遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

比類なき苦しさ。

 午後6時、まだ起きられていない。寝床からスマートフォンを使って書いている。それでも書けるようになっただけマシ。

 今日の主治医は産業医の仕事をしているので出勤は午後。どちらにせよ苦しくて起きられないのだが午後になり電話をする。

 先週、レスリンが処方されてから起きられないということを話したら、考えにくいことだけど、以前から服んでいるヒルナミンの方が、俄然、強いので、それを止めてくださいとのこと。

 昨日も全然、思ったことが書き切れていないが、それでも、良く書いたと思う。今日は、それさえも書けない。こうやって、できることが減っていくことが悲しい。顔も、ついに1週間、洗えず、爛れてヒリヒリ痛む。

 午後7時ちかくになり、やっと起き上がって写真を撮った。

撮影データ
日時:2020年11月22日18時40分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの68mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/10s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

 今日の命の危機90%。少し前のように死に直結した苦しさはないが苦しくて死を選択したくなる。

 

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何もできなくて苦しい。

 本当に何もできない。以前、父が死んで母に振り回されていたときは、近所とはいえTwitterの友人に勧められて東京都庭園美術館に行ったり、母が死んだころにも東京都写真美術館に行ったりしたのに、それもできない。

 そもそもシャワーが浴びられない。1週間、勘違いしていたが、一昨日が排水管の清掃だったり今日が税理士との面談だったりしたら、行けなくて、どうしようという状況だったと思う。

 今日もロクに眠れず。訪問看護が来るが、体調が悪そうなので早めに帰りますとのことだった。血圧が低いとのこと。それでも訪問中に笑顔が見られるようになって良かったと思いますと言われるが、そもそも看護師さんの顔を見て話せていない。

 しかし、美術館に行かないまでも喫茶店にも行けなくなった。以前は、喫茶店に行くのが唯一の楽しみというは如何なものかと思っていたのだが、それもできなくなった。トイレに立つのもやっとで、今日も午後6時まで起き上がれなかった。起き上がっても苦しくて、起きては横になりを繰り返している。

 トイレに立つのも苦しく、食事はもっと苦しいので摂れていない。観たかったTV番組を観たといって感想を上げているBlogを見て泣きたくなる。そして相変わらず文章が書けない。これが何よりも苦しい。言いたいことが沢山あるのに、何も表現できない。

 それでも今日はトイレに立ったついでに窓から建設中の高層マンションの写真が撮れた。ただ、以前、見たときのことを忘れているので、それから、どの程度、組み上がっているのか判らない。

 今日の命の危機80%。以前のような死に直結する苦しみはないが、やはり苦しくて死を考える。

撮影データ
日時:2020年11月21日12時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの115mm域
絞り:f7.1(Auto)
シャッタースピード:1/500s(Auto)
感度:ISO 100(Auto)
(プログラムAE)

 

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鎮静作用のある抗鬱剤。

 今日も、やっとの思いで起き上がったのは、午後6時。何かまとまったことを書こうと思うが、昨日みたいに書けないとショックなので、それは止めにする。

 例の訪問看護の金曜日の担当者には、Blogを書くのが唯一の楽しみと言われるが、そんな自己満足な娯楽目的で書いているのではないので腹が立つ。

 そのような訳で、今日は考えをまとめて書こうなどとは思わず、あったことだけを粛々と書くことにする。

 滝のような汗をかかなくなったし、今日も、多少は眠れたので、医師の処方が効いているようではある。夜中、激痛で目が覚めるのも寝る前にロキソニンを服むことで少し和らいでいる。

 しかし、本当に起きられないのだ。腰が痛くなって起きたいなと思っても起きられない。頭の中で金属の紐が擦れるような音がしない瞬間も一瞬だけあったのだが、逆に以前のように苦しい故に何かしようという気力もない。

 先週の通院で「レスリン」という薬が追加になった。主治医に言わせると鎮静作用のある抗鬱剤とのことだった。単なる鎮静作用のあるトランキライザーだと弛緩するだけで何もできなくなるからとのことだった。

