遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

身の上話。⑦

 私は大学へ行くつもりで就職活動をしていなかったので、進路は空白になった。親は、相変わらず私を監禁して殴る蹴るや嫌がらぜをして遊ぶつもりだったようだ。私は専門学校の学生課に行った。まずはスーツを着てこいと言われたが、私はスーツを持っていなかった。

 成人式のとき、私は、やっと家から出て旧友に会えると思って招待状が来るのを一日千秋の思いで待っていた。しかし、親は、それが私の友達からの手紙や電話のように、私に渡さずに捨ててしまっていた。

 私は、成人式当日、力づくて成人式に出ようとしたら、親に「110番するぞ!」と驚かされた。「110番」が、あまりに頻回で、しかも警察官も親の言うことしか聞かず私を殴る蹴るしていたものだから、私は反射的に委縮してしまっていた。委縮してしまうのは私が40歳を超えてから、親が私の家を荒らして行って私が警察を呼ぼうとしたとき、「警察を呼んだら110番するぞ!」と言ったので、そこで目が覚めるまで続いた。

 そのくせ、私を成人式には出さず、親は、私に、翌日になって「昨日は、よい成人式だったんですって、出た人は皆、喜んでいたわよ」などと平気で言った。そうなのだ、親にとって私は「飼っている」のであり所有物であり、人格を持った子供ではないのだ。

 親は、それでも渋々スーツを用意した。当然、私のためにスーツを買おうなどとはしなかった。母が昔、務めていたレナウンの倉庫にあった、型落ちのヨウジヤマモトのスーツが与えられた。専門学校の学生課には、なんだ、そのスーツはと怒られた。

 苦しい。今はここまで。

 

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