遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

少し自殺を考えた。

 たまに、自殺を思い留まるのがやっとというときがあるのだが、今日は、そこまでは行かなかった。ただ、ベクトルの向きとしては同じで、視野の中には自殺も入っていたという感じだ。

 家が立ち退きなのに汚部屋になっていてどうしようということと、空き家になった実家を売るに先立ち、植木がボーボーになってしまって近所迷惑になっていてどうしようということが不安で、夜も4時間くらいしか眠れなかった。

 普通、自殺するかもと思うときは、寝不足から来る疲労でボロボロになり疲労から自殺しかないと思うときが多いのだが、今日は、それがない。ひょっとして、着けているFitbitスマートウォッチが記録を間違えたかと思った。

 しかし不安は解消されず。それが昂じたのかイライラして何も手に付かない。額から冷や汗を滝のようにかく。苦しさが募るばかり。私のBlog友達(といっていいのかな?)のBlogに、考えていることのほとんどが起こりませんよと書いている方がいて、それを信じたいが、なかなか、そういう心境になれない。

 訪問看護に電話をして、あれやこれやとアイデアを出してもらう。アイスクリームを食べたり、無理して事務仕事をしたり、あれやこれやを幾つかしていたら冷や汗は落ち着いた。

 そして、何より、同志と言ってくれる山姥さんに感謝。落ち着くまで、付きっ切りでTwitterのDMで遣り取りをしてくれた。彼女がいなければ、私を生に繋ぎ止めておくものがプツンと切れたかもしれない。辛い思いもさせてしまった。

 Twitterはプライベートのアカウントでやっていることなのでツィートを貼れないが、どうして役所が開いていて保健師さんがいる間に、このような事態が起きるんだろうとツィートしたら、人生はそんなもの、孤独との戦い、みたいなリプを貰って(良い人なんですけどね)、彼女がいなければ、ちょっと救われなかったかもしれない。