遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

気安く解ったと言うな。

 ごめんなさい、集中力がないどころか発狂する寸前で、しかも思考がネットストーカーからの嫌がらせに引き摺られている。これだけの文章を書くのに午前7時から午後3時だから8時間かかっている。次の節と、この節のこのパラグラフは、午後3時までに書いている。

 そして、今、このパラグラフを書いている今は午後7時過ぎだ。自殺する気で家を飛び出したので、Instagramの画像(プライベートの非公開アカウントで上げているものなのでリンクが貼れない)の後に続きを書く。こう書いていられるということは死んでいません。

 ネットストーカーが、書いた直後にリアルタイムでアップしなければいけないなどと勝手にルールを作って脅迫してきているが、私は書き始めたときに午後9時に締め切りを設定して定時にアップされるようにしている。文章が途中で切れている日があったら、他の理由で書けないかもしれないが、もう私は生きていないと思っていただいても良いかもしれない。

 

午後3時の外出前に書いた文章

 ネットストーカーが、また変な文章を送り付けてきた。「日本『純文学』について」というタイトルで、なんか有名人の文章を、いつものように著作権を無視して改竄・電子化したものらしい。タイトルからして「日本の純文学」でもないし、いきなり何が純文学なのか、何の脈絡もない文章で、頭がオカシイ人だとしか思えない。ちなみに前回は「その行動様式」と題してアクセスログを送ってきた。私がネットストーカーのサイトを荒らしていて、その私の行動様式なのだと言いたいみたいだ(実際には何も書いていないので判らない)。

 頭がオカシイ人は、言葉自体も自分にしか通用しないものを使うが、論理が飛躍しているというか支離滅裂である。ネットストーカーは、本人が言うには自分は重度の精神病を患って入院までする重症になったのだが、自分の天才的に偉大なセルフカウンセリング能力で寛解した(ゆたぼんのパパみたいな資格を金で買って剥奪されることを繰り返すことでしか正当性は証明できないが)大ベテランカウンセラーなのだそうである。

 しかし、そのBlogの記述を読むと、入院も医者に「頭を冷やせ」と言われたからといった理由で病気にすら罹った様子もない。小学校低学年生並みの頭で悩んで、それが解決しただけのことが重度の精神病から自分の偉大な能力で回復したことになっているのだ。服薬も微量のリスパダールか何かを服んだだけだという。

 そんなことは自分で思っていれば良いことであるが、問題は、その論理を私に当て嵌めて、私が50歳になった今でも母(ちなみに医者に精神病の元凶だと言われて未成年時から別居しているし故人だ)や姉妹(私は一人っ子だ)に甘やかされているガキという自分の投影のような像を作り流布し始めたことだ。

 私が相手にしなかったのを、本人の言葉で「逆恨み」したらしい。もっとも、本人にとっては私が無視したことが「逆恨み」であり、それについて嫌がらせをするのは正当なことのようだ。自分のような名カウンセラーを無視するとはというようなことを書き、「私はしつこい性格であることをお忘れなく」と書いている。それこそ自分にしか通用しない論理で逆恨みではないかと思う。

 そして、私のBlogに書いてある事実を全て矮小化して、いかに私が大した苦痛も味わったことをないのに大袈裟に書いているのかという嘘を流布している。今日も、私の離縁した姪なる人物を登場させていたが、私には物心ついたときから両親と叔父以外に係累はおらず、すでに全員、亡くなっている。私が自分のカウンセリングの患者だと私の本名を上げて主張しているが、それも嘘だ。

 そして、自分が小学生並みと言われたのが口惜しいのだろう、私が幼稚園生並みの我が儘を言って駄々をこねているという像を作り出し、私の本名や住所を調べ上げ顔写真を入手し、それらを、自分が天才であると誇示するために自らの顔写真とともに公開したのだ。今でもネットストーカーの名前で検索すると本人がアップした自身の電話番号や顔写真などがヒットする。なるほど自慢できる冴えた顔である。

 

 なんか、私も変な方向に行ってしまった。さて、ある方のBlogを読んだら、私のBlogをお読みになっての感想だと思うが、辛さは解るとか苦しさも理解できると書いている人がいた。こっちとしては50歳にして初めて知った感覚であるし、こんな重症にならなければ、一生、知らなかったであろう苦しさである。

 そう思って読み進めていくと、そんな風に共感したところで当事者にとってはチャンチャラおかしいことであろうと書いてあって、ちょっと謙虚すぎるのではないかと思った。(書いた方に配慮し、文章はアレンジを加え原文は載せない。)ちなみに私は理解して欲しいと思って書いているので、何も遠慮なさらなくて大丈夫である。

 前述のネットストーカーの、重症だった自分ですらチョロかったので、それが大したことではないと判るんですというのとは大きな違いだ。ちなみに私は、今、5ちゃんねるで話題(悪評)になっているブロガーにも同じことを言われたことがある。こいつらは虐待しても精神は病まないだろう。そう考えると、逆に、この人は重症なのに自分の辛さを過小評価しているようにも見える。

