遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

何もなくても恐怖に怯える。

 不安が強く朝から酒浸りになっている。それでも良いことがあるもので、酒の力でウトウトしたようである。

 ただ、ウトウトすると、ものすごい恐怖に襲われることがある。今日もウトウトッとして無防備なところで恐怖感に襲われた。

 この恐怖感、誰に説明しても判ってもらえない。私自体、初めて感じたのは40歳を過ぎてからのことである。一生、味わわない人も多いだろう。

 ただ、初めて感じたときのことは覚えていて、東京拘置所に入れられてシェスタの時間のことだった。

 皆、拘置所に入れられるというのは、さぞかし恐怖だったのだろうなどと言うが、それ自体は恐怖ではない。

 そもそも、私の犯した罪というのは微罪であり、判決では無罪になる可能性の方が高いものだった。

 当時、私は父に脅迫されており、むしろ法務省に庇護されたというような気持ちもあった。

 なので、拘置所に入れられたことが直接の原因ではない。むしろ安堵する環境であると言えよう。

 しかし、そういうときに、例えば今日の場合、酒で弛緩しているときに、死ぬほどの恐怖感に襲われるのだ。

昨日のSNSおやすみ投稿

 今日も辛いが酒を飲んで耐えている。そのような訳で書けないので、昨日のSNSのおやすみ投稿を転載する。昨日は日記を転載しようとしてできなかったので、これくらいが、ちょうど良いかも。

最近、死にたいことが多いせいか、今朝は眠剤を服んだ後に酒を呷って自殺する夢で汗をビッショリかいて早朝に目が覚める。新しい薬のせいかと思って主治医に相談するが、関係ないよう。それから、ずっと死にたい気持ちとの戦い。途中、証券会社から紹介してもらう税理士とのアポイントメントの連絡など色々な電話があり、死にたい気持ちが高まる。父が死んだとき、母が遺産を独り占めしたため、母が死んで莫大な(私にとってだけど)金額の相続が発生してしまった。相続税も税理士手数料も大きい。訪問看護には入院しろと言われるが、入院して休まるはずがなく、逆に入院して手続きができなかった分の損害を払ってくれるのかと思う。死にたい気持ちが強くてTwitterのスペースを開こうとしたら招待のDMをバラ撒いてしまったし、物は落とすし椅子の足で自分の足を踏んだり、ろくなことをしなかった。早く楽になりたい。おやすみなさい。

自殺する夢。

 昨日は本当に死にそうだった。保健師さんが不在で訪問看護のオンコールに電話をしたらベテランと思える人が出て、その人に頼りっきりになってしまった。

 本当に死ぬことばかり考えていて、夜、寝るときも、眠剤を服んだ後に、このまま酒を呷ったら目が覚めないよなと思う。

 そんなことを思っていたためか、早朝、眠剤の後に酒を呷って自殺する夢で汗をビッショリかいて目が覚めた。

 保健師さんに電話をしたら(と、ここまで書いて訪問看護が来てしまったので実は何を書いていいのか覚えていない)病気だと、そういう間違えた判断をするからというようなことを言われた。

 自殺というのは間違えた判断なのだろうかと思い、それを間違えていると思えないことが、既に病気なのかもしれないと思った。

 

 今日は本当に死にたい気持ちが辛く、それを記録した今日の日記を公開しようと思ったのだが、プライベート部分が多すぎて、できない。

連載小説「私の話2022」(仮題・書き直し) ③ / 手の震えが酷い。

 昨日は3ヶ月ぶりに散髪に行き、2週間ぶりだったかな? に喫茶店に寄った。そして、以前から書いている喫茶店小説の続きを書こうとしたのだが、手が震えて書けない。

 前回までは、こちら。

連載小説「私の話2022」(仮題・書き直し) ①

連載小説「私の話2022」(仮題・書き直し) ②

 続きは、こちら。

連載小説「私の話2022」(仮題・書き直し) ④

連載小説「私の話2022」(仮題・書き直し) ⑤

連載小説「私の話2022」(仮題・書き直し) ⑥

連載小説「私の話2022」(仮題・書き直し) ⑦

 

前作「私の話 2019」は、こちら。

kakuyomu.jp

 

 ちなみに、今の手の震えは、こんな感じ。以前、Facebookページの投稿をアップしたことがあったが、明らかに今年始めより悪化している。申込書などのアプリケーションフォームの字を書くのも大変で嫌になる。

 

