遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

希死念慮と戦う。

 今日は通院なので、通院前に、これを書いている。通院は、気が重い。Googleマップのレビューにも「医師を院長しか拝見したことがありませんが診察中は脚を組み、言葉遣いは粗く『相手の気持ちを考えられない方』との印象です。」というのがある。毎回、そういうわけではないが、先々週は徹底的に打ちのめされた。

 それにしても、現在、午前9時と、いつもなら、のた打ち回っている時間である。やっぱり起きているのは辛いが、何とか起きていられる程度ではある。ちょっと書く気力はなく、そして何かをぶつけようという気力もないから、Blogを書くのが辛い。

 今朝は物凄く眠いものの苦痛は普段より少なかった(ないわけではない)。Fitibitスマートウォッチによると午前3時に目が覚めてワイパックスとレスリンを服んでから寝ている。そのせいだろう。昨日、睡眠の質を上げると謡う食品を摂って大人しく寝たのが良かったのかもしれない。熟睡感は相変わらずないが、少しは寝たような気がする。

 しかし希死念慮が強い。心に少し余裕があるのでXのスペースを開いてみるが、やはり健康な人が来てしまって、なかなか、そういう話ができなかった。それからもXのポストの遣り取りで、かなり混乱して人違いしたりした。

 なんか混乱している。外に出てみようと買い物に行くが、パニックを起こして何がしそうだった。何が書きたいのか判らなくなってきたので、続きは書けたら帰ってから書きます。

 

 通院してきました。普通に近所の駅までバスで出て、そこから地下鉄に乗り換えるより40分ほど早く、時間が掛かるけれどクリニックの近くの駅まで直通で行くバスに乗りました。着いたのは予約時間(診察開始)より30分ほど早く。

 下手をすると人がいないクリニックの外で(ビルの廊下で)待たなければいけないのですが、今日は中で主治医と事務員さんが雑談をしていて、早く入れました。あまりに希死念慮が強く外出が億劫で、このタイミングでないと外出できなかったのです。

 主治医には、先週から処方されているワイパックス1㎎錠とレスリン25㎎錠をコンスタントに服むようになったことを伝えました。最初に服んだとき、あまりの眠さで頓服で服んで良いのか電話をして訊いたのです。それと違ったことをしていることも、ちょっと不満な様子。

 それでも昨日のように、朝、苦しくて2時間近く動けないときがあるという話をしたら、レスリンを、自分の加減で、もう1錠、服めるようにと多めに出してもらいました。

 そして、明後日、立ち退きの説明会があると言ったら、どこに住むかとか決まっているのかと訊かれました。借家の予算などをまだ提示されていないので、それは決められないことを告げて、今日の診察は終わりになりました。

 それから、何か美味しいものを食べて帰ろうと思ったのですが、いつものように焼き肉を食べる気力がありません。地下鉄で最寄り駅まで帰るにしても、そこにあるドトールコーヒーはメニューが限られているので、ここでドトールコーヒーに寄ろうかと思いましたが、結局は蕎麦にしました。

 

 帰り、第一京浜沿いのバス停でバスを待っていると、歩道と車道の境目は何だろう、生と死の境目は何だろうという疑問が湧き、危うく、あちらの世界に引き込まれそうになりました。それでも生き延びて帰ってきました。

 明日は午前11時50分に、訪問看護の本社の人3人が、電話をしてこないでくれということについてクレームを言ったら(何度も書いているがクレームを言った覚えがない)家に来ると言います。

 昨日も書きましたが、その中に、今までは電話で対応しますと言って、いつもろくに話も聞かずに帰ってしまうのに、上に言われたからといって急に電話をしてくるなと言うようになった人がいて、自分がないんだな、長いものにマカロニなのだなと、少し嫌です。

 蛇足ながら付け足しておくと、この人は認知症の認定看護師なのですが、契約をしたのを忘れてしまった人の家の訪問に行くとき、役所から来た、料金は無料と嘘をついて入ると堂々とインタビューに答えていました。

 とにかく、今日は生き延びました。明日と明後日、生き延びる保証はないですけれど。おやすみなさい。

 

 

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