遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

死にそうになって判った私の「死にたさ」。

 一昨日、午後4時まで酒を飲んでいて、眠剤を午後8時に服んだのだが、夜11時半に眠剤が酒とぶつかったようで気持ちが悪くなって目が覚めた。そして、トイレに行き、戻さない程度に少量の水を飲んで再び寝た。

 このとき、「あぁ、もう目が覚めないかもしれないな」と思った。二度と目が覚めないということに、少し、たじろいだ気がする。しかし、それは死ぬこと自体にではなく、腐乱死体を発見した人は嫌だろうなぁというようなことに対してだったと思う。

 翌朝、目が覚めて、死ねなくて残念な気持ちと同時に、少し安堵もした。ただ、その安堵の気持ちは、死ななくて良かったと安堵したのか、腐乱死体を晒さなくて良かったと思ったのか、その辺は定かではない。

 結局、私は本当に死にたいのかどうか判らない。ただ、死ぬかもしれないと思いながらも平然と寝たり、死ねなくて残念と思うということは、けっこう重症なのかもしれないと思っている。