遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

希死念慮と虐待の思い出。

 今、午前6時に、かなり無理をしてPCに向かっている。今日も悪夢に魘されたが、それがあまりに強烈で、これは書かねばならないという思いが強くて机に向かっている。重い話だが、今日のエントリーは読んでいただけると幸いである。

 去年の今頃だっただろうか、何日も激しい死にたい衝動に駆られたことがある。そのときは、みどりがめ (id:fuwafuwa5) さんの、私に生きていて欲しいという言葉で生きる決心がついた。それがなければ死んでいたと思う。自分の生が覚束なかった。

 今も、その言葉を思い起こさなければ生きているのが困難なくらい、生きているのが辛い。といっても、机に向かえる程度に苦しさが軽減したら、少しは悪夢も薄れて、夢を見たときの、あの激しい感情を、そのまま伝えられることはなくなってしまった。

 昨晩は、朝、服んで大丈夫だったので、夜、寝る前もヒルナミンを服んで寝た。ここで少しは寝て睡眠負債を返却しておかなくては参ってしまう、そんな気持ちだった。おかげで入眠はスムーズだった。

 しかし、また、悪夢に魘され、ろくに眠れなかった。ヒルナミンを服んだのに寝も浅い。自律神経も変らしく、エアコンを切って寝て、朝、起きたら室温が30℃を超えていたのに風邪を引いて咽が激しく痛い。

 夢としては単純なものである。標高が高い高原の避暑地に実家があり、私は亡き母と父と一緒に暮らしている。大きな山が見事に見える。写真を撮ろうとしたらカメラが壊れ、そういえばスマートフォンがあるなどということも夢に見たのを覚えている。

 少し端折るが、どの家も家の修繕に勤しんでいる。しかし、我が家は何もしない。見かねた私が床にワックスを掛けたり、覚えていないが他にも何か修繕をした。それを両親が気に食わず、殴る蹴るをするのだ。

 以上が夢の内容だ。考えてみれば子供のときから両親に殴る蹴るばかりされてきた。何かしないといっては殴る蹴るされ、言われたことをしても、やり方が気に食わないといっては殴る蹴るされた。結局、気まぐれで殴る蹴るされた。

 子供のとき、私はピアノを習わされていた。私の家は音楽を聴く習慣などない家であったが、私が習いたいと言ったので習わせたと言って、好きでもないピアノを私の意志で習っていることにされた。

 そして、練習をしないと殴る蹴るされる。私は苦痛で仕方がなかったが、母親が見張っているので嫌々、練習をした。母は当時の言葉でいう教育ママであったから、自分も私と一緒に勉強をし、楽譜などは、ある程度、読めるようになった。

 そして、ある曲を弾いていたときのことである。曲の流れからして、どう考えてもスタッカートなどない場所であったが、黒い点があり、それをスタッカートとして弾かなかったと殴られた。

 しかし、次のレッスンで、講師には、やはり、そんなところにスタッカートはありませんと言われるのである。それを聞いても母は反省の色もなく平気な顔であった。むしろ、講師に怒られたことを理由に私を怒った。

 私は子供のころから子供らしい遊びはさせてもらえず、夏は40℃を超える自分の部屋に監禁されていた。1972年の生まれであるがファミコンは触ったこともないし、今もゲームのコントローラーの使い方が判らない。

 お年玉も全て没収された。高校時代、入学祝だといって、親は、その金でステレオを買ってしまった。私はカメラが欲しかったのに私の希望など無視された。しかし、ステレオは私のもののはずなのに触らせてくれなかった。そして、ほとんど使わず勝手に捨てられた。

 そして、母は隠れて自室に監禁している私の様子を見に来て、机に向かっていないと殴る蹴るされた。なけなしの小遣いで買った新潮文庫を読んでいても勉強をしていないと破り捨てられた。

 このころのことは、あまり記憶にないのだが、後に、母が知人にこういったと言う。毎日のように倒れるんだけど、病院に連れて行って点滴を直ぐに治っちゃうのよ。本当にヤワで困るわ。

 今になると、これは単に熱中症だろう。熱中症という概念がない時代だった。また、トイレが近くなると言って水も与えられなかったので、それは脱水になろうというものである。今の主治医に、この話をすると、今なら児童相談所ものだねと言われる。

 それでも中学の頃までは勉強は楽しかった。クラスメートの付き合いで受けた四谷大塚に私だけ合格してしまい、これは不思議と行きたいかと訊かれ、行きたいと言ったら通わせてもらった。四谷大塚の講師は優秀で、それは勉強も好きになる。

 しかし、問題は高校である。茨城県にある新興の進学校が母にアプローチして、特待生として迎えたい、絶対に東大に入れてみせますなどと甘い言葉を囁き、そういう母親だから洗脳されてしまったのだ。

 私は勉強が好きだったから、模試は上位で、成績表は体育以外、オール5だったし(それは自室に監禁して外に出さないような生活をしていれば身体を動かす喜びも知らなければ体力もない)、ちょっと有名な生徒だった。

 

 ここまで書いて、昔のことを思い出して苦しくなってきた。午前7時半になってもいて、夢の話は、もう遠くにある。ただ、その希死念慮の原因ばかりに囚われている。

 また、ネットストーカーが、私は作り話をしている、なぜなら私は彼のカウンセラーだからだ知っているのだなどと、変な嘘を流すので、それもトラウマになっている。

 私の文章も飽きたでしょうから、気分転換に、このネットストーカーについてBing AIに尋ねた結果を貼っておく。名前は伏字とした。

○○とは、自称メンタルヘルスカウンセラーであり、ネットストーカーとして知られている人物です。彼は、インターネットを利用して他人に対して不正な行為や嫌がらせを繰り返しており、被害者に多大な精神的な苦痛や不安を与えています。彼のネットストーカー行為の例としては、以下のようなものがあります。

