遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

熟睡感は1日だけだった。

目次

 

 

本文

 今日は年内最後の通院なので午前中にこれを書いている。

 熟睡感を得たのは1日だけだった。昨晩は思い切り魘され、朝、やはりジリジリして寝ていられない。

 かくして毎日と同じ、いや、それ以上に辛い1日の始まりである。

 しかし明日の訪問看護が終わってから、コンビニ店員以外は誰とも顔を合わさない日が正月明けまで続くのか。そう考えると耐えられる気がしない。

 昨年末は母が死んでからの色々なことがあり、よく覚えていない。その前の年は父を亡くした母は孤独死したらどうするんだとギャンギャン電話を架けてきて毎週のように実家に行っていた気がする。

 年末はこれらのことを反芻して過ごすことになりそうだ。

 

日記転載

 Blogを読み返す余裕は時間的にも体力的にもないので日記を転載する。

 昨日は理由は忘れたが午後11時までclusterをやっていた。それから午前3時30分に目が覚めるまで、Fitbitによる「深い睡眠」はゼロ。しかも、そのときに菓子パンを食べてから、午前5時まで寝付けなかったことになっている。

 それから「深い睡眠」を48分記録しているが、そのまま悪夢で目覚め。午前8時10分まで魘され続けている。目が覚めてもボロボロな上にジリジリして眠れず、横になってもいられずに訪問看護に2回、電話をしている。

 今日が年内の通院最終日なので、L(喫茶店の名前)に寄ろうと午後2時前に家を出て、F(地名)からバスに乗る。そうしたらLで外国人客が行列していて15分待たされ、クリニックに少し遅刻して20分待たされ、薬局で30分待たされた。

 帰りは、どこにも寄らず帰る。すでに疲れ果てて日記を付けるのも這う這うの体。

 

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