 しかし、それで、動けないことに関する焦りも増しているような気がする。まぁ、動こうという気力が湧かないのよりも良いのかもしれないが。

 今日も昼過ぎまで食事も摂れなかった。水や薬を服みに何回か立ってはいるのだが、それを機に起きようとしてもできない。腰が痛く空腹だというのに、起き上がるのは、それを上回る苦痛である。

 腰の痛さより起きられない辛さの方が上回っているのだ。これも前任の主治医であるクズ医者に「のたうち回っている人の方がゴロゴロしている人より偉いということはありません!」と怒鳴られたことが思い出され嫌で仕方がない。

 やはり考えをまとめて書こうとしなくて良かった。ここで苦しくなってペンを置かせてもらいたい。今日の命の危機80%。死にたい衝動は再現していないが、苦しくて死にたいという気持ちが特に朝に大きい。

 写真も、起き上がるのが日没過ぎなので、明るい東京タワーばかりになってしまう。ちょっと前にアップしていた高層マンションは、もう、どこまでできているだろうか。

撮影データ
日時:2020年11月20日19時10分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの115mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/10s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

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「構ってちゃん」の目的は他人の気を引きたいだけなのか。

 今朝はFitibitスマートウォッチによると「深い睡眠」は、ほぼゼロ。午前4時に起きてしまって、昨日フル充電したのに、なぜかそこで電源が落ちてしまい記録が取れていないが、午前4時から「深い睡眠」が記録されるとも思わないので、そんなものなのだろう。

 しかし苦しい。午前4時から苦しんで、起き出したのは午後5時過ぎ。それも耐えられず再び横になる。それまで、トイレと水を飲みには立っているが、食事も摂れない。空腹よりも起き上がる苦痛の方が大きいのだ。スマートフォンを見ることも、ほとんどできなかった。

 今日の午前中は排水管の清掃だと思ってスタンバイしていたのだが、正午になっても来ず。日付を確認すると、私は勝手に今日を11月26日だと思っていて、実際は来週であった。外から聞こえる子供の騒ぎ声も煩く感じ、色々と駄目だ。

 

 さて、今日は「構ってちゃん」と呼ばれる人について考えた。とあるFacebookのグループを覗いたら、場所まで指定して自殺予告をしている人がいて、それで、ご丁寧にも死ななかったし通報されて警察が来たなどと書いて顰蹙を買っていた。

 しかし、本当に、この人は、顰蹙コメントにあるように気を引きたいだけなのか。私も、訪問看護に、土・日に電話がないのは区の保健師さんのプライベートの電話番号を知っていて、そこに架けているに違いない、だって、苦しいからではなく構って欲しいから電話をするのでしょうと言われ、痛く傷ついた。

 ネットストーカーも、私の旧Blogを見て、ありもしない精神病を持ち出して… などと似たことを書いていて、しかし、この人は、自称、重症な精神病で入院にもなったのに、自らの偉大なセルフカウンセリングで立ち直ったという。寝る前にリスパダールが処方されただけだけど。単に悩みが解決した程度じゃないの? と思ったら医者にも似たことを言われている様子だ。入院も静養入院らしい。

 そして思い出すのが死ぬ直前の母のことだ。母は死ぬ前、自分は末期癌で薬害があると言って、連日、救急車を呼び、私は眠剤を服んだ後に救急隊の応対をしたり母が住むところの松戸市役所まで呼ばれて行って、Fitbitスマートウォッチによる「睡眠スコア」は、いまだかつてない90を記録したのに体重が1ヶ月で20㎏減った。

 市役所に呼ばれたとき、母が相談していたそうで医師会の人も来ていた。そして言われたのは「一番、お辛いのは本人」という言葉だった。これは私が受けている訪問看護やネットストーカーとは真逆の言葉である。

 そして、最近の苦痛の中で思うのは、本当に母は辛かったんだなということだ。母は、常に頭の中でエンジンが鳴っているように音が響くと言っていて、これは、最近、私が、頭の中で金属の紐が擦れている音がするような感覚と、程度の差こそあれ、似たものだろう。

