遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

オンのときとオフのとき。

 始めに書いておく。今日は命の危機85%。昨日の95%という、とんでもない数字からは下がったものの、やはり「大丈夫、死にやしないよ」と言える状況ではない。それでも昨日の瀕死の状態を脱して、少し気が抜けているようなところもある。昨日、文章を書く力がなかった分、何か書きたいが、それとは違った意味で力が出ない。

 

 今日で10月も最後。今日は後述する写真を再掲するつもりだったので写真は撮らないと思ったのだが、このPENTAX K-70を使い始めたのが10月8日。目の前では東京タワーがハロウィンのライトアップをしていて、久しぶりに、それまで使っていたPENTAX K-3で撮って進化を実感しようと思ったのだが、余りにPENTAX K-70に比べて画質が劣るので撮り直した。

撮影データ(1枚目)
日時:2020年10月31日17時40分
ボディ:PENTAX K-3
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの230mm域
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/40s
感度:ISO 5400(Auto)
(シャッタースピード優先AE・シフトパターンをカスタマイズ)

撮影データ(2枚目)
日時:2020年10月31日17時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの210mm域
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/13s
感度:ISO 3200(Auto)
(シャッタースピード優先AE)

 

 画質が良いと思ったらカメラ背後の液晶モニター上でのことだけだったらしく、ブレが酷く慌ててPENTAX K-3の写真もカメラから取り出す。しかし、もうカメラが2台あるだけで頭が混乱して画像を消してしまい、SDカードの付属ソフトの出来が悪いのでRecuvaをインストールしたりする。やはりブレていないのはPENTAX K-3を使い慣れているせいからか。他にも久しぶりに使ったら何故かRAWファイルの形式や画像サイズの設定が変わっていた。

 

 さて、今日は訪問看護だった。私の本来の担当者の日だ。昨日、電話で散々だったので、今日も何か言われるかなと思ったら、そうでもなかった。毎日、写真は撮っていることなどを話し、撮った写真を見せる。昨日は説明も書けなかったしデータも載せられなかったので再掲する。しかしブラシも掛けていなければ光も当てておらず恥ずかしい。

撮影データ
日時:2020年10月30日16時30分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの190mm域
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/15s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

 このヒヨコのピンバッジは土岐麻子さんの「ひよこ劇場」という作品キャラクターで「ひよこ」という名前のヒヨコのもの。私としては常にジャケットのフラワーホールに付けてあるので、バッジを撮った意識はなく、今日、訪問看護に、このキャラクターは何ですか? と訊かれて、そういえば、ここにも書いていないと思った。

 ちなみに「ひよこ劇場」は書籍化して今も土岐麻子さんのグッズLINEスタンプに使われているが、オリジナルはInstagramの漫画だ。プロフィールの埋め込みができないので1投稿を。これは飼い主の「みちこ」が、七夕の短冊に「ひよこちゃんの願いが叶いますように」と書いたのを知ったときのひよこの様子。

 
 
 
 
 
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 この漫画ではないが、昨日も、このBlogにコメントをくださった人がいて、本当に死ぬほど嬉しいというか、死ぬわけにはいかないと決意を新たにした。ちなみにネットストーカー被害に遭い猜疑心いっぱいの私はIPアドレスから投稿元を調べてしまったのだが、関西中心部のモバイル回線からだった(ネットストーカーは川崎市)。休日出勤中に私のBlogをお読みいただいたのだろうか。以前から梅田からのアクセスはあったので、ありがたいことだ。

 頑張らねば頑張らねばと思っても、やはり苦しい。このBlogエントリーを書いている今、売却する実家の管理を頼んでいる友人の弁護士から連絡があり、植木の伐採に五十数万円かかるという。実家が近隣に巻き散らかしている迷惑など頭が痛いのだが、相続したのだから金が入るねなどと気軽に言う人がいて腹立たしい。そういう人間に限って確定申告すら自分でできない。

 さて、話を訪問看護に戻すと、そういう煩わしいことが仕事だと割り切れるのに、何で自分のこととなると面倒になるのだろうという話をしたら、訪問看護の今日の担当者(看護師さん)は、そういうものではないですか? と言う。

 この人は、今日もそうだが、なにか仕事のときは腹を立てている様子というのはなく、私は会社員時代、いちいち些細なことに腹を立てていたので凄いなと思う。そういう話をしたら、私(fonttoto)は、全部、真剣に受け止めてしまうんでしょうねという風に言われた。

 うーん、と思う。もし、そうだとして、オフの方が受け止めておくことが多いとしたら、それは、やはり自分を大切にしていないのかなと思う。かつてのBlogに「自分へ向かう殺意」という文章を書いたが、やはり自分なんて死ねばいいのにと思っている事実がある。

 もし、この看護師さんが、昨日、その日がオフであるために自分に優しく他人に厳しくなっているとしたら、なんか、家族にとっては怖い母親だなと思ってしまう。私と同世代にしては子供が小さく(といっても私自身は独身で子なしだが)特に子供には優しくしてほしい。

 そして、今日の訪問看護では意外なことで理解が得られた。眠れなくて苦しいときは… と言われて、眠れなくて苦しいんではなく、苦しくて眠れないんですと言ったら、それが通じた。

 以前も書いたが、過緊張で焦燥感が激しく横になってもいられないと区の精神障害者支援センターの職員に話したとき、それでも落ち着いていなければ休まりませんと言われた。この職員は「横になっている=落ち着いている」だと思っていて、受託団体が変わってから、このセンターの職員の頭は硬直していると言わざるを得ない。

 ちなみに、そのセンターのGoogleの口コミだが、こんなのもある。すぐに消されると思うので詳細はリンクのみとする。私も、母が死んで… と言ったら、すぐに都営住宅に引っ越せと言われた。生活保護を受給するためだという。どのように日常を組み立てていったら… と言ったら、何を言っているのだという顔で、1日中、この施設でボーッとしていてはいけないのかと言われた。この口コミに書かれているのと同じ若い女性の職員だと思うが、この人の頭の中では、精神障害者というのは、そういうものなのだろう。

 また、なんか変な方向に行ってしまった。このセンターの女性職員には精神を病んだら人生を降りるべきというような考えがあると思う。だったら、それを相手にしている自分も人生を降りろと言いたくなる。その点、まだ、オンとオフを考えてくれる訪問看護の方が有り難いのだろうか。

 

 今日は今日で、体力というか気力的に余裕があるのに締まらない文章になってしまった。なんか、これはこれで、今日は、これしか書けないという一例である。もう午後9時だ。締め切りは優に過ぎているし、さすがに眠れなくても寝ないと身が持たない。今日も最後までお読みいただき感謝しています。

 

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