遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

先週のこと。(身の上話。①)

 子供のころから夏は40℃を超えるエアコンもない自室に監禁されてきた。母は不意打ちで見回りに来て、私が机に向かっていないと漫然と殴る蹴るした。トイレが近くなるからと水も与えられず、私は、しょっちゅう倒れた。母は近所の人に、こいつはヤワだから医者に連れて行っても点滴1本で治ってしまうと言っていたそうなので、熱中症だろう。

 お年玉は与えられず、小遣いも同級生より少なかった。なけなしの金で買った新潮文庫も、読んでいると勉強をしていないといってビリビリに破り捨てられた。そして、また殴られた。父が帰ってくると母は何やら報告をし、父もまた、私を殴った。そこからツラツラと始まる虐待の歴史が思い出され、私は苦しくなる。

 水曜日は、もっとヘビーに両親が死ぬまでされていたことが脈々と思い出され、犯罪でも起こしそうになって酒に走ったが、解決しそうもないので友人を誘って飲みに行った。それを翌日、主治医に言ったら、普段の診察時間は1分に満たないのに、グレる勇気もない中学生のガキが覚醒剤に逃げているのと一緒と、30分も怒られた。ワーキングメモリーが少ないだの、よく判らないことも色々と言われた。

 金曜日は体調的にも酒を飲むわけにもいかず、ヒルナミンを服んでヘラヘラしていた。ただヘラヘラになるだけだったら楽なのだが、苦しさだけが激しくなったり、足が吊るなどの副作用が出てきた。訪問看護に電話をしている途中だったが嫌になって電話の電源を切って悶え苦しんでいた。誰にも頼ってはいけないと思った。

 金曜日は、訪問看護の訪問もあった。看護師さんに、心配しましたと言われた。スマートフォンの電源を入れたら他の看護師さんからの着信履歴が1件あっただけだった。どんなことを思い出したのか言ってみろというから、上記から始まる身の上話をした。そうしたら、まぁ、壮絶な人生ってことで、自殺は絶対にダメですからねとキツく言って、20分、滞在しただけで帰っていった。

 土曜日になったら酒が飲めるようになった。しかし、主治医にも止められているし、訪問看護にも、飲みたくなったら電話をして止めてもらってくださいと言われた。しかし、訪問看護に電話をしたら、看護師さんには酒を飲むことを推奨された。そして、飲み始めたら折り返し電話が来て、記録を見たら飲んではいけないことになっているので止めてくださいと言われた。すでに飲んでいた。

 そして、酒が抜け、再度、訪問看護に電話をしたら、酒を飲んでの電話は受けない約束になっていますと言われガチャ切りされた。今日も苦しく、とにかく死にたくて仕方がない。今日の看護師さんは、酒を飲んでもいいとは思うんですけど、あまり、そのことで自分を責めないでくださいねと言った。男性の、けっこう毎回、はっきりした物言いをする人で励まされた。

 駄目だ、ここまでしか書けない。続きは夜にでも書けたら書く。

 

 

 ランキングサイトに参加しております。バナーをクリックしていただけると投票されます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