遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

記憶にございません。

撮影データ
日時:2022年06月24日・19時10分
ボディ:PENTAX K-3
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDM の63㎜域
絞り:f6.3
シャッタースピード:1/50s
感度:ISO 1600

 

カメラを引っ張り出しているうちに夕焼けが消えた…。

 

 

 今日は通院。本当は昨日だったのだが、昨日、消防器具(避難梯子)の点検に来たので、今日にズレた。

 しかし、昨日は、今日の外出のためにシャワーを浴び、出先で一昨日の小説の続きを書くつもりだったので参考文献を借りに行った。

 それが、全く覚えていないのだ。参考文献は鞄に入れてあるものの、昨日、図書館に行った記憶もない。

 そして、今日は、向こうでペラ4枚は余裕で掛ける時間を見て家を出たのだけど、参考文献まであるのに何も書けない。

 そもそも、朝から体調が悪く、何か、ダルくて仕方がない。不安も強い(診察で主治医はそれを注視していた)。

 今日は、訪問看護が来て、嫌々、起きるという状態だった。明日から、今日までの分も取り戻さねば。

 

酒で寝る。

 昨日、疲れているので薬(ヒルナミン)で寝ようとしたが恐怖を感じただけで眠れなかった。医師の処方なのに、まったく睡眠に寄与していない。

 今日、あまりにも寝不足なので、酒(ビール)で寝る。無理して飲んでいるので、量は飲めなかったが、眠ることができた。やはり恐怖は感じたが…。

 

 昼間、爆睡し、午後5時過ぎまで寝て、今も寝ぼけて訳が判らい状態。今晩眠れるのか、それが問題だ。ヒルナミン以上に効く眠剤であった。

不健康なところは人格というより病気の症状。

 私の担当の保健師さんの言葉。「fonttotoさんの不健康なところは病気の症状なんだよ」とのこと。あえて、原文のまま。私は他人に好かれない、それは人格に問題があるからだと思っていると私の方から言ったことを受けての話である。担当の保健師さんは私を他人に好かれる人だと言う。

 昨日も訪問看護の担当者から電話があって、何かと思ったら「あなたのような電話をしてくる人から最近、電話がないので何かと思って電話をした」とのこと。決して健康状態を心配して架けてきたのではないのだ。

 書いたように訪問看護にとって、精神は「みんな同じ」なので、電話をしてくるのは「忍耐力がないから」「構って欲しいから」であるというのが、その主張だ。なので、健康状態が改善したからではなく、他に理由があるから電話がないと思っているのだ。

 それでも、朝の連続テレビ小説ではないが、ここ1週間、37.4℃を超える熱は引いていない。それなりの苦しさ(風邪症状に近い)はある。かといって、それで辛いから何とかしてくれなどと私が電話をしたことは、いまだかつて、ない。

 私のネットストーカーなど、私の精神症状が辛いころの話ばかりを取り上げて、それを私の本性のように「人格が崩壊している」などと書いている。この訪問看護の態度について書いたときも「医師から厳しく当たるように引き継ぎがされているのに(そのような事実はない)素直に受け取れない崩壊した人格」などと書いている。

 それは自分の崩壊している人格の「投影」であることは、その幼稚な理論からも判る。ネットストーカーの父親が天皇を非難する理由として、単に戦時下の日本にいただけなのに、「天皇陛下のために命を捧げて戦ったのに」と、上記の医師からの引き継ぎのように、ありもしない事実を付加してしまう。命を捧げて戦ったはずの父親は出征していないどころか中学生であったそうだ。そういう矛盾を平気で書いてしまうところがバカである。

 しかしである。医療従事者(医療従事者は何で自分たちを「医療者」というのだろう、さながら魔法使いのように医療を扱う人のようだ)が「精神病は忍耐のなさ」というのは、どうだろうか。

 その理論で言うと、苦痛を訴える精神病患者は、すべて我が儘を言っていることになってしまう。そう主張する人は少ないかというとそうでもなく、私の前任の主治医など、看護師ではなく精神科専門医(指導医でもある)であっても同じであった。今でも変わらない様子はネットに書かれている。

 その前任の主治医には、心臓が針の筵の上で転がされている感覚があり起きていられないと言ったら、ゴロゴロしたいための言い訳と言われ、その感覚で夜も眠れないと言ったら夜更かししたいための言い訳と言われた。

 前任の主治医が起こしたようなものだが、ちょっとした問題が起き、警察官・検察官・弁護士が関わったことがある。苦しくて早く休みたく眠剤を服む時間が早まってしまったことについても、前任の主治医は「言うことを効かず眠剤を時間通りに服まない」と法的書類に書き、彼ら法曹関係者(司法警察員を含む)という「非医療者」から「何だ? そんなことも判らない医者!」と総スカンを食らった。

 結局、「医療者」であっても解らず屋というのはいるものであり、逆に、眠剤を時間通りに服まないのには理由があるはずと考える理論的な「非医療者」の方が理解があるということもあるのだ。

鬱病でシャワーが浴びられないこと。

 今朝、私は顔を洗うのが面倒で、いっそのことシャワーを浴びて顔を洗って髭を剃ろうと思った(私は浴室でしか髭を剃らない)。普通にシャワーを浴び、頭を洗い、髭を剃り、身体を洗って浴室を出た。

