遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

不安の多さと不健康さと。

撮影データ
日時:2023年10月24日・16時10分
ボディ:PENTAX KP
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDM の40㎜域
絞り:f22
シャッタースピード:1/100s (Auto)
感度:ISO 800 (Auto)
(絞り優先AE)

 

 今朝も不安で早朝、目が覚めた。不安でジッとしていられない。いつもなら、この程度の寝不足なら午前6時ころに朝食を食べて午前7時ごろまで二度寝ができるのだが、なんせジッとしていられないのだ。

 今日の不安は家の立ち退きのことについて。ここ半年から1年くらいでマンションの高層ビル化に伴って立ち退きがあるのだが、引っ越してきたときには、ここに永住するつもりだったし、かなり荷物が増えて汚部屋になってしまっている。

 もし、引っ越しに、あれを持っていけなければ捨てなければならないのかと、色々と自分では大切な持ち物を頭の中で考える。とりあえず頭の片隅に置いておいて少し休もうと思っても、考えが追い払えない。

 昨日は、それでも音楽を聴いたりして気を紛らわせることができたのだが、今日は、それすらできない。また酒漬けになってすべてを忘れるしかないのかと思う。そこで、昨日の訪問看護の看護師さんに勧められて訪問看護に電話。

 昨日の看護師さん曰くアドバイスが得意な方の人が出て、散歩に行く提案をされるが、ちょっと無理。窓を開けるなど、色々と提案を実行してみる。さして気分は変わらないが、少しは気が紛れた。ただ、今日は、イライラして音楽を聴いたりできない。

 無理して起き上がってBlogを書こうとするも、それも体調が悪くて、すぐに横になってしまう。しかし、横になったところで、ジッとしていられないのだ。起きて地獄、寝て地獄である。

 今日はヘルパーさんが来るので少し早めに昼食を食べる。住んでいるマンションと同じ建物に入っているコンビニの弁当。3食コンビニで掃除はヘルパーさんにやらせ、買い物に行くのも怖くて訪問看護に同行してもらっている。

 自分はいったい、何のために生きているのだろう… そう思って、また訪問看護に電話をしてしまった。かなり意志の強そうな女性が出たので怖々だったのだが、今はBlogを書いても、考え事が多くて手に付かないと思いますよ、とりあえず、お茶でも飲んでくださいと言われる。

 ヘルパーさんはいつもの人ではなく管理者の人が来た。いつもの人の家族に発熱者が出たので念のためとのことだった。50分、みっちり掃除をしていってくれて、私としては恐縮しかない。その間、私としては、ボーッとWebを見たり横になったりしていただけだった。

 しかもである。先ほども書いたが起きて机に向かっているのが辛い。起きるのが辛いというのは、よほど体力が衰えてている。こんな奴、生きていない方が良い。殺意が自分に向かってしまう。

 今日、何度目かのコーヒーを買いに行き、何度目かの訪問看護への電話。今度の人はBlogなどに考えを書き出してみるのも良いと思いますよと言う。かくして書き出しているのだが、自分に生きている意味なんてないのではないかということ。

 今日は命の危機95%。本当、自分が生きている意味が判らないというか、生きていない方が良いのではないかと思ってしまった。

 

 

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