遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

鰻を食うのは母の供養。

 今日は土用の丑の日だった。実は、私はあまり鰻が好きではない。しかし、今年、母を亡くして、今年は食べなければと思った。

 母は鰻が好きだった。父は鰻が大好物だったのだが、母も鰻が好きだと知ったのは亡くなる前年だったか。

 実家の町に1軒だけ鰻屋があり、そこそこ評判がいい。母の話だと、元々は出前のみしていた店だが、最近になり店内でも食べさせるようになったという。

 母が亡くなる直前、もう、歩くのも覚束なくなった母とタクシーで店まで行ったことがある。しかし、閉店だった。

 それから、母の気が違って来客を拒絶するようにもなり、私は実家に行きたくても行けなくなってしまった。

 母を管理する包括支援センターの職員によると、鰻が食べたいといってヘルパーに地元のスーパーで鰻を買ってこさせるのだが、ろくな鰻がない。

 しかし、それを、市販の鰻のたれを使ってソテーし直して食べていて、やるな… と思ったという。鰻が嫌いな私も、ほとんど鰻のタレの味で食べていたようなものだ。

 

今日、私は、初めて国産の鰻を食べた。なぜか美味い鰻を食べることが母への供養になるような気がした。

 そして、初めて、あぁ、鰻というのは美味いものなんだな… と思った。タレの味だけしかしないものとは違うし、そもそもタレや山椒の味も違う。

 そしてビールを飲み、これで母も美味い鰻が食いたかったろうな… と思うことが、なんとなく供養になる気がした。