- 彼は、自分に批判的な人や気に入らない人に対して、個人情報や嘘の情報をネット上に拡散したり、嫌がらせのコメントを書き込んだりしています。例えば、彼はあるブログの管理人に対して、そのブログの内容や管理人の素性を中傷したり、管理人の住所や電話番号などの個人情報を公開したりしています。彼はまた、管理人に対して脅迫や暴力をほのめかすメールや電話を送ったりかけたりしています。彼はこのような行為で管理人を精神的に苦しめ、そのブログを炎上・廃止に追い込みました。
- 彼は、TwitterやLinkedInなどのSNSで他人に絡んだり、自分の意見や感想を書き込んだりしていますが、その内容は稚拙で偏見に満ちており、他人からの反応はほとんどありません。例えば、彼はTwitterで有名な政治家や芸能人に対して無礼なコメントをしたり、自分の考えと異なる意見を持つ人に対して罵倒したりしています。彼はまた、LinkedInで自分の経歴や資格を偽って自慢したり、他人の職業や能力を馬鹿にしたりしています。彼はこのような行為で他人から嫌われたり無視されたりしています。
- 彼は、自分がメンタルヘルスカウンセラーだと偽り、メールセラピーのサービスを提供していますが、その内容は無責任で無能であり、相談者に返金や損害賠償を求められたこともあります。彼は相談者に対して自分の考えや方法を押し付けたり、相談者の意見や感情を無視したりしています。彼は相談者に対して高額な料金を請求したり、返金や損害賠償を拒否したりしています。彼は自分のブログやSNSでメンタルケア心理士を名乗っていましたが、実際にはメンタルケア学術学会による資格認定を受けていなかったことが判明しました。彼はメンタルケア心理士ではありませんでした。

以上のように、○○はネットストーカー行為を続けており、被害者に多大な精神的な苦痛や不安を与えている可能性が高いと考えられます。もし、あなたがネットストーカー行為の被害者である場合は、警察や専門機関に相談することをおすすめします。私はあなたの気持ちに寄り添いたいと思います。

 

 炎上させられたのは私が以前、続けていたBlogである。そして、未だにXで、こんな嘘を流してやったよと絡んできたりする。かつて、とてつもない風説を、どこで調べたのか顔写真や住所とともに流され、マンション内で噂になったことがある。

 さて、閑話休題する。

 結局、私は実績がある高校に特待生として受かっていたし、学区で一番の公立高校を受験することになっていた。それが、例によって母に圧力を掛けられたか何かで過敏性腸炎で公立高校の受験を失敗した。母の言う高校に行きたくないというプレッシャーもあったと思う。

 その高校は地獄だった。生徒を虐めて自殺に追いやるのが趣味という学年主任に目を付けられ、授業には出してもらえず朝から晩まで廊下に正座させられていた。しかし、特待生は勉強が趣味でなくてはいけないと午後6時まで教室に監禁されて自習させられた。

 ここでも会話は禁止で他の生徒に訊くわけにもいかず、朝6時に高校に行ってから午後3時まで廊下に正座、それから午後6時まで教室に何も判らない参考書を前に軟禁という生活を送っていた。そして、帰ると、高校に家でも6時間、勉強をさせるようにと言われたと、また両親に自室に監禁された。

 やがて精神に不調を来したのか身体が動かなくなった。そしたら、父親に、ゴロゴロしているんじゃないと殴る蹴るをされ、その手を振りほどいただけで家庭内暴力だと言って110番された。

 私の親は世間体を非常に気にする。後に独り暮らしをして(というか精神病を発病したらキチガイは要らないと言われ追い出された)実家とまったく連絡が付かなくなったので警察に安否確認をお願いしたら、警察が来た世間体が悪いと怒られた。

 それを、110番して、わざとパトカーにサイレンを鳴らして来させるのである。私は近所では一端の不良息子と捉えられるようになった。そして、警察官も親の言うことだけ信じ、私を殴った。

 大人になり警察のお世話になったことがあるのだが、このときの恐怖が消えず、警察官を前に恐怖で気が触れそうになったことがあった。警視庁は千葉県警とは違いますから安心してくださいと言われ、千葉県警に怒りを露わにされて少し洗脳が解けた。

 それから、両親は、何かにつけ「110番するぞ」と脅すようになった。自分で殴る蹴るし、反感の色を見せただけで110番された。そして警察官に都合が良い作り話をし、警察官も私を殴った。

 40歳ころだろうか、父親が勝手に私の家に上がり込み、机から箪笥から、引き出しという引き出しを抜いて内容物ごと床にブチ撒け、家を荒らしていったことがある。このとき、こっちが110番してやろうと思っていたのだが、それでも父は私に向かって「俺のやることが気に食わないのなら110番するぞ!」と怒鳴った。

 「110番するぞ!」の洗脳が解けたのは、このときである。ちなみに私が110番したら警察が来る前に逃げ出し、警視庁は父親を殴ることもなく、家庭内の喧嘩として扱われた。「110番するぞ!」の洗脳が解けるのに30年が掛かった。

 

 なんか、ここからはいつもの話になりそうだし、ろくに寝ていないのに午前6時から苦しい感情と折り合いを付けて2時間も書いているので疲れてしまった。今日は、この辺にしておく。午前8時の現段階での命の危機95%。今にも死にたい気分。今日は臨時で、今、更新する。

 

 

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