遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

今日の1編「(他人の)誕生日について想う」

 今日は久しぶりに朝、起きられた。どうせ勤めていない人は朝、遅くまでゴロゴロとしているのだろうと言われるが、私は、午前7時には起きて、午前9時には机に向かっている。それができなかった、ここ数日間、実にもどかしかった。

 さて、今日は、午前7時から(もっと前からかも)登録している配信者のTikTok LIVE配信があった。これこそ、勤めてもいないのに視聴者に合わせて午前7時とかに起きるのに頭が下がる。そこでのことを認めたので、参考まで。

「(他人の)誕生日について想う」

 今日、久々にTikTok LIVE配信を観た。ここのところ体調が悪く、観たいストリーマーのところに顔だけは出してのだが、きちんと観たのは恐らく1週間ぶりくらいだ。

 さて、そんな配信中、今日は誕生日なのでバースディソングを弾いてほしいというオーディエンスがいて、それは目出たいと、私もクラッカーのギフトを投げた(ギフトはストリーマーのところに行くのであって、その人のところに行く訳ではない)。

 私は訪問看護が来るので配信を、というかスマートフォンを離れてしまったのであるが、その間、その人から、お礼のメッセージが来ていた。

 スマートフォンを離れていた間に受けていた訪問看護であるが、気分の落ち込みが激しいそうですが、死にたいと思ったことはありますか? と訊かれた。

 思ったことがあるどころか、見える範囲でも、踝に自殺未遂をして植皮した、大きな傷痕がある。この看護師は、それにも気付かなければ、なぜ出来たのかとも思わないのだろうなと思った。

 かつて、私の好きなTVドラマ「最後から二番目の恋」で、中井貴一演じる長倉和平が、小泉今日子演じる吉野千明の誕生日を祝うとき、年齢を言われて嫌がる千明を、これは単なる数字ではないんです、1年を生き、さらに1年を生きた積み重ねの数の「おめでとう」なんですというようなことを言っていた記憶がある。

 そんな訪問看護を受けた後だったからかもしれないが、人間、1年、生き延びるって大変なことだよ、と思った。そう思うと、メッセージを送ってくれた人は、1年を生き延びるが大変なのかもしれないと思えてくる。

 私は1年の始めに初詣では行くものの、1年の無病息災など願ったこともなく、刹那に生きてきたなと思う。

 ただ、今回、クラッカーへのお礼のメッセージを貰って、この人にとって良い1年を重ねて欲しいなと思ったし、私も芽が出るまで死ねないぜと思った。

 

 

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