 私は、そんなにガンガンと響くというほどではないのだが、それでも、かなり辛い。これの激しいのに、常時、耐えていたのかと思うと、なかなか辛そうだ。たしかに、それを「他人の気を引きたいだけ」などと言われたら堪ったものではないだろう。

 そう考えると「一番、お辛いのは本人」という言葉が非常な重みをもって感じられる。人の気を引くためではなく、それだけの訴えるべき苦痛があるからだと思える。

 ごめんなさい、今日も苦しくて神経が持ちません。中途半端ですが、ここでペンを置かせてもらいます。今日の命の危機85%。

撮影データ
日時:2020年11月19日19時40分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの80mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/13s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

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死を考えた後に死を想う。

 今日も辛い。昨晩は肉体的な苦痛で眠れなかった。それでもFitbitスマートウォッチによると「深い睡眠」は2時間に達し、訪問看護にはバイタルサインが良いと喜ばれる。

 ちなみに、今日の訪問看護は金曜日の看護師さんではなく月曜日の担当者が来た。時間的な都合なのか(今週から時間を30分遅らせてもらった)月曜日の訪問のときに話したことで、この2人は合わないなと思ったのかは知らない。

 さて、他方で、少し前のようなアグレッシブな倦怠感ではないが、倦怠感が抜けない。訪問看護が来ても起きられず、午後3時近くまで食事が摂れなかった。夕食は昨日は午後5時過ぎに摂ったので、寝しなに眠剤の口直しにアイスを食べているが、それを含めても19時間は何も食べていない。炭酸飲料くらいは飲んだ。

 今日は、本当は渋谷の行きつけの喫茶店に行く予定だった。しかし、起き上がったのが午後5時では、それもできない。それを楽しむ努力をしないと言われても困る。写真も、今から撮る。そして、また、苦しみながら色々と考える。

撮影データ
日時:2020年11月18日17時40分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-D FA MACRO 50mm F2.8
絞り:f2.8(解放)
シャッタースピード:1/100s(Auto)
感度:ISO 1250(Auto)
(プログラムAE・派手な偽色が出たのでホワイトバランスの設定を手動でしています)

 

 今日は鷺沢萠さんの名エッセー「『私』という『自分』」について考えた。同作品が収録されている書籍は、こちら。以前はNHK高校講座のPDFファイルを紹介したのだが、URLが変更され「目的外の使用禁止」というウォーターマークが入っているで書籍で読んで欲しい。勉強という目的でも高校講座以外は目的外の使用になるのだろうか。初出は、たしか宗教系の雑誌だったはずだ。

 

 さて、考えたのはエッセーの論旨とは外れたところである。次の一節だ。

私は死を恐れる。生に対する未練がある。たぶんそれは自分の生が無に帰するのが怖いのだと思う。

 ほんの短い一節であるし、筆者が自殺したということに触れられる機会も少ない。そう思ったらYahoo!知恵袋で、やはり「いま、彼女の作品を読むなら、そのことは知っておくべきだと思います。」と書いている人がいた。

 なんかYahoo!知恵袋の回答で、ほぼ私が言いたいことは代弁されてしまっている。

彼女が自殺したことを知っている人が読むと、

>そういう思いを切ないくらいに抱えながら生きていくことが「自分らしく生きる」と呼ぶに足り得るものであるならば、もしかしたら私は自分らしく生きているのかもしれない、と思う。私は死を恐れる。生に対する未練がある。たぶんそれは自分の生が無に帰するのが怖いせいだと思う。

という文章が凄い重みを持っている。
かといって、自殺したことに触れる必要は無いでしょう。このときの彼女は死を恐れているのだから。この文章を読ませてもらうことができて、私はとてもよかった。

やらなければならないこと、やりたいこと、そのはざまでどんな苦しみがあったか、少しだけわかりました。ほんとうに偶然のことでしたが、質問者さんにお礼を言います。どうもありがとう。

 

 この回答者さんが言う「凄い重み」である。私は、ここ2・3ヶ月くらいかな? 本当に嫌でも死について考えた。そして、その後に感じたのが「生に対する未練」である。これは若いときに自殺未遂をしたときは感じなかった。

