遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

何もしない、をする。

 昨日、物凄く苦しみながらもTwitterで知人に話をして、それは文章にまとめるといいかも知れないと言われたことを、あえて原文の意味を損ねないようにスクリーンショットに撮り、掲載許可も貰ったのだが、やっぱり苦しい中だと本領は出ない。掲載は、また、後日にする。

 さて、今日も朝から苦しい。早朝、悪夢を見て冷や汗を大量にかいて目が覚める。それからの苦痛の酷さと言ったら。加えて、母が死んで実家の郵便物を自宅に転送しているのだが、住所は実家で宛名は私の金融関係の書類がある。

 そこに電話をして、とりあえず住所変更の手続きを取ることにした(なぜか、そのために実印+印鑑証明や住民票も必要らしい)。しかし、今度は、その手続きを考えて気が重くなり苦しさが増すという悪循環に。

 TwitterのDMで世話になっている山姥さんに、もう投げ出したいと言ったら、今日は投げ出してみたらどうかと言われる。それに、そのために平日は体調が良いと言っても過言ではない保健師さんに相談をしたら、一旦、手放してはどうですかと言われる。

 保健師さんの話だと、それはアルコール依存症自助グループでよく言われることだという。アルコール依存症自助グループキリスト教系のところが多く、なかなか神がかりではなくそれについて書いてあるところが少ないかなと思ったら、すぐに見付かった。

 曰く、手放したところで、物事は改善もしないけど悪化もしない。誰も迷惑を被らない。なるほどと思った。手を打たないと手遅れになるようなことは、とりあえずはない。むしろ、こっちからプッシュしようかと思っていたことばかり。

 また、この前も書いた拝読しているBlogで、「気持ちの切り替え最強説」に近い説を書いている人がいるのだけど、これも応用が利いて、金融機関にある物も只同然のものだけど借金ではない(私の事務を会社員時代の売上に換算すると赤字だが)。しかも、名義が私なので相続の手続きを取らなくても良い。この2つの事実も保健師さんに提示されて明文化したのだけど。

 結局、このBlogを書いたりはしているのだけど、ちょうど山姥さんもBlogを書くというので、その余った時間、何もしないことにした。実は、それ以前に朝の連続テレビ小説を観ようとして挫折したりしている。

 結局、本当に何もしないというのは無理だった。横になりながらスマートフォンSNSを見たりしているのだけど、とりあえず、訪問看護に言われている睡眠の記録を付けたりとか、普段は義務に思っていることを放り投げただけで、かなり楽になった。

 結局、何もしないと言いつつ何かしてはいるのだけど、義務だと思い込んでいることを義務と思わないだけで、かなり楽にはなるようだ。