遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

家族・親族が1人もいない恐怖。

 一昨日あたり、Instagram中谷美紀さんの投稿を見て、武相荘でお茶を頂いたなどとあり、国際結婚して海外で暮らしているのに、この心の余裕は凄いなと、感嘆するどころか畏怖を覚えた。中谷さんは達筆でも知られるが、私は、精神状態がこうなってから、読むのがやっとの字を書くのが精一杯である。

 さて、今日は、相変わらず中途覚醒3時間というような睡眠を終え、起きたときは、眠いなぁと思っただけだったが、また30秒しないで恐怖に襲われた。それは、孤立無援の恐怖だった。

 私には兄弟がいない。若いときには精神病で一杯いっぱいだったから、結婚もしていない。それに叔父叔母もいないし、従兄弟もいない。そんなことが、ものすごく不安になってしまった。

 私のBlog仲間で、やはり私と同程度だと察する緊張感や焦燥感に悩まされている方がいる。ただ、この人は、私と違って買い物に行けたり写真の現像ができたりしている。私は、怖くて自転車など乗れない。

 昨日のBlogに、奥さんの実家に行った話などが書いてあり、そうだ、この人は家族がいるのだと思った。また、北海道ながら、実家に親がいるらしい。決定的な違いは、ここだろう。

 私は母が死んだときの恐怖をFacebookに投稿したら、親戚の1人ぐらいいるだろう、大袈裟な、みたいなことを書かれた。しかし、3親等とかではなく、それを100親等に広げても、私には親族も姻族もいない。

 孤立無援というのは、ものすごく怖いことである、