遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

朝のバスガール。

撮影データ
日時:2023年08月10日・09時00分
ボディ:PENTAX K-3
レンズ:HD PENTAX-DA 20-40mm F2.8-4 ED Limited DC WR の30mm域
絞り:f22
シャッタースピード:1/80s (Auto)
感度:ISO 100 (Auto)
(絞り優先AE)

 

 タイトルに特に意味はない。筒井康隆先生の小説に「朝のガスパール」というのがあるのだが、「朝のバスガール」だと思っていた読者がいたとか。同様に、五木寛之先生の作品に「デラシネの旗」というのがあるのだが、これも「たらちねの母」だと思っている読者がいたと五木先生も憤慨に近く述べていた。まぁ、本当に読んでいれば絶対にしない間違いである。

 さて、バスガールは乗っていないものの寓居の窓からは走っている路線バスが見える。早朝、魘されて目が覚め、午後6時ころになり窓際のPCに向かおうとすると、もう路線バスが走っている。他方、私は苦しくて目が覚め、起きているのもやっとである。働いている人はそれ自体、尊敬するが、さらに、この時間に働いている人は凄いなと思う。路線バスなんて終バスは早くなったとはいえ午後11時ころまで走っている。

 私はサラリーマン時代、貿易事務の仕事をしていた。日本は圧倒的に輸出が多いし、私も職歴上、輸入はやったことはないが、どの会社にいても輸出の仕事というのは午前中は結構、暇であった。というのは、朝は現場の人たちが梱包をして、その梱包したデータ(どの大きさの箱に何が幾つ入っているとか)に基づいて書類を作るので、スタートが遅いのだ。

 また、編集者の仕事をしていたときは自由勤務で、私はアシスタントであったから、ボスに当たる社員は午後5時ころ来て徹夜などと言うことがあった。それでも書籍編集部だから時間が整っている方で、雑誌社であったからメインである雑誌編集部の部員はカフェイン入りの炭酸水などというものを飲んで毎日のように徹夜をしていた。お裾分けを貰うのだが飲めたものではない。エナジードリンクなどない時代であった。

 そんなこんなで私は朝が弱い。白金の自宅から丸の内の会社まで慣れれば自転車で20分ていどだったので、起きるのも午前7時半などであった。学生時代も麻布から神田までだったので、ほぼ変わりはない。それでも、今、これらの時間を見ると、朝、早いなと思う。早起きと言えば今は魘されて午前3時ころ目が覚めるのだが、苦しくて苦しくて、起き出すのは昼近くである。

 それで生活の改善をと取り組んでいて、今、午前9時から机に向かって、これを書いているのだが、やはり苦しくて仕方がない。すぐにでも横になりたいが、横になっても、のたうち回っているだけなので、まだ、これを書いていた方が良いということになる。今になると、よく、会社勤めなどしていたものだなぁと思う。もう、会社を辞めて10年以上の時が経つが、同い年のサラリーマンは、午前6時ころに起きて満員電車に揺られて会社に行っているのだ。

 それだけで尊い。私は子供のころ、松戸の郊外に住んでお茶の水の四谷大塚に通っていたのだが、そんな私に席を譲ってくれるサラリーマンがいたことを、今でも忘れない。今は、なかなか体調が悪く、電車で席を譲ることなど、とてもでないけどできないのであるが、世の中の人は概ねの人が少なくとも私よりは頑張っているわけだし、他人には親切にしたいなと思う。

 今日は、午後、通院して、さらに眼鏡屋で得意客限定バーゲンをしているので眼鏡を作りに行く予定なので午前中に書きました。今年は5年ぶりの免許の更新だが、かなり度が進んでいるのだ。命の危機、午前中だけだと70%くらい。起きて机に向かえるだけ、まだマシと言ったところ。今日の写真(このBlogの写真は、原則としてエントリーと同日のものを使用している)も朝、撮った。写真を撮りながら眩しくて仕方がなかった。

 

 

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