 この、死を決意した後に感じる、その怖さというのは、到底、説明しがたい。この思いが解るというだけで、この回答者さんにお礼を言いたい。今日も苦しいので、まとまりがないが、この辺で。今日の命の危機70%。私も生に対する未練があるようだ。

 

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ほんの一瞬。

 今朝も、いつも同様の苦しさがある。それでも、0.2秒ていどだったが、このままでは死ねないという思いが頭を ぎった。本当に短い間で言葉にするのが追い付かなかったのだが、昨日のエントリーを書くにあたって、こんな些細なことで苦しんではいられないという思いだ。

 病気を描き切る、苦痛を描き切る。その過程において、こんなことには負けてはいられない。そういう思いが、本当に本当に一瞬だが頭を過ぎった。このままでは死ねないと思った。書き切るまで死ねない、そして、まだ書き出してもいない。

 しかし、そうは言っても一筋縄に行かず、何やら色々と思うことがあって、今は魂の修行のようなものというアヤシい宗教なことも思ってしまった。

 

 そして通院。既述のように私の家の最寄りのJRの駅は田町駅で、通院先のクリニックの最寄り駅は新橋駅だ。

 JRだと交通費が勿体ないので田町駅から新橋駅までJRには乗らず、三田駅から新橋駅まで都営浅草線を使っている。東京都は障害者手帳を持っていると無料で都営交通の乗車証が発給されるのだ。

 私の家の最寄り駅まではバスで行くのだが、バスは田町駅前という名前のバス停なのに三田駅の側に着く。そして、ちょっと田町駅に用を足しに行ってから三田駅に行ったら都営浅草線は遅延しているという。

 電車が来る様子もなければ、さかんに振り替え輸送の案内をしているので、JRに振り替えた方が良いのかと思って駅員さんに問い合わせてみる。

 そうしたら私の乗車証は振替の対象とならないことなどを教えてくれて、どっちにしろ田町駅に行くのも辛いので、そのまま三田駅で電車を待つことにする。東京の地理をご存じの方は多いと思って駅名を書いているのだが、両駅の間は数百メートルもない。

 しかし辛くて、死ぬ気満々というと変な感じだが、そこに救いを求めるように渇望し、本当にプラットフォームドアがなかったら飛び込んでいたと思う。

 そして、無理してカメラを携えてきたことを悔やむ。健康な人から楽しむ努力をしていないというようなことを言われるので無理して持ってきたのだが、本当に無理をしたという感想しかない。

 そして、カメラを持っているだけで楽しんでいるように見えるのか、ヘルプマークを付けていたところで健常者の配慮する対象からは外れるようだ。ただ、遅延した電車なので座れないのは織り込み済みなのだが、混んだ電車で立ちっぱなしだったのに、そんなに苦しくはなかった。

 電車に乗った当初は発狂までは行かないもののパニックを起こしそうと思ったのに、2駅だけだが平穏無事に降車まで過ごせたのは、混雑率250%の時代に松戸の外れからお茶の水まで地下鉄千代田線に乗って学習塾通いをしていたせいだろう。

 そして無理して喫茶店へ。今日は電車の遅延があり、行こうかどうか迷ったのだが、これも義務を果たすつもりで来た。

 ハッキリ言って、楽しむ努力をしたところで、結果、楽しくはないのだから、それは努力の方向として正しくないのだと思う。そのくせ、周りには楽しんでいるようにアピールされてしまう。楽しくもないのに、楽しいことをしていると言われる。

 何よりも口惜しいのは、何かにつけて努力をしていないと言われることだ。これだけ楽しくないことについて努力しているのだから、そして苦痛にも鈍になっているのだから、嫌なことに対してでも努力はしている。

 そして喫茶店。カメラを取り出して写真を撮るが、大幅にブレボケした。普段は、それも心理描写のひとつと思って掲載しているが、それも憚られるほどだ。

 そして診察。何が原因かと訊かれ不安だと思うと答える。そして、何が不安かと訊かれ、昨日、訪問看護に話したことと同様なことを繰り返す。また悩んでも仕方がないことを悩みますねと言われ、ラツーダの代わりにレスリンが処方となった。