 ネットストーカーは自分が大した苦痛を味わわなかったということから、自分が重症ではなかったのだという結論ではなく、重度でも、この程度なのだから、精神病というのは大したことはないのだと解釈した。そして、風邪が治った程度のことなのに、自分には偉大なカウンセリング能力があるのだと思っている。

 他方、Blogに書いている方はどうだろう。例えば自分は医者には掛かっていないからというようなことを書いているのだが、かたや医者に掛かったところで微量のリスパダールを処方されただけで(頭を冷やせと言われたとは書いているが診断については触れられていない)重症と言う人がいて、果たして、それが自分が軽症であるということの理由付けになるだろうか。

 以前から何人もの区の保健師さんに担当していただいているが、私が信頼を置いている2人の担当者に、心臓が針の筵の上で転がされている感じがして寝ることも起きることもできなかったとき(横になってウトウトとすると心臓がグサッとして寝ていられず、まさにネットストーカーに本人の言葉でいうと「見染められた」ときだ)、1人には経験がないから判りませんと言われ、1人には、数ヶ月ぶりに顔を合わせたら髪の毛が総白髪になっていると驚かれた。

 判らないと言われたとき、ちょっと私は絶望した。判らないというのは、よくネットストーカーが使う言葉でもあったので嫌な気分もした。もっとも、ネットストーカーは、なぜなら自分の経験が全てで精神病で辛いというのはないからだと言い切っていたので一緒にしてはいけない。

 もう1人には、数ヶ月ぶりに顔を合わせたら驚きの声を上げられて、むしろこちらが驚いた。ひょっとしたら、驚きの声をというのを聞いたのも初めてかもしれないと思う。そんなに驚くほどの容貌の変化があったのか。

 いずれにせよ、この2人は、よく相手の様子を客観視していると思った。判らないからといって、ネットストーカーのように、そんなのは嘘だと言う訳でもなく、また、1人は、精神的には判らないが容貌の変化から判るという。

 そう考えると、何を基準にしていいのかというと、やはり当人の辛さではないかと思う。それは別に病気であろうとなかろうと関係がなく、例えば私は病名がなかろうが、辛いものは辛い。かといって私には、その人の辛さは判らないし、それは私と比べるものでもなく、気安く解ったと言える性格のものでもない。

 

午後6時の帰宅後に書いた文章

 さて、今日2度目の仕切り直しである。先ほど外出から戻った。どうもまとまらない感覚からは、少し脱したような気がする。少しスッキリしたというか、死ぬほどの苦しみは去った。そういえば昨日、Twitterで私が絡まれたツィートをシェアしたら、絡まれたということではなく私が死ぬほど苦しいとツィートしたことについて感想を言われた。その人も精神的余裕がなかったのだと思う。

 出掛ける前に今日も今の担当の保健師さんに電話をするが外出中だった。今になって思うと電話をしたところで解決しなかったと思う。私も、それで勢い余って着替えや洗面具を掴んで銭湯に向かったのだが、出先で折り返し電話が架かってきて話ながらイライラして叫び出したくなった。イライラして頭もロクに洗えなかった。

 行きに買い物があり三田の方からバスに乗った。国道1号線の横断歩道で信号待ちをしていたのだが視覚障害者用付加装置だと思っていたのが押しボタンだったようで、慶應女子の学生さんが通りの反対を歩いていたにも関わらず気付いてボタンを押してくれた。

 クラブか何かの団体だったようで、私が手を上げて礼を言ったら、向こうは集団で頭を下げてくれて、なんか申し訳ないくらいに嬉しかった。こちらも自然と頭が下がる。近くで見たら汚いオッサンですよと思う。なんか手を上げての礼というのが自分でも不遜に感じる。

 普段は保健師さんが折り返し電話を架けてくれたというだけで感謝するものだが、どうも鈍になっているのかもしれない。そして、そんなことでも、これで死んでも惜しくはないか… と思う。そう思うと、生きていて良かったと思うことは沢山ありそうでもある。

 カメラを向けるというのも、自分では良かったこと探しの一環のつもりであるが、なかなか、そんな余裕はない。今日、撮った写真は以下のとおり。フィルムと違ってフィルム代や現像料も掛からないし、消せばいいと思うので、これでも気軽に撮っている。Instagramの画像もカメラの画像をWi-Fi転送して使用した。

撮影データ(共通のみ)
日時:2020年10月25日
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの135・58・63mm域
絞り:f8(1枚目)・解放
シャッタースピード:Auto
感度:Auto

 

 しかし気が付いたら写真を撮ったのは喫茶店でだけである。結局は喫茶店にいる間だけしか落ち着けなかったのか。今日は命の危機80%。午前中の状態が、ずっと続いていたら、今日こそ私の命日になっていたかもしれない。

 

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