遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

弁護士から電話があった。


 昨日、夜の11時になって実家を売った金を預かっている弁護士から電話があった。まさか事故に遭っていないだろうなと弁護士会に問い合わせたので、弁護士会から連絡が行ったのかもしれない。1ヶ月ぶりであった。とにかく平謝り。

 で、曰く、我々の歳になると明日、死ぬとも限らない。私は本当に身内どころか親戚が1人もおらず、そのまま死んでは実家を売った金は国庫に入ってしまう。なので遺言書を書いておけと言う。

 例えば奨学金として母校に寄付すれば助かる学生も出るし恩義に感じてもらえるかもしれないと言う。あと、子供のときに良書が揃っていて私の文学の礎となった図書館に寄贈しても私の名前の付いた文庫ができるよと言う。

 私自身がハッピーなら、別に名前を残したいとは思わないのだが、確かに国庫に入って軍事費に使われては叶わないと思う。しかし、家1軒分の金額で、そんなに役に立てるのだろうか。

 お前に一任すると書こうかと言ったら、そんなこと言ったら、俺はラスベガスに行って豪遊するよと言う。その代わり、弁護士として、それを実行する仕事はさせて欲しいと言うので、金が要らないという訳でもないらしい(実際、今回も、主治医に「弱みに付け込まれている」と言われるほど金を取っている)。

 そして話は文学論にまで及び、午前1時まで話をした。明日、大丈夫か? と訊いたら午前中は事務をすればいいだけなので何とかなると言う。いや、明日、大丈夫かと訊いたからには、私が大丈夫ではないのだ。

 果たして寝付いたのは午前2時で、4時間しか眠れず。昼、眠くて仕方がなく、午後1時には家を出たいと思ったのに、家を出たのは午後3時。しかも明日から3連休なので道路が込み、渋谷まで、いつもより20分も多く時間が掛かってしまった。

 ただ、眠くて仕方がないというのは緊張が(ほぐ)れている訳で、昨日まで、あんなに強かった希死念慮が、ほとんどない(ベースとして常に希死念慮はある)。そんなに金の力と言うのは強いのだろうか。

 渋谷では散髪に行く。床屋の主人は癌が身体中に転移しては再発してを繰り返している人で、この夏、大丈夫かなと思ったら、今月いっぱいで引退すると言う。気分はお疲れさまという感じだが、次から、どこの床屋に行こう。家の近所か。

 しかし、店じまいが決まったら、40年前に客だった人が渋谷を歩いていて、同じ名前の理容室があるから寄ってみたと言い、40年ぶりの邂逅があったそうだ。死期が近いのかなと縁起でもないことを言う。

 そして、家に帰ったのが午後7時。ちょうど玄関でAmazonの人と会った。プライムデーの後のせいか、けっこう大荷物を持っているが、ちょうど手にしているのが私の荷物。プライムデーとは関係がないCD+DVD、1セット。

 もう時間がないが、今からこれを聴こうと思う。今日こそ早寝をしたいので、どこまで効くことができるか。DVDを先に観るかな。今日は命の危機50%。昨日までの対比でいえば1と0なら1だったのが0になった。写真は床屋で撮ったInstagramより。

 

 

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