 そして薬局。レスリンは1日4回の処方だが一包化に入れないで良いのかと訊かれ、今まで処方されていた防風通聖散が入手困難なので他の薬で代用できないか疑義照会をすると言われる。

 自分が一包化や疑義照会をするわけではないのに、もう、それだけで苦しくなってくる。1日に4回も薬を服まなければいけないのかと、それだけで苦しい。人間としてのキャパが狭くなっている。これも、それが本来の私の器の大きさではないのに、昨日のクズ医者のように、それを私だと思っている人間がいることに腹が立つ。

撮影データ
日時:2020年11月17日16時10分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの18mm端
絞り:f3.5(解放)
シャッタースピード:1/50s(Auto)
感度:ISO 500(Auto)
(プログラムAE)


 やっと帰りになり写真を1枚。上の写真、まさにその1枚しか撮れなかった。ただ水平にカメラを構えることを心掛けて撮る。帰りも辛いが、帰ってきて少し余裕が出てきたように思う。そして、ぼんやりと、私のTwitterのフォロワーさんや、このBlogの読者のことを想う。

 コメントくれた人、最近、ご自身のBlogの更新がない方…。先日、自分のBlogに「良くないことを考える」と書いていらっしゃった方がいて、おそらく経験者しか感じないだろうが、かなり差し迫った感じを受けたので、思わず「生きましょう」とコメントしてしまった。

 今、思うと、なんと思い遣りのないコメントだと思う。それを読んだときの自分の悲しい気分など、まったく伝わらない文章だ。ここで、どんなに悲しく思ったのか、相手に伝わるよう、切々と語るのが私らしいと思う。しかし、それができなかった。

 他方、それにより、私が死ぬ思いをしているとき、読者の方は、どんな風に思っているのかも類推することができた。決して大袈裟にならず、卑下もせず、それを切々と語るのが私らしいと思う。苦痛を感じて矮小化してはいられないのだ。

 順番が前後するのかしないのか判らないが、これからも書きたい、そのためには生きたい、そう思うことが、ほんの一瞬だがあったのが、今日の出来事だ。命の危機は少し引いて67.5%。今日こそ休まないと明日は死にそうだ。

 

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かなり思い詰めた。

 苦しんでいたら夜になり、慌ててカメラを真っ黒な空に向けてシャッターを切った。川上未映子さんが「すべての真夜中の恋人たち」で、空を見上げるというのは二重形容になるというようなことを書いていたが、真っ暗な夜空というのも二重形容になるのだろうか。

撮影データ
日時:2020年11月16日17時10分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの270mm端
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/5s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)


 せっかくBlogにコメントを貰えて嬉しかったのに、朝、こんな苦しみが続くのなら死のうと思い詰めた。

 どうして、こんなに苦しいのだろう。昨晩は、やはり苦痛に苛まれて何回か目が覚めたものの、頭の中で金属の紐がこすれているような音がする感覚はあるが、肩を激痛が走るということや他の肉体的な苦痛はなかった。それでもFitbitスマートウォッチを見ると脈は130を超えている。

 それからも乗り物酔いのようなダルさもあり、発狂しそうに苦しく、思わず訪問看護の月曜日の担当者に電話をする。昨日よりは落ち着いた印象を受けると言われるが、昨日、話したことが既に記憶にない。苦しい記憶に上書きされてしまっているのだ。

 他、色々と苦しみながら考えたのだが、昨日か一昨日も書いたように、苦しくて書けなかった。苦しくてスマートフォンを触ることもできず、Twitter(@fonttotoではなくプライベートのアカウント)でも触りていどもツィートできなかった。

 今日も訪問看護がある。何回か同じことを書いているが、私は週に3回、月曜日・水曜日・金曜日に訪問看護を受けていて、月曜日は私が担当者と呼ぶ私と同年代(アラフィフ)の女性、水曜日は年配の女性、金曜日は若い(30歳代なかば)男性である。

 今日の看護師さんは、来るなり「今日は良いお天気ですね!」と言ったが、私が、それどころではないことに気が付いた様子。先週に比べてお加減が良くないようですがというようなことを言ったが、そういえば、先週、この人は私の調子が良いと思って5分で帰って行ったのだっけ。

