた。

 昼食は、美味しいお弁当でもと言われ、そんな話の続きもしようと思ったのだが、結局はロキソニンの話で終始ししてしまった。やっぱり調子が悪いのかもしれませんねと言われた。

 そして、ロキソニンが効いたのか効かないのか、頭痛が引いたので、また連絡。そんなにしょっちゅう電話をして怒られるかな? とちょっと不安だった。ただ、起きていなさいと言うことの真意は判って、熟睡しないと寝不足の感じは取れませんよ、半端に眠って、夜、眠れなくなった方が困るでしょ、というものであった。

 そして、死にたい気持ちが強くなって、またも電話。閉塞感は、外の空気を吸うことで改善するかもしれませんと言われ、普段は自宅マンション1階のコンビニで用を足すのだが、1軒先のコンビニまで行ってくる。

 そんなふうにして、訪問看護に指示を仰ぎながら、騙し騙し、今日を何とか乗り越えた。やっぱり大切なことは言葉を尽くすことだし、真実はTPOによっても異なるという変な教訓を得たのだった。