ボロボロに疲れて休みたいのだが、記憶が暴れ出してジッとしていられない。昼の投稿に続いて身の上話を書こうと思う。
習い事もさせてもらえなかった。厳密にはピアノを習わされていたのだが、音楽を聴く習慣がない家なのに、母は私が習いたがっていたからピアノまで買ってやったのに辞めやがったと怒っている。
家でピアノを練習をしても私の練習に張り付き、どう考えてもインクの染みなのに、それをスタッカートとして弾かなかったといっては、また殴る蹴るをした。それで母に厳しく言われて、レッスンのときに母も見ている講師の前でスタッカートとして弾くと、講師に、そんなところにスタッカートがあるわけないと怒られる。
しかし、母も付いてきて見ている手前、そう弾かないと帰って何をされるか判らないし、講師に、そう指摘されても、母は知らんぷりである。そして、父が帰ってくると、また私が悪かったと報告され、父に殴る蹴るされた。
私は神経を病んで、小学校から不眠症で眠剤を服んでいた。しかし、勉強しかさせてもらえなかったので、小学校での成績は首位だった。また、作文を書いては賞を取り、絵を描いては賞を取った。それを、私の母親は、こんなミットモナイ物を世間に晒しやがってと言って、作品を破り捨てて賞状だけ取っていた。
また、体育の時間は必ず見学させられた。おかげで今でも懸垂もできない。高校のときにハーフマラソンがあったが、何とかなるのは意地で解決できるものばかりである。見学と言えば小学校のとき食肉市場の社会科見学があったが、それも参加させてもらえなかった。情報統制が激しく、TVもアニメはおろかニュースさえ見せてもらえず、学校では同級生に仲間外れにされた。
それでも友達になってくれる奇特な友達もいたが、ツルむのは不良の始まりと言って母は私に友達を作らせなかった。できた友達にも嫌がらせをして、私は「お前の母ちゃんキチガイ」と言って虐められる虐められっ子になった。また、当時は教師も変で、私は異様に小食だったのだが、嘔吐するまで給食を食べさせられ、吐瀉物を家に持ち帰らされた。親に何をされるか判らないので途中で捨ててしまったが、教師もモンスターペアレントに対する復讐の意味があったのかもしれない。
辛い。今回は、この辺で。これだけ吐き出して休まらなかったら、また続きを書きます。
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