 何が心配ですか? と言われる。多すぎるが、とりあえず、直近では今週の土曜日に排水管の清掃が来るが去年の排水管の清掃から1回も掃除をしていないこと、来週の月曜日に税理士と相続税の申告についてのミーテイングがあることなどを話す。

 排水管の清掃については業者は慣れていますからと言われるが、そう簡単に言ってもという感じですよね… と先んじて言われる。それでも、他人に、どう思われるかというのは、あるていど割り切れるようになった。

 税理士のことについては何を言われたのか忘れた。これについては区の保健師さんに、父が死んだときも遺産分割協議書から何から自分で作って申告もできた実績があると言われるが、体調的には、当時より、かなり悪化していて、それが考慮に入れられていない。

 看護師さんは、今日は20分ほどいて、ゆっくり横になって休んでくださいと言って帰った。しかし、焦燥感というよりも、もっと肉体に由来しそうなジリジリした感覚がして休まらないのだ。

 明日の通院に備えてシャワーを浴びようと思うが浴びられない。先週、散髪に行くので無理をして浴びて以来、顔も洗えていない。顔も全面が“あかぎれ”のようになって、さらにニキビのように化膿している。

 また、シャワーを浴びていないので股間に汗が溜まり、そこも ただ れている。しかし、どうしてもシャワーが浴びられくて苦しい。ここで思い出すのが前任のクズ医者のことだ。このことも思い出すと辛くなる思い出だ。

 私は週に1回、それでも診察のときは無理をしてシャワーを浴びて行った。当時は心臓が針の筵の上で転がされているような感覚がして食事も摂れない状態なのにだ。そしてカミソリ負けしたところの肌が浮いて泥棒ヒゲのようになったのだが、クズ医者はシャワーを浴びないからだと言い放った。

 今もシャワーを浴びるのは同じ頻度であるが、そのような事態は起こっていない。また、このクズ医者は、脈が200bpm、血圧が300㎜Hgを超え「消防庁が」血栓症と判断して救急車を手配したときも、「こうやって普通のときもあるということは心臓病の訳がないんですよ、そんなことで救急車を呼ばないでください」と、私の言うことは何も信用しないのだ。

 なんか書いていて苦しくなってしまった。この医者は、他人がエッと驚きの声を上げるのに3ヶ月で総白髪になった(と他人に言われたが本当に3ヶ月で総白髪になるのか本人も半信半疑だ)のにも気付かず、シャワーが浴びられずに苦しいと言っても、そうやって苦しさの演技をしないで無精しないでシャワーを浴びくださいと言う。

 社会人は「面倒でも」次の日に人に会うからシャワーを浴びるのですと言うので、私も社会人だったので毎日、浴びていましたと言ったら、私がサラリーマンだったことも嘘だと言われた。そもそも、心臓の痛みがないときは普通に浴びていて、そういうときあると言うと、クズ医者はまたまたシャワーを浴びたという嘘を… などと言う。

 なんか思い出しただけで苦しくて書けなくなってしまった。結局、私は主治医を変えた。クズ医者は都立病院の勤務医だったから医療機関ごと変えた。それも、すでに主治医がいる患者本人が転院を申し出るのは医者と揉める患者だと見做されるので転院先が見付からず大変だった。

 今は見ての通りの苦しさはあるが、心臓が針の筵の上で転がされているようなという激しい身体症状はない。クズ医者が私は病気ではなく怠けだと言って全て薬を止めてしまったのだが、薬が再開してから落ち着いている感じだ。

 クズ医者については、今の主治医に、こういう嫌な思いをしたと話したら、私は症状に謙虚に耳を傾けるように心掛けていますと言われた。今は都立病院から独立して、その都営病院の近くに開業しているクズ医者だが、その独善さと調子の良さはネットの口コミで散見される。本当に患者に刺されて死ねばいいと思う。

 苦しいのに芋づる的に思い出されるので考えるのを止める。思い詰めたが思い直したのでトータルで見ると今日の命の危機75%。

 

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