遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

白金高輪。

 地下鉄が通って白金高輪駅ができる前、駅は、もっと目黒寄りにできる予定だった。なので、仮称は「清正公前」だった。

 それが、現在の位置にできることになって、名称で揉めた。「清正公前」だと決めつけている人、元からバス停で名高い「魚籃坂下」にしようとした人。

 折衷案として出てきたのが「白金高輪」で、他に「白金志田町」「白金一丁目」などがあった。

 「白金志田町」は現存しないので無理だと思ったが「白金高輪」に決まったのは意外だった。

 また、地下鉄が通っても、現在のようなタワーマンションの建設ラッシュが起こるとは思わなかった。

 まさか地上45階建てとか35階建てなどというマンションが軒を顰めるように建つとは思わなかった。せめて白金アエルシティ程度で終わると思っていた。

白金・ザ・スカイ

白金アエルシティ

プレミストタワー白金高輪


 これらのマンションの市販されている住居は、最低でも1億円はする。最低3,000万円という報道がされたが、あれは地権者向けのものだ。

 実は、私が住んでいるのも、このエリアなのだが、やはり超高層マンションに建て直す予定で、寓居も立ち退きとなる。

 (厳密にいれば上に挙げた地権者向けマンションのように代替住居が用意されるが、その差額や、建て替え期間中に住む住居の金が捻出できない。)

 私は50年前、このエリア(南麻布の少し遠い方)の出身で、高校生までを郊外で過ごし、再び南麻布の同地に戻ってから30年以上、このエリアで暮らしている。

 

 昭和40年前後の現在地は、このようになっている。

www.city.minato.tokyo.jp

 

 ちなみに、この三角形の頂点にあるのが魚籃坂下の交差点(マツモトキヨシがある角)、左側が魚籃坂下緑地(魚らん坂下中央交差点)、右下が白金志田町(白金一丁目)交差点(白金高輪駅2番出口)である。

 この三角形の底辺に当たる溜池から五反田に行く道路ができるまで、町の境界線は三角形の上2辺で、そこまで白金志田町だったが、現在は、底辺に当たるところが境界線で、三角地帯は高輪1丁目になっている。