 しかし、鬱になるとシャワーが浴びられなくなることが多々ある。これは私に限ったことではなく、Twitterでは、そういうときに無理してシャワーを浴びることを「シャワーを倒す」と表現することを最近、知った。

 これは、決して面倒だから浴びないのではない。今日など、鬱が酷くないとはいえ、顔を洗うのが面倒だからとシャワーを浴びるくらいなので、むしろ顔を洗うほうが面倒だというときもある。

 ところがである。前任の主治医は「どんな億劫でも社会人は次の日に人に会うからシャワーを浴びるんです」と言う。この人は、何事も、しないのは、すべて億劫だからと言い張り、私が何か言うと嘘を付いていると言う。

 ちなみに、この医師は、現在は独立して、今まで勤めていた総合病院の近所で開業している。広告と判らないように口コミサイトに広告を出していて(これはステマ?)、Googleの口コミでは、当日のキャンセルをしたら2度と診てくれないと書かれている。

ダウン。

 今朝も毎日のように汗を大量にかいて目が覚める。違うのは、ここから。いつもは焦燥感や緊張などで寝ていられないのだが、今日は、ダルくて起きられないのだ。

 昨日、収入印紙を買ってきたので、今日は登記申請書を印刷して印紙を貼って郵便局に発送しに行く予定だった。

 そのためには、火曜日から浴びていないのでシャワーを浴びなければいけないのだが、それさえできない。今朝の滝のような汗で、身体が臭い。

 結局、シャワーを浴びられず、そのために外出ができない。夕方まで家で横になって過ごして昼間は終わってしまった。

 それでも夕刻になりシャワーを浴びて洗濯機を回す。外は曇りで変な照り返しがないので、三脚を立ててSNSのプロフィール写真を撮り直した。

 登記申請書だが、肝心なところが駄目で、2軒分の登録免許税分の収入印紙を買ってきたのだが、按分するには大きな額面の印紙を買ってしまった。

これでも辛くない方の1日。

 昨晩、不安で眠れず、ついでに飲用に湯を沸かそうとしたら(私はカルキを抜いた湯冷ましの水を飲んでいる)ガスが付いておらず、10分ほどして私がいる隣室までガス臭くなった。

 改めてガスを付けたらチリンチリンとヤカンの湯が熱せられる音がして、その音がしないのにも気が付かなかったのかと思った。それからすぐに眠りに落ちたものの、今朝は午前3時半に滝のような汗をかいて目覚め。

 それから1日のことを拙Blogのアカウントで呟いてみたので、私の1日の苦しさ(それでも楽な方)をご理解いただけたらと思う。なお、普段、Twitterは別にあるプライベートのアカウントで運用している。

 

何もしない、をする。

 昨日、物凄く苦しみながらもTwitterで知人に話をして、それは文章にまとめるといいかも知れないと言われたことを、あえて原文の意味を損ねないようにスクリーンショットに撮り、掲載許可も貰ったのだが、やっぱり苦しい中だと本領は出ない。掲載は、また、後日にする。

 さて、今日も朝から苦しい。早朝、悪夢を見て冷や汗を大量にかいて目が覚める。それからの苦痛の酷さと言ったら。加えて、母が死んで実家の郵便物を自宅に転送しているのだが、住所は実家で宛名は私の金融関係の書類がある。

 そこに電話をして、とりあえず住所変更の手続きを取ることにした(なぜか、そのために実印+印鑑証明や住民票も必要らしい)。しかし、今度は、その手続きを考えて気が重くなり苦しさが増すという悪循環に。

 TwitterのDMで世話になっている山姥さんに、もう投げ出したいと言ったら、今日は投げ出してみたらどうかと言われる。それに、そのために平日は体調が良いと言っても過言ではない保健師さんに相談をしたら、一旦、手放してはどうですかと言われる。

 保健師さんの話だと、それはアルコール依存症自助グループでよく言われることだという。アルコール依存症自助グループキリスト教系のところが多く、なかなか神がかりではなくそれについて書いてあるところが少ないかなと思ったら、すぐに見付かった。

 曰く、手放したところで、物事は改善もしないけど悪化もしない。誰も迷惑を被らない。なるほどと思った。手を打たないと手遅れになるようなことは、とりあえずはない。むしろ、こっちからプッシュしようかと思っていたことばかり。

 また、この前も書いた拝読しているBlogで、「気持ちの切り替え最強説」に近い説を書いている人がいるのだけど、これも応用が利いて、金融機関にある物も只同然のものだけど借金ではない(私の事務を会社員時代の売上に換算すると赤字だが)。しかも、名義が私なので相続の手続きを取らなくても良い。この2つの事実も保健師さんに提示されて明文化したのだけど。

 結局、このBlogを書いたりはしているのだけど、ちょうど山姥さんもBlogを書くというので、その余った時間、何もしないことにした。実は、それ以前に朝の連続テレビ小説を観ようとして挫折したりしている。

 結局、本当に何もしないというのは無理だった。横になりながらスマートフォンSNSを見たりしているのだけど、とりあえず、訪問看護に言われている睡眠の記録を付けたりとか、普段は義務に思っていることを放り投げただけで、かなり楽になった。

 結局、何もしないと言いつつ何かしてはいるのだけど、義務だと思い込んでいることを義務と思わないだけで、かなり楽にはなるようだ。