遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

死にたい衝動の押さえ方。

撮影データ
日時:2023年09月18日・11時50分
ボディ:PENTAX KP
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDM の18㎜端
絞り:f22
シャッタースピード:1/50s (Auto)
感度:ISO 100 (Auto)
(絞り優先AE)

 

 今、午前10時だ。あと1時間で訪問看護が来る。訪問看護が来たら朝のことは忘れそうなので、今のうちに書いておこうと思う。あと、あまりに苦しいので訪問看護が帰ったら酒を飲み始めるかもしれない。

 Fitibitスマートウォッチによると、トータル睡眠時間は9時間36分、深い睡眠は2時間11分と、十分すぎるほど寝ている。それでも目が覚めたときには不安に押しつぶされそうで、酒を飲んで寝るか死ぬしかないという気持ちだ。

 幸い、今日は訪問看護がある。今日は、若い(といっても話し方はオバサンだしマスクをしているので実年齢は不明)女性の看護師さんなのだが、みっちり30分、話を聞いてくれて、終わると心の棘が抜けている。

 また、ここのところBlogの更新もなく心配だが、私の辛さが伝わってくる、私に生きていて欲しいとコメントをくれる人がいる。結局、生きたいというか生きていてもいいやと思えるのは、「声を掛けてくれるべき人」に声を掛けてもらうことなのだと思う。

 私には兄弟姉妹・従兄弟も叔父叔母も親戚が1人もいない。Facebookの友達で大家族の家長の人がいるのだが、子供が結婚した、孫が生まれたといっては家族が増えて楽しいとばかり投稿している。

 それに比べて私はアル中の叔父が1人いただけで、家族全員、つまり両親はキチガイである。例えば、東京は年に1度、警察官が家族構成などを訊きに巡回に来るのだが、お前みたいに怪しい奴がいるから警察が来るのだと殴る蹴るされた。

 お前などいない方が良い… そんなことばかり言われ続ければ、生きているのも嫌になろうというものである。また、同級生からもお前のカアチャン、キチガイと虐められ、揺れても動かないように上履きの底にセロテープで画鋲を張り付けられたり、上着のライナーを開けて、外からは見えないように画鋲を固定されたりした。

 さて、ここで訪問看護が来ていた。今日は30分のところ、40分いてくれた。人によっては20分で話が尽きて帰ってしまうので、それだけ私のことを理解してくれようとしてくれるのだと勝手に思っている。

 そういえば、他人のことを理解しようとしない人の最たるものに「いのちの電話」がある。同情もせず、その人に引きずり込まれないように話を聞くだけ。酷く勧められて1度だけ電話をしたが、馬鹿にされたので、それ以来、電話をしていない。

 結局、その人を理解しようとしてくれる人の言葉は強い。私は自分で善人でありたいと思っているから、それで死ねとかいう私の家族は私のことを理解していないのである。その点、こうやって、私のことを理解してくる人に褒められると、なんとなく、生きていて良いのかなという気持ちになる。

 さて、昼の時間だ。幸か不幸かコンビニでビールを買ったら当たったビールがある。それを飲むべきか飲まざるべきか、そこが問題だ。(後述・今まで飲み潰れていました。)訪問看護が終わったので、今の命の危機は70%ほど。

 自分のことを理解し、生きていて欲しいと思う人の心強さを感じた1日だった。しかし、新しく買った中古のカメラ、センサーにゴミが付いているな。

 

 

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