出先でTwitterのプロフィールを見て考えてしまった。Blogというメディアは、どういうふうに書くべきか。というのは、Twitterでアカウントを文芸誌の幾つかにフォローされており、主だったところはフォローを外したのだが、まだ残りがあったからだ。
私は以前、雑誌社の書籍編集部の編集部員で、自分でも物を書いていた。また、アカウント名などを一新したのに、今でも、たまぁに前からのファンでしたという人からDM(ダイレクトメッセージ)を貰うことがある(私のTwitterアカウントは誰でもDMを送れるようにしている)。
しかし、現在、Blogを書いている私というのは、当時の私と全く違う。当時のような冴えのある文章を書けなくなったし、当時のように真剣に物を書いていない。逆に真剣に書いていれば冴えのある文章も書けているのかもしれない。
私のBlog仲間には、かなり真剣にBlogを書いている人がいて、その真剣さは私にも伝わってくる。描き切れないモドカしさまで伝わってくることがある。それに比して、私は、現在のこのBlogを始めてから「描き切った」という体験すらしていない。
そう考えた上で、このBlogを、どのように書いていくべきか。そう考えると、まぁ、真剣に書かないことである。あまり期待されても困る。ただ、やはり書いた以上は読んで欲しいから、更新は毎日し、今日は読むものがありませんというのは極力なくす。
そうすると、真剣に何かを描き切ろうと思うより、行間や文字間に滲み出る現在の心境や人間性、そういうものを楽しんでもらうのが良いのではないか。それがすなわち、私がBlogというメディアに関わっていく姿勢でもある。
今日は命の危機70%。精神的にどうこうよりも、この多湿な気候は何とかならないものか。冒頭の写真はInstagramより。行きつけの喫茶店の玄関の鉢植え。ここも観光地化して、もう休日には来れないかな…。
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