 今回の原稿は、こちら。通常4枚だが、2枚で断念した。落ち着かず、内容も変。これは没にして書き直しかな…。(スキャン画像の後にテキスト化したものへのリンクがあります。)

note.com

私が生きていることに、どんなメリットがあるのだろうか。

 相変わらずTwitterのDMで山姥さんにお世話になっている。以前、私自身が、このままでは死ぬなと思ったときがあったが、今も、私の死が、けっこう差し迫っていると思っていらっしゃるようで、今日も昼まで連絡がなかったら不審がり警察に連絡するというようなことを書いていらっしゃった。

 昨晩は、それまでずっと日が変わるまで眠れずに夜中も悪夢で目が覚めていたベルソムラという薬が取り止めになって、代わりにヒルナミンを使った。これが強い薬である。1日、起きられない。そんなことを話したのかもしれない。

 今朝、起きて真っ先に山姥さんにDMを入れた。ヒルナミンでフラフラなので、挨拶もなく、口調もカジュアルに「生きてるよ。」となってしまった。そうしたら何を咎めることもなく「とても嬉しいです。おはようございます。」と返事があって、本当に嬉しいのだなと思った。

 まず、なぜ私が生きていることが嬉しいのか判らない。私は、何度も書いているが親も兄弟も祖父母も従兄弟も叔父叔母もいない天涯孤独の身で、正直、寂しいなと思う。体調が悪いんだけど… などと話す相手も、山姥さんにになってしまっている。

 母が死んだのは今年の3月のことだが、その1年ほど前から、自分の頭から骨髄が粉になって出てきて空気中を舞っていて、それに触れると体調を崩すという訳の判らないことを言って私には会わなくなった。その粉に当たると機械も変になると言って携帯電話のアクセサリーから、実家に置いてある私の衣類から、すべて捨ててしまった。

 そして、自分が末期癌だと言って救急車を呼んではゴね、眠剤を服んで寝ている私に救急隊から電話が架かってきたり、母が住んでいるところの市役所から呼び出しを食らったりした。

 私は今でも、主治医が「僕だったら1週間寝っぱなしになる」と言うくらい強い薬を使っていて、普段、Fitbitの睡眠スコアが80を超えたことはないのだが、当時は96などという驚異的な数値を出していて、それでも憔悴し切っていた。私は、もう何年も「寝落ち」などしたことがなく、薬を服まずに眠ることは、まずあり得ない。

 なので、母が死んで事後処理が面倒というのはあるし、唯一の肉親なので寂しいには寂しいのだが、母が死んでホッとした部分というのもある。同様に、私が死ぬことでホッとする部分というのもあるのではないか、そう思っている。

中谷美紀さんのInstagram。

 起きてスマートフォンを見たら、いきなりInstagramでの中谷美紀さんの投稿が目に入った。

 
 
 
 
 
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 文章も写真も上手く、教養や配偶者との愛に溢れている。聞くこところによると達筆であるともいう。仕事も好調だし、その一要素である美貌も兼ね備える。

 それなりの苦労はあるだろうが、全て、成果としてフィードバックされている感じ。私など、苦労ばかりで、しかし、そのどれも還元されていない。

 例えば達筆であろうとしても手が震えるし、元の字も、上手く書こうとしても、こんなである。

 

 この不平等感は何だろうと考えると、もう死ぬしかないと思えてきてならない。恵まれている人と恵まれていない人の差が大きすぎる。

死にそうになって判った私の「死にたさ」。

 一昨日、午後4時まで酒を飲んでいて、眠剤を午後8時に服んだのだが、夜11時半に眠剤が酒とぶつかったようで気持ちが悪くなって目が覚めた。そして、トイレに行き、戻さない程度に少量の水を飲んで再び寝た。

 このとき、「あぁ、もう目が覚めないかもしれないな」と思った。二度と目が覚めないということに、少し、たじろいだ気がする。しかし、それは死ぬこと自体にではなく、腐乱死体を発見した人は嫌だろうなぁというようなことに対してだったと思う。

 翌朝、目が覚めて、死ねなくて残念な気持ちと同時に、少し安堵もした。ただ、その安堵の気持ちは、死ななくて良かったと安堵したのか、腐乱死体を晒さなくて良かったと思ったのか、その辺は定かではない。

 結局、私は本当に死にたいのかどうか判らない。ただ、死ぬかもしれないと思いながらも平然と寝たり、死ねなくて残念と思うということは、けっこう重症なのかもしれないと思っている。