遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

疲労で何をするのも苦痛。

 今日も寝て1時間で悪夢を見て汗ばんで目が覚める。前回、イーケプラという薬が出たのだか増えたのだかしたとき、水の中にいるような汗が引いたとともに悪夢も見なくなった気がするので、悪夢は久しぶりのような気もする。また汗は大量ではなくなったが汗ばむようになった。

 今になると、あまり夢の具体的なところは覚えていないのだが、大昔、アクチュアリティとリアリティについて、ちょっとしたことを書いたことがある身としては、ナンセンスで起きなさそうなことなのに妙な現実味のある夢だったとだけ記憶している。

 もっと横になっていたいが、今日は訪問看護と通院だ。訪問看護を機に起きて、午後は通院前に喫茶店に寄る算段をする。しかし、訪問看護が来たら疲れ果ててしまい横になる。先週のことと併せて金曜日の看護師さんについて何か書こうと思ったのだが忘れた。

 喫茶店に1時間いるとして診察の予約時間の2時間前には出たいが、どうも出られない。予約時間の1時間半前になってしまうが、このまま、あと30分、家にいたら出られなくなりそうだ。帯に短し襷に長しだ。

 私が住んでいる白金(Blog友達に飯倉に住んでいる人もいるので書いてしまって良いか…)からクリニックがある新橋までは、田町駅に行くバスと新橋駅に行くバスが通っているのだが、いつもは田町駅に行くバスに乗って田町駅から浜松町駅・新橋駅と2駅分を電車(もちろん都営地下鉄)に乗るのだが、今日は乗り換えのない新橋駅行きのバスに乗る。

 それで所要時間が20分ほど変わる。JRの2駅分をバスというのは長いものだ。ただ、目的地に着いて手持無沙汰に待つよりはバスに揺られて車窓から風景を眺めていた方が良い。もっとも、もっと精神状態が悪いときは、港区は大抵どこか工事をしているのだが、工事を見ては自分の家の立ち退きを想い、慄いていた。

 自分に課したノルマとして無理してカメラを持参する。しかし、今日は本当に持っていったことを後悔した。壊す覚悟ができていれば良かったのだが、それさえも半端で、落としそうになって慌てて紐を掴んで引き上げたのでカメラ本体は地上に着かなかった。

 無理して撮った写真も、こんなものだ。構図が決められないし露出に凝りようもない。スマートフォンで撮ったInstagramの投稿の方が、よほど画的に優れている(露出も補正している)。

撮影データ
日時:2020年11月04日14時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの80mm域
絞り:f5.6(Auto)
シャッタースピード:1/125s(Auto)
感度:ISO 400(Auto)
(プログラムAE)

 

 
 
 
 
 
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 ちなみにInstagramは普段、プライベートの非公開アカウントで運用していて、差し支えがない投稿は、このアカウントにも流しているのだが、訪問看護のアカウントをフォローしたらフォローバックされて(非公開なので承認制なのだが承認して)それでちょっとビビッてしまって運用が上手くいかない。

 そして、帰ってからも今まで疲れ切って横になっていて、やっと夕食を摂りに起き上がって、このBlogも書いている始末。今日、喫茶店に行かなかったのは金を使うことに対する罪悪感の話の続きでもあるのだが、それを書こうと思っても書く余裕がない。

 しかし、苦痛が激しいときは苦痛に乗じてというか苦しいことも意識せずに書けるのに、今日みたいに中途半端に苦しいときは、もっと苦しいときのことを思い出すと、それに引き摺られて苦しくなってしまう。そうそう、訪問看護には、その最中にいなくても苦しくなりますか? というようなことを言われて、そのことについて書こうと思ったのだ。

 もうアップする時間、ひいては寝る時間である。今日は命の危機75%。苦しいが死ぬことはないだろう。むしろ、このような腑抜けた文章しか書けないのが苦しい。今日みたいに文法的に怪しい文章というのは、どうしたら書けるのか自問自答している。

 

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