遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

発狂するのも時間の問題か。

撮影データ
日時:2020年11月05日15時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの270mm端
絞り:f6.3(解放)
シャッタースピード:1/320s(Auto)
感度:ISO 100(Auto)
(プログラムAE)


 午後3時を過ぎて、やっと机の前に這いつくばって来た。今日も、私が、脳内でアカシジアが発生しているようだと表現している脳内でソワソワ・ジリジリする感覚がして眠れなかった。そして、今まで、苦しくて起きられないのに寝てもいられないという時間を過ごし、食事も摂れなかった。

 昨日から処方されているヒルナミンが倍増になったのだが、そのせいか、普段なら目が覚めたときにスマートフォンでLINEのKeepメモにメモを取って一応は落ち着くのだが、意識がハッキリせずメモを取るに至らない。悶々として過ごす時間が長くなった気がする。

 動けるようになって真っ先(といっても昼過ぎだが)にしたのは寝床にいたままスマートフォンでの自分のBlogのチェックだ。ランキングサイトを見ると順位がガタガタで、それは即ち私が書けていないということであるが、忸怩たる思いというより口惜しさや見捨てられた感がする。

 誰にも相手にされなくなってしまったと生きる意味を見失った。大袈裟な表現に思えるかもしれないが、気分としては絶望に近い。そして自分のBlogに画面を遷移するとコメントが寄せられているのを見て死ぬほど嬉しい。すぐに返事を書かなくてはと思うが苦しくて書けず、とりあえず礼だけコメントする。

 昨日のエントリーについてのコメントで、書けた自分を褒めましょうと言われるが、私は自分が褒められない。その激しい自己否定については、以前、山姥さんと話をして軽くだが書いたことがある

 そもそも、日記を付けてはいるが、それも未来の自分に向けたものといえるし、誰も読まない文章を、私は書かない。コメントを貰えるのも読んでもらえるからで、文章は読んでもらうことを目的として書いている。

 また、誰かに向けて言葉を紡ぐのは進化であるが、自分だけにしか通じない言葉を産み出して悦に入っているのは気持ちが悪い。まるで小学生も書かないような文章を誰も読まない使い捨ての無料Blogに書き、あたかもそれを出版物や学術論文のように思っている私のネットストーカーのようだ。

 ネットストーカーといえば、相変わらず匿名掲示板に、自分は「心の拠り所となる資格がありブログがある」から私のように匿名掲示板に書くしかない人間とは違うんだと本人自身で本名を使い書き込みをしている。私は匿名掲示板には書き込みをしておらず、やはり誰も読まない文章は、しょせん妄想と同じだという思いを強くする。

 ネットストーカーは、私の昔のBlogを炎上・廃止(更新停止)に追い込んで、今、私が、このBlogを運営していることは知らない。私のかつてのBlogもGoogleによる権威だと自殺についてはNHK福祉情報サイト「ハートネット」よりも高い位置にあるらしい。更新を止めた今でも1日100PVほどある。ネットストーカーがBlogを書く目的というのは、そういうBlogを本人曰くケチを付けて廃止に追い込むことである。

 なんか、自分にしか通じない文章と相通じるものがある。自分の意見が相手に伝わるように鍛錬するのではなく、自分が気に食わないものはケチを付けイチャモンを付け暴力に訴える。それは、そんな奴に資格を金で与えている団体も一緒である。この資格を名乗る奴にされたと書いただけで弁護士から訴えるぞと内容証明郵便が来た。

 さて、本当に時間が足りない。これについてもネットストーカーが色々と私を陥れるための事実を捏造していて引き摺られそうであるが、もう、構っている時間も余裕もない。今日も、自分の言いたいことは全くというほど書けずに申し訳ない。

 今日の命の危機85%。死ぬほど苦しいし死ぬのを肯定したくなる。

 

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