遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

死への梯子。

撮影データ
日時:2020年11月06日15時50分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの75mm端
絞り:f7.1(Auto)
シャッタースピード:1/250s(Auto)
感度:ISO 200(Auto)
(プログラムAE)

 

 午後9時、アップ直前の今は少し楽だが、我ながら、よく正気を保っていると思う。

 午後6時を過ぎても苦しんでいて寝床でスマートフォンから書いている。思わず殺してくれと叫んでしまった。書くのがやっとだ。

 自分の一生を走馬灯のようには想わなかったがトータルで死ぬときまでを想った。これは人によってパターンがあるのだろうなと思った。

 今日は、それでも先ほど自宅と同じ建物にあるコンビニまで食事を買いに行ったのだけど、レジ袋が要らないという言葉が通じないほど苦しい。

 寂しい人生だった。兄弟姉妹も従兄弟もいなければ物心ついたときから親戚はキチガイと呼ばれる叔父だけ。

 そして、医師の言葉を借りれば、彼らの歪んだ自己愛による虐待で精神を病み… もう止める。

 ネットストーカーは、こういう文章だけを取り出して私のクオリティーだと書き立てるだろう。文脈が変なのも、全部、自覚しているのだが直せない。

 私が書こうと思っていることは、こういうことだ。過去のエントリーから。

fonttoto.hatenablog.com

 

 Blogを読んで心配してくれた人たちも、結局は、そのほとんどが飽きたのか知らないけれど去って行ってしまい、そんなことについても恨みがましく思う。すべての感情が攻撃に向かう。

 訪問看護についても、担当者に、電話ではなく面と向かって話しているときの方が笑顔が素敵ですとか何とか言われ、嫌な話を時間外に聞きたくはないのだなと思った。

 そして、またネットストーカーが捏造した私の真相なるものを送って来たときのことを思い出す。私が書いたことは全て噓で、それを知ってドン引きして皆が離れていくのだというようなことを書いて、こちらが拒否してもEメールやTwitterなどのアカウントを変えて、しつこく何度も送ってきた。

 それでも、何を考えたのか忘れてしまったが、あぁ、自分を褒めるということは、こういうことなんだなと思った一瞬もあった。

 今日の命の危機は90%。生きる望みとは? 投げ捨てたい。死ぬときは書けなくなったとき。今日は書けなそうで梯子が掛けられた気がした。

 

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