遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

死より辛い苦しみについて。

目次

 

通院前

 今、午前11時半である。午前11時にやっと起きて、着替えも顔も洗いもせずに朝食を摂りPCに向かっている。

 実は今でも苦しんでいて、購読リストに入れてあるBlogも神経が持たず斜め読みだ。そして、まとまった文章が書けないどころか数行の文章でも意味が通じない。

 高校から専門学校に書けて論文が評価されていたので、これが何よりも苦しいし口惜しい。病気で書けないのに、頭が、この程度だと思われるのが嫌だ。

 さて、今日も死ぬほど苦しんだ。毎日、トータルでの命の危機を記しているが、最大瞬間風速的には今朝は100%を超えた。苦しくて身体が動かなかったから助かったようなものだ。

 色々と悩みが多い。誰も住まなくなった実家の売却のために、シャワーを浴びて、明日は実家に不動産屋と契約をしに行かなくてはならない。

 また、寓居マンションも再開発に入っているが、隣の区画の再開発が本決まりになったことも書いた。

 まず、今日、シャワーを浴びられるのか。明日、約束の実家に実家に行けるのか。荷物で溢れかえっている部屋から引っ越しができるのか。

 シャワーを浴びて時間通りに出掛けるなどということは会社勤めをしていたときには普通にできていたことで、それが悩みを通り越して恐怖になってしまっている。

 夜中、そのことで滝のような汗をかいて目が覚める。引っ越しについては、所持品をひとつひとつ思い浮かべ、あれはどうしよう、これはどうしようとオロオロする。

 ごめんなさい、キーボードを打つのも大変で、1行に3文字くらいミスタイプをしては変換時に間違えているのに気が付く始末で苦しい。

 さて、目が覚めてからも、苦しくて動けず、嵌めている腕時計(Fitbitスマートウォッチ)も枕元のスマートフォンも見ることができない。

 アプリの通知が届いて軽く揺れるのだが、それさえも心臓がドキッとする。今日は通院なので午前11時に無理して起きたものの、それからも、単なる倦怠感や乗り物酔いとは違ったクラクラ感があり、辛くて起きていられない。

 今日、帰ってからシャワーが浴びられるのか、そもそも、今日の通院に行けるのか、それさえも不安というには強すぎる不安で一杯である。

 現在、午後0時50分。身体が持たないので、通院まで、しばらく横になります。

 

通院後

 今、通院から帰ってシャワーを浴びた。乗り換えが怖いので、クリニック直近まで時間が掛かるが乗り換えなしで行けるバスで行った。通院前にBlogを書いてから横になったものの、また、スマートフォンアプリの着信音でドキッとしてしまうので思い切って家を出た。

 しかし、バスの中のことも全く記憶にない。とにかく気持ちが悪かった。以前にも書いたが、これが乗り物酔いのように吐き気に繋がるものであれば、 嘔吐 えず く動作で軽減できるのだが、とにかくダルいばかりだ。

 このまま受診するより休みたいと思い、クリニックの予約を遅らせてもらって、最近、行くようになった喫茶店へ。席がひとつしか空いておらず、私が座ったら満席になり待っている人が出る有様だった。

 そして、新たな予約時間に行ったら診察が長い人がいて40分待ち。私は3分診療。これといって使える薬はないなぁ、レキサルティでも服みますか、で、おしまい。

 実家の方はどうですか? というので明日行きますと答え、それよりも100回オジサンの方が気苦労が多いですというと、100回オジサンがどうしたんですか? と言う。話したのにな。ありもしない借金の調停を裁判所に申し立てたこと。そんなのは手続きした裁判所が悪いんだから裁判所に対して措置を取ればと言われるが、そんなことはできない。

 これらの会話を含めて4分である。前回の診察で、Blogに嬉しいコメントを貰ったとURLを渡したのだが、見ていない様子だ。どうせ誰も私などに関心がなく、私が死んでも「西部戦線異状なし」なんだろうなと思う。

 診察が終わって薬局で調剤が終わってから、来週は予定があって来られないことに気が付く。予約を取り直して調剤をやり直してもらう(1日分の追加だけど)。本当に自分が愚図で嫌になる。

 ただ、体調的なものもあり、診察が終わってからの方が苦しさが強くなった。本当に、あわよくば死ねると自虐的行動を取ってしまった。しかし、喫茶店で休んだとはいえ通院だけで3時間半である。疲れも加わり精神状態は限界に近い。

 家に帰ってスマートフォンで撮った写真の整理などをする。もう疲労と苦痛で頭が働いておらず、違うファイルに同じファイル名を付けて、移動しようとしたら同じ名前の違うファイルを上書きしてしまったりする。

 どうせ何をやっても駄目ならと、最も駄目そうなシャワーを浴びる。精神的にキツいときはシャワーを浴びるのもキツいときが大きく、せっかく風呂場に入ったのに頭も洗えず水で流しただけで、逆にフケがバラバラ落ちるなどということもある。

 シャワーが浴びられないというと、やはり前の主治医であるクズ医者が思い出される。心因的なもので浴びられないのに、普通の人は次の日があるからシャワーを浴びるんですと言う。私だって会社員時代はそうでしたと言うと、またまたウソを… と言う。

 今日もそうだったが、それでも普通にシャワーが浴びられることがあり、暑くてシャワーを2回、浴びましたと言うと腹を抱えて笑うのだ。今も患者に色々と恨みを買っている様子だから、早く刺されて死ねばいい。

 さて、今日は精神状態が普通でないので、これはシャワーを浴びるのも難儀になるかなと思ったが、サクサクと頭と身体を洗うことができた。辛いときには男性なのにシャワーを浴びるのに50分も掛かることがある(しかも上手に洗えいない)が、今日は20分で済んだ。

 そして、何よりも良かったのは、苦しさがなくなったことである。苦しいときにシャワーを浴びると、本当に苦しくて風呂場で叫び出してしまうことがあるのだが、それがなかった。

 よく、命を犠牲にしてまでやることはありません、それらを放棄してくださいなどと言う怪しい自称心理カウンセラー(だいたいが資格ビジネスで買った民間資格しか持っていない)がいるが、未来に希望がない人は、例えば人と会う約束やシャワーを浴びることが自分を生に繋ぎ止めているのだ。

 今の私は、なぜか変な苦しみがなく、いちばんの懸案である汚部屋にも、特に目を瞑っていられる。逆に、少なくとも、それらを終えるまで死ねないなと思っている。私の言葉ではないが、明日も生きてみせる。生きる理由が力を帯びてきたので今日の命の危機はトータルで50%。60%を切るのは、ものすごく久しぶり。

 明日は実家(柏市に限りなく近い松戸市)に行くので文章が短くなるかもしれません。

撮影データ
日時:2020年12月08日20時00分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの80mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/20s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

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