遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

希死念慮から脱却するために。

 私のBlog仲間に山姥 (id:yamauba) さんという方がいる。先日まで、父親を亡くしてBlogの更新が9ヶ月止まっていた。父親を亡くして何もできなくなったという。

 私のことを振り返ってみても、何の断りもなくBlogの更新を止めるのは読者に不誠実という思いで書くには書いているが、「にほんブログ村」の順位は倍近くに落ちているし、2年前に母を亡くしてから、できなくなったことが多すぎる気がする。

 まず、私は8年前に父を亡くしている。父が亡くなった日は、私小説の方を読んでいただくと判るが十数年ぶりに親戚一同(といっても両親と叔父だけ)が会していて、帰りに行きつけの喫茶店で今後のことなどを考えた。

 そのときは、母が週に1度、実家に来いと煩く、週に1回、2時間かけて実家まで通っていた。それには、今は1日に1回しか浴びられていないシャワーも毎日のように浴びていたはずだし、実家に行っては母の事務をして買い物にも同行していた。

 それが、今では歩いて3分のスーパーマーケットにも買い物に行けていないし、シャワーだけでなく、週に2・3回、行っていた行きつけの喫茶店にも数ヶ月に1度、行ければ良い方である。

 喫茶店は渋谷にあるのだが、行きにブラッと明治神宮に散歩ということもなくなった。それどころか、スクランブル交差点にも行っていない。ハンズやLOFTで文房具を見るのが楽しみだったのだが、それらの店にも行っていない。

 年々、できることが少なくなっている。20歳代のときは5日、休みが取れれば旅行に行っていたし、家の中も綺麗にしていた。それが、今は決定している引っ越しも危ぶまれる汚部屋である。年々、できることが少なくなり、何もできなくなりそうだ。

 そんな理由から、昨日は酷い希死念慮に悩まされた。これからはできることを増やしていきたいと思う。しかし、昔みたいに全を考えずに旅行に行ったりはできないだろうな。(タイトルはAI。)


V・A・C・A・T・I・O・N / 野宮真貴

 

 

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